打ち合わせで話さない人は必要ないと言われたので「会議ファシリテーター」の本読みました。
頭ではわかっております。たしかに打ち合わせやら会議やらで発言しない奴はその場にいる意味はないということを。特に社外の人とのミーティングでは口数が減るタイプ。
でもね、好き好んで話さないわけじゃあないんです。
話したいな思ったことが例えば相手を傷つけないか、いやどちらかというと、今後のビジネスに自分の発言のせいで弊害が起きないかなんて、壮大な心配をしてしまって話せない。
私個人に関して言えば、ゲーム業界から足を洗って以降、当然ながらゲーム業界以外の人とビジネスな打ち合わせをすることになったのだけれど、なんというか、簡単に言うと、怖気づいてしまうわけです。
ゲーム業界のひとの文脈というのはわりと決まりきっていて、最近流行りのゲームやアニメや漫画の話をしておけばだいたい通じる。だけど今そんな決まりきった空間を颯爽と抜けだしたものの、共通の話題っていうのがどこにあることやらわかりまへん。そして、繰り返すことになってるかもしれないけれど、自分の不用意な発言がのちのち大惨事を招いたりしないかなんて、本気で心配しちゃうわけでございます。
そうして私はついに、「打ち合わせで話さない人」を体現してしまい、結果話しても話さなくても誰かかれかに不快な思いをさせてしまった次第です。
もうだめぽ。
そうして安直な私はAmazon先生で「打ち合わせ」「会議」「コミュニケーション」とかで検索して本を漁ってなんとかこの悔しさ晴らすですしってなってるです。
そこで読んでみたのがこの「会議ファシリテーター」の本。
- 作者: 釘山健一
- 出版社/メーカー: すばる舎
- 発売日: 2008/03/21
- メディア: 単行本
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打ち合わせとは「コミュニケーション」の場
「打ち合わせ」やら「会議」やら名前がつくと、「何かを決めなければいけない」とか、「厳しく意見を出し合わなければならない」とか、そういう印象がどうしても拭えないのだけれど。
一番大切にしなければならないのは、顔と顔を突き合わせて「コミュニケーション」してるということだったみたいです。
たしかにこのネット全盛のご時世、会って話すよりもメールなんかでほとんどの調整は済んでしまう。それでもわざわざ出向いて顔を突き合わせるというのは、つまるところ「コミュニケーション」をすることでより今後も円滑に仕事していきましょうということの現れ。いやもちろん、修羅場確定なハードな会議も中にはあるけれど、基本的には相手との温度感を肌で確かめるというのが一番の「打ち合わせ」の目的なんじゃないかなと。
となると、初対面のミーティングに関して言えば、いくら仕事の「打ち合わせ」であっても、これまでの人生幾度と無く経験してきた「親しくなりたい初対面の人と会う」という行為とさほど変わらないのかなと思う。
相手のことについて知りたいなと思ったのであれば、多少打ち合わせの主題と逸れたような気がしても聞いてみるべきかな。ちょっと「打ち合わせ」っていう体裁だからっていろんなこと気にしすぎなのかなと思い始めた次第です。
とにかく「コミュニケーション」も打ち合わせの主題のひとつであるという認識があるかないかで、ミーティング中の行動は変えられる気がしました。
別にたくさん喋らなくても、自分のペースでコミュニケーションをとっていく方法はある気がする。
最初のうちに全員が一言は話す工夫をする
これもなるほどなと思ったのだけれど、確かに一言、挨拶だけではなくて自分のことだったり仕事のことだったり、中身のあることを話せるだけで、その後も発言しやすくなるなあと思う。
自分がわりと話すようなミーティングであれば、全員が話す機会を序盤に設けるようにしたい。自分が主体ではないミーティングでも、序盤になんとかちょこっとでも話せるようにしたいっす。
この本には他にも、会議のいわゆる進行役として行うべき細やかなテクニックが記されていたのだけれど、「社内会議」のことについての事柄が当然多くて、そこは現状あんまり困ってないのでさらりとしか読んでない。
私の人見知りの克服の一貫として「会議ファシリテーター」の本は、結局のところ、細かいこと気にしすぎてコミュニケーションから逃げるより、何かしら口を開いて積極的に関わっていこうとするほうがわりとみんな幸せになれるよ、って話でした。
まだまだ未熟だなあ。