レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

ワーママは「よくばり」と言われるが言い返せないでいる

ことの発端はママ界隈のTwitterだと思う。私もTwitterで火の手を確認したけど、こちらの記事にもまとまっていたのでよろしければご参考までに。

news.yahoo.co.jp

 

「仕事も」「子育ても」って欲張りセットなのかな。って考えてしまってメンタルの闇が拡大していくのを察知したので、とりあえず気持ちを整理するために書き殴ります。なのでとりとめがない仕上がりになると思います。

 

なぜ必要以上にこの問題が心に刺さったのかというと、今まさに「仕事」と「子育て」の間に挟まれてもがいているところだから。

 

いま私は育休中。第二子がもうすぐ生後七ヶ月になり、離乳食二回食をそろそろスタートしなくてはいけなくて、そうなると想像以上に忙しくて常に誰かのメシを作ってる人みたいになるんですよね。離乳食ってベビーフードに頼ってても忙しい。お湯でのばしたり、解凍したり、混ぜたり、そして汚したら着替えまでさせたりしてフルコースだと結局1時間くらいかかりません??

おまけにわんぱく3歳児がいて、保育園お迎え行かなきゃいけなくて、延長保育を認めてもらえなかった(ただの育休中のひとは延長保育不可なんですよ日本)ので16時半までに行くのですが、まあまっすぐ帰らない。大人の徒歩5分の距離を平気で2時間~3時間とかかけて帰りますからねすごいです本当に。

こうなると本当に日々なにかに追われており、平日のうち、赤ちゃんが運良く寝てくれたらいまこれを書いている朝の30分くらいが自分の時間、そして1回目の離乳食後の2時間~3時間くらいをなんとか捻出して自分の時間とすることができるというのがいまの自分の状況です。

 

で、育休中なのになんで自分の時間を捻出する必要があるのか。

私はありがたいことにコロナ前からほぼフルリモートで働いていて、時間さえあれば我が零細ベンチャー企業のお仕事を少しでも手伝えるので、ちょっとは仕事手伝いたいなと思ってるんです。社長含めて社員6人でやってるのに、私は自分の人生を優先して2回も育休取得して。そういう状況なので、自分のできる範囲(あと制度上差し支えない限り)でいっちょ噛みしたい。

 

でもそれはきっと「よくばり」なのかな。

 

育休中は休めって話だし。仕事は私がいなくても回るのは事実。

だけど今になって、ようやく、いろんな種まきが開花しそうで、蕾が膨らんできてるのに、そういうちょっとオイシイところに携われないのが本当に辛くて。このベンチャー入って苦節7年でしょうか(もはや「ベンチャー」とはなにかってかんじですが)。やっとやっと、成立しそうなサービスを作ることができて。花開いていくのを横目に、私は盛大に漏れたおむつを取り替えてたりする。

 

じゃあ子ども作るなって話なのか。

不妊治療してようやく授かった、かけがえのない存在。今や子どものいない人生は考えられないし、2人のためにより仕事がんばろうって思えてる節もある。

 

子どもがいない人生もまたひとつ選択肢としてあるだろうけど、私は子どもがいる人生を歩む決意をした。であればどうしても30代で産んで、手のかかる時期を過ごさなきゃいけない。できれば子どもは2、3人欲しかったし。それを叶えるためには今産むしかないわけで。

 

「よくばり」と言われようとも、両立するしかないのだよね。

 

20代はわりと「なるべく仕事したくないマン」だったんですけどね。というのも仕事にのめり込みすぎて、というかブラックな労働スタイルで身体と心を壊して適応障害の診断がくだりまして、その結果「仕事したくない」ってなってました。

でもなんでだか最近は仕事前向きです。まあなんらか成功したいんだと思います。成功するかもしれないというのが如実に見えてきたからさらにいま仕事したいなって思うようになってきたのかもという現金なヤツです。でも仕事だけにのめり込みたいかというと、既往持ちからするとのめり込みすぎるのは良くないのはわかってる。

逆に仕事しないで専業主婦するという選択肢もあるといえばあるのかもしれないですけど、私はそんなに育児自体向いてないっぽいし、仕事と育児両方やってるくらいが子どもと向き合うにあたってもちょうどいいのかなというのが最近の所感です。コロナ禍のおかげでさらによくわかりました、登園自粛中は本当にちょっとおかしくなってたかもしれないなと振り返れば思うくらいです。

 

「よくばり」と言われようとも、「仕事」と「子育て」の両輪を回すのが、もしかしたら私にとってはちょうどいい、のかもしれない。

 

両輪を回すその過程で、「よくばり」と言われたり、仕事方面・育児方面問わず関係各所にご迷惑をおかけするのかもしれないけれど。どっちもやってるんだから私偉い。みんな偉い。ワーママもワーパパも偉いよ。社会全体で見れば子どもが出生してくれないと成り立たないわけなんだから、社会が自分に寄り添ってくれる・寄り添ってくれていると信じて、自信持って生きてこ。自信持って育児して、仕事して。そんなキラッキラみなぎるパワーな人実在するのか知らんけど。輝いてなくても、その時の自分なりに、できる範囲で自信持って仕事して育児してく。それがいいのかもしれない。

 

あれ?意外といいかんじの着地になってびっくり。やっぱり書くと思考がすっきりするし、なぜだか前向きになれる。

ワーママはよくばり、でいいんじゃね?

まあ絶対行政には言われたくないけどな!!

母になったからこそ「好きなこと」を大事にする

母になっても、いや、母になったからこそ、ますます「好きなこと」をやる時間を大切にしたいな、と。

 

なぜ「好きなこと」をやる時間を大切にしたいか。それはとても単純明快で、私の精神安定こそ、この家庭を平和に保つためにたいせつなことだから。

 

わたしのメンタルはよく故障する。これまで何度も何度も故障して、その整備のために、通院したり休職したり転職したり働き方を変えたり、といろんなアプローチをしたものであります。

で、なんとなくわかってきた、私のメンタルの故障原因。

だいたいは、忙しすぎること。そして、何もできていないんじゃないかという、虚無感を必要以上に感じてしまうこと。

文字にしてしまえばたったこれだけのことで、私は散々路頭に迷ってきたわけだ。

 

だからまず、忙しすぎないようにしなければならないわけで。

家事はとにかく自動化に全振り。ルンバや食洗機はもちろん導入済み(洗濯乾燥機だけ設置場所等の理由でまだ導入できてないのは悩み)。最近はホットクックも導入済み。これええですよ、ほんと。料理わりと好きな私の心もそれなりに満たしてくれるし。

 

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そして、「好きなこと」をやる。

 

「好きなこと」ってなんだろう。

実は、なにが好きかなんてよくわからない。わたしはかなり、何にでも手を出してしまうタイプで、そしてそれなりにうまくやる、けど大成はしない・できない。いわゆる器用貧乏。このご時世では生きにくいタイプだろう、いまの世の中は才能が一点に集中してたほうがうまくいく。かなしいなあ。

 

嘆いていても仕方ない。

だから、自分の本当に「好きなこと」「得意なこと」探しも兼ねて、その時その時に「やりたい!」と心から思えることにとにかく挑戦するようにしてる。

 

わたしの場合、今はそれが編み物とソーイング。

なぜやりたいかはわからない、たぶん生活に合ってて挑戦しやすく、そして実用的なアイテムが作れるからだろう。

やって意味があるかなんていよいよわかんない。きっと直近では意味がないし才能もまったく感じない。でもやりたいんだったらやればいいし、やめたくなったらやめればいい。

 

好きなことやろう探そうって思うのも、小さな成功体験があるからだろうとは思う。「好きなこと」としてブログを書いたり、旅行をしたりしていたら、今の会社に拾われたわけで。ほんと、大した成功体験でもないんだけど。でも、好きだと思えることをやってた結果が仕事につながり、人生につながっていくことって、素敵だなあ、って。

 

人生、何が「意味のあること」になるかなんて、死ぬ間際までわからんものなんだと思う。

だからこそ、やりたいことをどんどんやっていくべきじゃないかな、たとえ母になっても、とか漠然と思いながらオムツ替えする日々です。

 

黒柳徹子さんが

「今から先の人生で今が一番若い」

と言っていろんなチャレンジするのほんと尊敬する。

チャレンジするのに躊躇することがあったらこの言葉を思い出すようにしている。

 

まあ、現実はそんなに甘くはない。わたしはいま、我が子が撒き散らした💩が四方八方についたシーツを手洗いし、洗濯機に放り込んで洗い終わるのを待ちながらこれを書いている。溜め込んだ💩を放出した我が子はすやすやと眠っている。これを安らかに見守ることができるのも、自分のメンタルがまだ荒んでないからだと思う。

出産しました。

大変ご無沙汰してしまいました。

7月のめちゃくちゃ暑い日のこと、クーラーの効いた病室で誘発分娩による陣痛に3日間耐えた末、3190gの女の子に対面することができました。

妊娠中からブログにて愚痴りまくっておりましたので、もしかしたら安否を気遣う御方がいらっしゃる可能性もあると思いまして、ご報告させていただきます。

不妊治療からはじまって流産も経験し、つわりもバッチリ食らいつつ、妊娠後期は胃酸の逆流と腰の痛みで寝込みがちになってからの予定日超過の誘発分娩。このあたりはせっかくなのでまたどこかに書くとして。とにかく無事赤子を抱っこできて、本当に良かった。

 

まもなく出産から1ヶ月になろうとしています。赤ちゃんってなんて可愛いんだろうと月並みな感想ばかりが思い浮かぶ昨今です。

が、みんなもれなくぶち当たる産後の痛みやら精神不安定やら、そして急にはじまる赤ちゃんとの暮らしへの困惑と恐怖と、さらに3時間おきの授乳による寝不足というHPもMPも削られるハードスケジュールに朽ち果てそうになってました。しかしそれもここ1週間くらいでようやく身体が慣れてきて、赤ちゃん可愛いという月並みな言葉を月並みに発せられるようになったところでございます。

 

そうやって少し余裕が出てくると、ふと、この先のことを考える瞬間が出てきまして。

ほんと、どうするんですかね。保育園戦争の最前線・武蔵小杉で子を産み落としてしまって。私も来年の1月に日本死ねと叫ぶことになるのでしょうか。

というかそもそも0歳児を預けて働く暮らしがまだ想像しきれない。いや、預けなきゃいけないのか?どうしたいんだろう、私。そうだなー、来年4月からは子どもの面倒をみながら必要なときに保育園に預けたりして最低限の仕事をリモートでして収入は今よりほしいわ。家族増えたわけだしね。そんな暮らし希望。

…残念なことに現実の話すると、0歳で保育園入れないと、1歳で入れようなんて夢のまた夢らしいので、とりあえず0歳で入れようと努力する予定です。というかすでに努力してて、妊娠中に16園ほど見学に行きました。まあ全部落とされるんだろうけどさ。

武蔵小杉は私のようなお上りさんにも優しい、というか私と同じようなスペックの家族が多い気がするそんな街なので、子育て世代の住み心地が絶妙に良くって、その上いろんな場所へのアクセスも抜群で、好きなのは好きなんです。ただ、だからこその保育園戦争。さーてどうなるんだろ。

そしてそもそも、可愛い盛りの子どもを預けてまで働く価値のある仕事ってなんだろ、というのもありつつ。当然収入との兼ね合いもありますが。あと忙しすぎるとすぐ壊れる豆腐メンタル女としては、体力と精神面のことも考慮しないといけないです。まあ、まだ時間はあるので、いろいろとゆっくり考えるつもりです。

ちなみに武蔵小杉住みですが、タワマン住人ではありません。そういう側面で見ても経済的には下層民なはずなので、もしかしたら保育園いけるんじゃねという希望あります(最終的に収入低い順に保育園入れるので)。

 

ほんと人生どうなるんだろう。ワクワクするような、こわいような。

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3年後も5年後も想像するのちょっと辛い

こんなに辛いことだったんだな、って今日気がついた。

不妊治療中の今、子どもができるかできないかもわからないのに未来のことを考えさせるなんて酷だと思う。今日たまたま会社でそういう話題を振られて、なかなか逃げ場がなくて辛かった。

将来どうなっていたいか、なんて就活セミナーとかでありそうな質問だけど。

たしかに25歳の時にこの話題を振られたとしても困らなかったかも。30歳までに第一子、そして家庭第一にしながらも働いていたいなーとか答えてたんじゃないか。それはもう牧歌的だった。

30歳になった今。

残念ながら28歳のとき流産しちゃってからというもの、授かりものはやってこない。そうして不妊治療してるわけだけど、毎月毎月、できるかもしれないしできないかもしれない。そんな毎月先行き不透明な日々送ってるなか、数年後の想像をするのって、けっこう心理的に抵抗感があるものであると気がついた。

 

〇〇歳までに〇〇になっていたい、というのっていまは人生史上最大に超難問だなーと。そりゃお母さんになってたいけど。けど。

 

その場にもいろんなフェーズの人がいて、わたしより年上の女性で最近彼と別れたって方もいたり。もしもその方が子どもが欲しいと思ってるのにそういう状況だったら、と思うと、私は「子どもほしいです!!」とか声を大にしては言えない。

この質問に対して結局私は、「子どもは欲しいけどできるかわからないし、どっちにしても先の想像がしにくくて辛い」と正直に答えた。それでなんとなく察してくれたっぽい空気になったので報われた。

 

もやもやはまだしてる。どういうのが正解だったんだ。

 

こんな名前のブログなので「人生のレール」について考えていることを書く

レールを外れて生きようとする青年の話がちまたでは話題になっている模様なので、「レールを外れてもまだ生きる」とかいう青臭いブログタイトルを持つ私が降臨しました。
このブログタイトルをつけたのが、2013年頃でしょうか。年季入ってきました。当時は「レール」について、もう少し信心深く扱っていたものだったのですが、レールを外れたと思ってから3年も経った結果、
「人生にレールなんてない」
というのが大まかな結論になっています。

歩んだあとにしかレールはできない

「人生のレール」を「誰もが思い描けるような順風満帆な人生のこと」と仮定するのであれば。
この現代に「人生のレール」なんて存在しない。
大企業に新卒で就職が決まったとしても、その会社は潰れるかもしれない。そうなった場合、一社でしか勤めたことがないというのはネガティブなスペックになるわけで。潰れない保証のある会社なんてないので、「このレールと思われるなにかキャリアめいたものを走っておけば絶対安心」ということはない。つまり、未来に人生のレールなんて敷かれていなくて、それは自分が作り出した幻想なのかなと。

でも、一生懸命毎日生きたあとを振り返れば、そりゃレールがあるわけで、この先もそのレールを続けるべきだという幻想にとらわれた結果が「人生のレール」の盲信なのかなと思ってます。
例えば私はずっとゲーム業界で一生懸命がんばってきたから、このゲーム業界というレールを外れるのは怖かった。でも、それは一生懸命生きた道を振り返ったらレールになっているだけで、この先ゲーム業界から離れたからって自分のスキルが他で生きないなんてことはないし、そもそもゲーム業界にいること自体が別に自分に本当に合っているとは特に何も保証はない。でも今まで続けてきたからという理由で、「人生のレール」を勝手に定義して、そしてそこから外れることに恐怖するのは、それはすなわち生きにくい盲信だったなあと思っている所存です。

だからまあ、なんていうか、そもそも人生にレールなんてないんだから、「自分の好きなこと・得意なこと」を探しながら、そしてそれを活かしながら生きたらいいと思う。っていう考え方にシフトしていきました。

自分の好きなことをやり続ければ、レールなんて考えなくても生きる術ができる

レールの代わりに軸にしたらこの世が生きやすいんじゃないかなと思うのが、「自分の好きなこと・得意なことを伸ばす」作戦。
どうせ現代はどんどんテクノロジーに置き換わるわけなので、もはや生まれ持った素質で他のひとを圧倒するなにかを持っていないと、生き抜くい。その何かっていうのが早めに見つかっているひとは今ごろリオオリンピックに出たりしているのかなと思うけれど、私なんて器用貧乏のレッテルが似合う人間ですので、もはや何やっても中途半端だった。けど、好きなこと・得意なことを探す過程で見つけたのが、「書くこと」だったりします。
ゲーム業界辞めてどうなることかと思ったけど、書くことをやめずにいたら、実際今そのスキルセットを発揮するのに近しいことを仕事にできてるので、ありがたい限り。大企業を勤め上げるとかそういうレールには乗っていないのかもしれないけれど、自分の好きなこと・得意なことで社会に貢献できているという感覚と、このスキルがあればどこでもやっていけるのではないかというちょっとした自負が、今の私を支えています。

ただし、この世はいまだに学歴社会だし、大企業社会。

さて。
ここまで社会人になってからの話しかしなかったのですが、件の大学生は「大学生を辞める」という「レール」の外れ方をしようとしているわけのようなのですが。
残念ながらこの世はまだ「学歴社会」。私が中学生のときには「学歴社会は終わる!これからは個人の能力の時代だ」という説を聞かされていたのに、現実は学歴社会のまま。就活でもまずは学歴。新しいひとに合ったら学歴の話題はどこかに潜んでる。ちなみに私は旧帝大なのに地味な大学すぎてよく底辺私大と間違えられて、関東ではそういう扱いを受けることだってあります。人間そんなもんだって思ってるし、私も少なからず他人の学歴気にしちゃってる残念なとこあります。
この現実を鑑みるに、別に起業だのプロブロガーだのは、学生の身分を喪失しなくてもできるわけですので、そっちで成功したら学生辞めたらいいじゃん。という至極当然っぽいことを書いておきます。
そしてちなみに、社会人になっても「それまで自分が何をしてきたか」ということを語るとき、「ソシャゲ大手で働いていた」というと話の通りが早かったりするということが多々あるので、残念ながら1社くらいは大企業で働いていたほうがその後ラクに生きられるのではないかと悟っています。となるとますます、足切りなんかで使われる「学歴」の重要性よ。書いてて悲しくなるけど、あと数年くらいはこの流れは変わらないと思う、経歴のわかりやすさ、の大切さ。

変に人生ぜんぶ賭けると、逆に自分の好きなことできなくなる

そして社会人でも大学生でも、好きなことやるにあたって忘れちゃいけないのが、「最初は小さくはじめる」ということ。
変にぜんぶフルフルのフルコミットをぶち込みますと、生きるためにやりたくないことばかりやらざるを得ない状況を作り出してしまいます。そうなると、苦しい。好きなことなんて考えている余裕もなく、日々を生きるためだけに時間を費やすことになりかねません。
その点踏まえるとますます、学生という身分をないがしろにするのはもったいないなあと。社会人も然りで、生きる糧を確保しつつ好きなことやる時間を作って、うまく行ったら現状の整理して得意分野を拡大する、といった戦略を立てることが、上手に人生運ぶコツなんじゃないかと思い始めております。その点私はかつて、派遣OLとして生きる糧を確保しながら、定時ダッシュで帰ってヒマな時間を好きなことする時間に充てられたのはラッキーだったと思っております。

簡単にまとめますと、
社会人になったらレールなんてない。
だけど大学生までは「学歴をつくる」というレールを歩んだほうが、その後の人生の選択肢を広げやすい。
ということで、現状維持しつつまずは小さくはじめてみてはいかがでしょう。という結論です。
学生という身分を活かしていろいろチャレンジするとおもしろいと思いますが。
まああれです、他人に中途半端に介入するのが一番いけないと思うので、件の方には別に何も伝えるつもりはないのですが、自分自身の考えは表明しておきたかったのでそうしました。

なにより、大学生という人生情報に多感な時期に、無責任なこと吹き込む周囲の存在が怖いですよね、もうすでに各方面から指摘済みとは思いますが。私もそういえばどうでもいいですが「はてなブログ講習会」の先生やってください、情弱ビジネスで儲けましょう的な話をいただいたことがあるのを思い出しました。金払ってでも聞きたいというひとがそもそも存在するのか知りませんが、なんというか、もっと社会にとって有意義な仕事して儲けたいでござるよ私は。ていうか「はてなブログ講習会」ってなんだその魑魅魍魎感は。こわいな世の中は。

コーギー貼っときますね。
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未だ忘れられない出産予定日と、ラン旅と、これからの人生

今日は、出産予定日、だった。
つまり、うまくいってれば、そろそろママになってたというわけであって。大変不思議な気持ちでございます。

ネットなんかで情報収集することには、掻爬手術後1~2回目ほど女の子デーを見届けたのち、すぐに再トライして授かる例が多かった。
でも私は踏み切れないままに、手術してからもう8ヶ月くらい経っちゃった。踏み切れなかった、という心の問題だけじゃないんだけど。手術後に女の子デーが自力で来なくて結局またピル生活だし。

そして、けじめ、としてというか、なんとなくやり始めた
「フルマラソン完走したら妊活するぞ」
というささやかな目標。手術が12月上旬だったので、下旬からトレーニングはじめて、4月17日の大会で盛大なフィナーレを迎えるはずだった。
ところがどっこい、その大会は、中止に。
運命のいたずら、とかいう劇画っぽい言葉しか頭に浮かばなかったけども。もうちょっと真剣にトレーニングしないさいよあなた、っていう神々からの霊験あらたかなチャンスだと信じまして、現在もひたすらトレーニングに励む次第です。

そんなこんなで今年に入っていくつか「ラン旅」とかいうのをしていて、まあ、楽しい。日本国内でも、まだまだ行ったことのないステキな街がいっぱいあるものだなあと、実感させられます。具体的に書いちゃうとですね、

2月の、伊豆大島でのカメリアマラソンでマラソンデビュー。10kmだけど。坂多すぎてきつかった、けど、マラソン大会っていうのは、応援という名の無償の愛を知らない人からたっぷりと注いでもらえる温かいものなのだなあと知りました。
3月の上里町乾武マラソン、前入りして高崎で一泊。一度は行ってみたかった高崎の榛名神社とか榛名湖観光できたし、当日は上里町のみなさまの温かい出迎え(駅からマラソン会場までの道のりからすでに応援される)と菜の花と民家の間を縫う21kmの道のりが印象的で、また走りたいと思ってます。
そして4月の加賀温泉郷マラソンが中止になっちゃったわけだけど、初めて金沢に行って、定番の兼六園&21世紀美術館なんて行っちゃったりして。メシがうまかった。マラソンで消化するから大丈夫ーとか言って食い過ぎて、脂肪がお土産になった。
6月の南魚沼グルメマラソン、ハーフで参加。ゴール直前の八海山飲み放題な給水所をにわかに楽しみにしていたのだけど、30℃の気温でやられまくっていた私の身体は日本酒を一滴たりとも受け付けませんでした。その代わり、ゴール後のコシヒカリ食べ放題はお茶碗山盛り1杯いただきました、あんな美味かったのに1杯だけかよってかんじだけど21km走ったあとに言うほどメシ食えないという耐え難い現実。

ランニングブームじゃーみたいなノリは好きじゃなくて、なんやねん皇居ランって、ただ走るのが何が楽しいんだ、って未だにそれは思うし練習大っ嫌いだけど、「ラン旅」自体は大変楽しいものです。南魚沼などは観光地、というイメージはあまりないわけで、こういうイベントやってくれるからはじめて旅の目的地に設定できたわけです。すばらしいと思うこのシステム。


ただ、妊活とは共存できない趣味、というのが悲しいところ。
当初の目的である「フルマラソン完走したら妊活するぞ」は、変えてません。
8月28日の富士吉田火祭りロードレースでハーフ走って、そして、
9月25日のオホーツク網走マラソン。フルマラソン。
これを無事完走して、妊活するんだ(フラグ)

なので私の人生、まあ、大したことない人生だけど、10月からまた妊活フルコミットできるように、やろうと思ってたことはすべてやりきりたいと思う所存です。
妊娠って思ってた以上に生活の制約が出るということも、あの時知ってしまったから。酒も今のうちたらふく飲んじゃう。でもダイエットもしちゃう。うふ。
そして、
仕事がんばる。働きたくないでござると唱え続けていた私だけど、仕事フルコミットできるのってもしかしたらついにこの機会が最後かもしれない。いや、もちろん出産後もほんわかと働きたいけど、自分がいま想像する以上にその生活ってきっと様々な困難に出会い続ける日々になるだろうから。生活が基本的には変わらないだろうあと3ヶ月~半年くらいの間は、仕事を大真面目に取り組んでみよっかなと、決心してる次第です。

そんな、都会の隅っこで細々と生きるしがない私ですが、小さな決意だけ胸に秘めて、暮らしていきたいと思っております。
来週くらいには心折れてるかもしれないけど。それはそれでいいや。
がんばらない程度にがんばって生きます。

転職くり返してもメンタルやらかしても、それでも伸び伸び生きられる

www.utsujoshi.com

書きたいことが山のように溜まっているわけですが、取り急ぎこの件に関しては私から早めにどうしても言いたいことがある気がしてキーボード叩き始めました。なんか互助会?とかいうのの臭いとプロブロガー臭がぷんすかぷんして言及避けてたけど、ついに呼びかけたくなった所存でございます。

簡単に言うと。
3社退職したからってなんや。こちとら社会人5年で5社経験したんやで。
それでも人生詰んでない。むしろ生きれば生きるほど、どんどん面白くなってる。まったく自分でもびっくりするくらいに。

私が心療内科のお世話になった結果、手に入れたのは病名だけじゃなかった。
無理して働いても会社は助けてくれない。仕事の成果もあげられない。自分も幸せにならない上に、誰も幸せになれない。
そんなことなら、自分の好きなことやろう。好きなことと会社の方針がマッチする会社で働こう。もしくは派遣社員として割りきって残業なしで働こう、残業ないぶん家帰って好きなことして、それを活かして個人でボチボチ食いつなげるようになろうかな。とか。
そんな思考回路を手に入れた私。無理してゴリゴリ働いたから、早めに気づけたんじゃないかというプラス思考も込みで。

具体的に私の人生どうなったかというと、とりあえず適応障害だし会社員とか嫌だし派遣やってみよう、からスタートして、
・平日昼間は派遣で働く
・空いた時間でブログ書いたり、ライターの仕事をはじめたり
という二足のわらじ、というのでしょうか、そんな生活をはじめてみたら。
このブログのお問い合わせから何やらメールが飛んできて。
「このサービス使ってみてください!すごいでしょ!使ってくれたらブログにリンクしてあげる!」
とかいうぶっちゃけしょーもないメールだったんだけど、まあいっかーと思ってサービス使ってみたら、もうなんというか元Webディレクターの私の中に沸々と何かが込み上げる出来のサービスでして、キーボード叩き割る勢いで箇条書きの不具合&要望を書きなぐってどーんって送ったら、
なぜか今その会社で働いています。人生わけわからん。

そんなわけで今の会社のしゃちょーにブログをウキウキウォッチングされている次第なので、最初は、私の過去もぜんぶ知られてるー弱み握られてるぜグハァとか思ってたんですが。今やすべて承知していただいて、そんな私と働きたいと言ってくれているわけでして、私にとっては大変好都合な環境に運命的に出会えたと美化して語り継いでおります。
仕事の内容も、半分以上はわりと好きなことに直結できてて、ほんとラッキーだなと。
でもそのラッキーな出会いを手に入れられたのは、好きなことをちゃんと時間作ってやってたから。メンタルやらかして派遣やって、ブログやってライターしたから、今こうして伸び伸び生きられる。ぜんぶ私にとっては必要だった、はず。

要するに、人生詰んだと思ったら、まず心の赴くままに好きなことやったらいいと思う次第です。寝るでもいいし。散歩するでもいいし。(ひたすらに引きこもることだけは推奨しないけど。外部刺激だいじ。)
好きなことしてれば、案外何か起こるもんだと。それが人生なんじゃねーの。ってね、なんか現在の私はそう信じることで生きてます。

ちなみに転職回数増えることに関しては、私は3回目以降はもはや抵抗感なし。だって、転職回数が多いことも、「いろんな職場で生き抜いてきた、経験豊富なソルジャー」的に装飾してしまえば、それを面白がってくれる人もいるのがこの社会だ、って気づいたから。
この方とか。詳しくは存じあげないですが、ネットか本屋でこの経歴をウリにしてるのを見て、なるほどなと思ったものでございます。

僕はこうやって11回転職に成功した

僕はこうやって11回転職に成功した

理解のある環境にさえ出会えれば、メンタルやらかした経験があるっていうのも強みにもなる大逆転ホームランあるし。私なんて自分がそういうの発症したとき、「相手の気持ちを察する能力が人より優れてるんじゃね」みたいなこと言ってもらったことある。ものすごいプラス思考すぎて吹いたけど。
あとは運動ほどほどにして快活に過ごしたいでございますね、ええ、私は明後日、ハーフマラソンに行ってきます。膝だけが心配だ。
おだいじになさいませ。

「今年の目標」なんて、意味がない。

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1月も終わる今日このごろに、後出しジャンケンもびっくりの遅さで言わせていただきますと、
「今年の目標」なんて、意味がない。と。

というのも、私みたいな浮浪気味な人生を送る人限定かもわからないけれど、3ヶ月先さえ予測できないこの世の中だもの、1年かけて叶えたい目標なんて頑張って立ててもほとんど徒労に終わるか忘れるか
そんなあなたにオススメなのは、そう、

3ヶ月の目標を立てること。


こんな迷える子羊人生な私でも、ギリギリ未来を予測できる。たぶんまだこの会社で働いていて、ちょっとぐらい運営してるサービスが成長してて、それをどげんかするためにてんやわんやしてる世界が見える。
そんなわたくし、私事ではございますが、3ヶ月先に明確な目標を設定しております。

去年は、流産したり適応障害再発させたりして、精神的な健康を害することが多かった。精神的な健康は、肉体的な健康を確立してこそ保たれるもの。そうだ、肉体的な健康と言えば運動や! 運動と言えば、ランニング! わたし走るの大っ嫌いだけど、ランニングとかなんか健康っぽくてええやん! いやー健康っぽい! めっちゃ健康っぽい! よし、

マラソンしよう。

ポチった。

加賀温泉郷マラソン2016公式WEBサイト


2016年4月17日に、石川県は加賀藩のお膝元にて(日本史よく知らない)、わたくし42.195km疾走してくることにしました。
なんで加賀温泉郷マラソンを選んだか?
3ヶ月先の目標っていうのにちょうどいいタイミングだったというのと、まあ、あれや。
温泉入りたい。不純な動機も健康のためなら良いのだよ。


というわけで、私のこの3ヶ月の目標は、
健康のための運動習慣をつける、そしてマラソン完走する
です。
この偉大なる目標を掲げてしまったので、週に1~2回は走ってます。5kmだけどな。サーキットトレーニングできるジムも通ってるし。2月14日には10kmマラソンしてくるし。いけるいけるいける


……マラソンってほんとに完走できるものなのでしょうか。
不安で精神に異常をきたしそうなので、先人がいらっしゃいましたら愛と勇気をご教示ください。

とまあいろいろぐだぐだ書いたけれど、3ヶ月先の目標を決めるのはほんとにオススメです。なんか3ヶ月なら、叶えられそうな気がするんだ。こんな飽き性な私が言うんだから間違いない。



ちなみにですが。わざわざゼビオに行って足のサイズ図ったりなんだりして購入したランニングシューズはこれです。

薄給ひーこら言いながら投資しました。初心者は故障を防ぐのが第一だから、なんか厚底っていうのかクッションがしっかりしてるほうがいいんだって。マラソンのイメージとは離れた形状だけど、これで100kmマラソンとか走ったとかなんとかそそのかされて買いました。今のところはいいかんじ。

生きてることに意味なんてないけど、何かは成したい気もする

適応障害になっちゃう程度の軟弱地盤な私のハートなのですが、「生きてる意味なんてない、しんだほうがいいのでは」という思いからは実は脱却できていまして。いい思考法を見つけたから。

「生きていることにそもそも意味なんてない。だからこそ、やりたいことやっておくしかない」

そもそも人間がこうして都市を形成したりして暮らしていることに、何か特別な意味があるとは思えない。生きてる意味なんてもともとないんだから、意味を探すのは無駄。どうせ意味もないんだから、それなら自分のやりたいことやって楽しく生きるべき。
この観念に辿り着いてからは、絶望的な気持ちが押し寄せても、しんだほうがマシじゃーっていうのはなくなりました。


それはそれでめでたいことなのだけど、今とっても生きにくくて。
適応障害に関しては、問題が嵐のように去っていったので自然と治癒しつつあるのですが。
「何かを成したいような気がするのに、何もできていない」
という毎日が辛い。
贅沢な悩みだけど。

苦手な仕事ばかりしているからかもしれない。苦手な仕事だけで毎日が終わっちゃってるからかも。
開発のディレクターっていう仕事、苦手なんです。でもそういうキャリア積んできちゃったから、仕事としてはできる。でもやっぱりこの分野で自分は勝っていける気がしなくて、精神的にもやられるしで、もうイヤかも。なんて。

自分が何かを成すとしたら、ディレクターじゃなくて、Webメディア系の仕事とかライティングの仕事とか、写真とか、そっち系だと信じていて。だけど、その時間を作るほどの気持ちの余裕がない毎日。
だから辛い、のかな。

うだつのあがらない日々を送っているけれど、きっとまた流れがくるって信じて、毎日を暮らしたいと思う今日このごろです。
生きてることに意味を求めてはいないけど、自分のやりたいこと・やれることは模索しながら、いろんな挑戦して、社会的に存在価値を感じたいなー。
まずはなんだろう、やっぱり精神的余裕を作って、心から楽しく動けるようになりたいでござる。具合悪いわけじゃないんだけど、なんか動けないので。秋だから仕方ないのかな。よくわかんないけど。

時間をとって、気持ちの余裕を作るところから。
ほんとめんどくさい人間だなと嫌気もさすけど、そういう人間だからこそできる仕事もあるんじゃないかって、最近ではプラスにも考えたりなんだりしてます。 それが社会というやつだと、勝手に思い込むようにしてます。


私の好きなブロガーさんとか仕事の後輩とかそういうかわいい方々の影響を受けまして、ついに買いました。フィルムカメラ。

Pentax SP シルバー M42 55mm F1.8付き

Pentax SP シルバー M42 55mm F1.8付き

正確にはこれじゃなくて、pentax s2という子です。40年くらい前に製造されたフィルムカメラで、電池なしで稼働するギークな子なのです。
フィルムカメラの仕組みを勉強したくて購入したけど、機能が簡潔だしアナログで機械が動いてる感じがとてもよくわかるし、大変勉強になっております。まだ現像してないけど。こわい。うまく写ってるかどうかというより、もはや真っ黒とか真っ白になってないかという不安のほうが大きい。それもまた楽しみ、ってやつか。

適応障害をカミングアウトする

「適応障害です」と言われた回数を発症回数とすると、2年ぶり3回目の適応障害を経験いたしました。
これをきちんと「病気」となかなか認識したくないのかできないのかわからないのですが、自分としては認められなくて。だからこそ会社だったり周囲の友人だったりに
「私、適応障害なんですー」 なんて、言うのもはばかられて。
ずっとリアルな人間関係のある人には伝えてきませんでした。

その代わりこのブログであーだこーだ言ってたわけですが……
ついに今の職場のしゃちょーなどは私のブログの存在を知っているという環境でしたので(このブログ経由で採用されたでござるなので)、思い切って伝えてみたほうが気持ちがラクかな、なんて思って、伝えるとこまで頑張った次第です。

適応障害とは

私はいまだに自分のことを「適応障害」だなんて括りに入れられるのがイヤなのですが、それでもきっと「適応障害」だったんだろうなーって、治ったら気づくわけです。
症状としては、ほとんど「うつ病」と言われるやつと一緒だと思います。唯一違うのは、発症原因が明確に存在すること。その原因から距離を置けば、症状はラクになるという、たぶん登校拒否する子と同じような状況なのだと思います。

それで、私の発症原因っていうのは、だいたいの場合人間関係で、だいたいの場合お仕事関係です。
実際どんな症状かというと、

・会社にしぬほど行きたくない、行こうとすると吐いたり頭痛したりして全力で身体が拒否しはじめる
・それでも会社に行くと、基本的に涙が出そうになるので堪える作業でいっぱいになる
・そんなわけで仕事なんて到底進まないし頭なんて働かない
・夜、お布団にインしてもなぜか涙が出たりする

という、もうわけわかんないかんじになります。
でも自分のメンタルが弱すぎるせいだし、そもそも人間関係も言うほど悪くなってないし……って冷静に考えるとそうだってのはわかるのですが、身体がどうしようもなくなるかんじでした。
そして会社を休んだら、それはそれでそこそこ元気になるのだけど、日によってはずっと眠り続けてたりして。
このままほうっておくと、本当にうつ病になっちゃうなーって思いはじめて。

そうして、精神科にかかると、「適応障害」という称号を入手できる次第です。

適応障害をカミングアウトする

過去に適応障害を発症させた理由も、会社だったのですが。
これまでは、会社を辞めることで回避するという、荒業を披露しておりました。
だからフリーランスで生きたほうが社会にとっても有益だろうと思って、フリーランスで活動しようと思ってたのですが。
今の会社は、そんな私をすべて受け入れてくれた上で、私の力を貸してほしいって言ってくれて、そんな稀有な会社あるかいなと思って入社してるわけでございまして。
(あと、釣りや魚突きやバンドやら、趣味がやたらと合致したのも、私としては雇用されてもいいなと思った大きな理由なのだけども)

今の会社は、まだ辞めたくないなーと。
これまでのように会社を辞めて治すという選択肢は、ほんとのほんとの最後の選択肢にしたい、と。
そう思ったら、これはついに、しゃちょーにカミングアウトせなあかん、となったわけでございます。

カミングアウトした結果

採用権を持つ経営陣のふたりに時間をいただきまして、カミングアウトしやした。

「原因はだいたいわかってまして、でも大したことないんですけど、なのに身体がついてこないかんじでして、それってつまり「適応障害」というやつらしいです」

というかんじです。ふざけてるようなテンションじゃないと話せなかった。
そしてなぜかめちゃめちゃ涙出てた。わろた。恥ずかしい。ティッシュもらった。ありがたくチーンって鼻かんだ。

そしたら、しゃちょーさんふたりは。

・辞めないでほしい
・休み休みでもいいから、無理はしないでほしい
・そういうメンタルも含めてあなただし、それも魅力なのだから、自分を深く責めないでほしい
・むしろ発症するまで何もケアできなくてごめんなさい

というかんじでした。美化しすぎてるかもしれない。でもそれでも私は嬉しかった。
伝えられてよかった。


その後、私は無理な日は自宅作業することにしたりしてました。
そしたら、今やっと「あの時は本当に適応障害だったな」って思えるくらいには、わけわからない身体症状と精神状態に悩まされることはなくなってきました。
本当に感謝しかない。
まだ、不安要素もあるので無理はしないけど、会社に恩返ししたいなーっていう社畜精神が芽生えることとなりました。
まあ、無理はこの先もしないでマターリとやりたいですが!


会社深刻に行きたくない病に悩む皆様は、ぜひ一度精神科に通うとよろしいです。
第三者に話すってだけで、案外解決策が見つかってくるものだし、あとは「休職」という手段もとれます。診断書を書いてもらえれば。傷病手当で給料の何割かは休職中はもらえるし。
鬱々とした状態でゲッソリと働くことこそ、社会にとって害悪なので、まずは自分の身体と精神を良好に保つようにすべきかと存じます。
精神科っていうのは最初は勇気要ると思うけども。近所の病院を検索して、初診の方法を調べてみてはいかがでしょうか。

というわけで、適応障害がキツすぎてブログもずっと書けなかったのを、ドバーっと吐き出させていただきました。
やっぱり書くって楽しいなー。
今後とも精進いたしますので、引き続きよろしくお願いいたします。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

↑適応障害になっちゃうような人間で、読んでない人には激しくおすすめします。
ただし、読んで理解しても、適応障害になるものはなる。悲しい。