レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

こんな名前のブログなので「人生のレール」について考えていることを書く

レールを外れて生きようとする青年の話がちまたでは話題になっている模様なので、「レールを外れてもまだ生きる」とかいう青臭いブログタイトルを持つ私が降臨しました。
このブログタイトルをつけたのが、2013年頃でしょうか。年季入ってきました。当時は「レール」について、もう少し信心深く扱っていたものだったのですが、レールを外れたと思ってから3年も経った結果、
「人生にレールなんてない」
というのが大まかな結論になっています。

歩んだあとにしかレールはできない

「人生のレール」を「誰もが思い描けるような順風満帆な人生のこと」と仮定するのであれば。
この現代に「人生のレール」なんて存在しない。
大企業に新卒で就職が決まったとしても、その会社は潰れるかもしれない。そうなった場合、一社でしか勤めたことがないというのはネガティブなスペックになるわけで。潰れない保証のある会社なんてないので、「このレールと思われるなにかキャリアめいたものを走っておけば絶対安心」ということはない。つまり、未来に人生のレールなんて敷かれていなくて、それは自分が作り出した幻想なのかなと。

でも、一生懸命毎日生きたあとを振り返れば、そりゃレールがあるわけで、この先もそのレールを続けるべきだという幻想にとらわれた結果が「人生のレール」の盲信なのかなと思ってます。
例えば私はずっとゲーム業界で一生懸命がんばってきたから、このゲーム業界というレールを外れるのは怖かった。でも、それは一生懸命生きた道を振り返ったらレールになっているだけで、この先ゲーム業界から離れたからって自分のスキルが他で生きないなんてことはないし、そもそもゲーム業界にいること自体が別に自分に本当に合っているとは特に何も保証はない。でも今まで続けてきたからという理由で、「人生のレール」を勝手に定義して、そしてそこから外れることに恐怖するのは、それはすなわち生きにくい盲信だったなあと思っている所存です。

だからまあ、なんていうか、そもそも人生にレールなんてないんだから、「自分の好きなこと・得意なこと」を探しながら、そしてそれを活かしながら生きたらいいと思う。っていう考え方にシフトしていきました。

自分の好きなことをやり続ければ、レールなんて考えなくても生きる術ができる

レールの代わりに軸にしたらこの世が生きやすいんじゃないかなと思うのが、「自分の好きなこと・得意なことを伸ばす」作戦。
どうせ現代はどんどんテクノロジーに置き換わるわけなので、もはや生まれ持った素質で他のひとを圧倒するなにかを持っていないと、生き抜くい。その何かっていうのが早めに見つかっているひとは今ごろリオオリンピックに出たりしているのかなと思うけれど、私なんて器用貧乏のレッテルが似合う人間ですので、もはや何やっても中途半端だった。けど、好きなこと・得意なことを探す過程で見つけたのが、「書くこと」だったりします。
ゲーム業界辞めてどうなることかと思ったけど、書くことをやめずにいたら、実際今そのスキルセットを発揮するのに近しいことを仕事にできてるので、ありがたい限り。大企業を勤め上げるとかそういうレールには乗っていないのかもしれないけれど、自分の好きなこと・得意なことで社会に貢献できているという感覚と、このスキルがあればどこでもやっていけるのではないかというちょっとした自負が、今の私を支えています。

ただし、この世はいまだに学歴社会だし、大企業社会。

さて。
ここまで社会人になってからの話しかしなかったのですが、件の大学生は「大学生を辞める」という「レール」の外れ方をしようとしているわけのようなのですが。
残念ながらこの世はまだ「学歴社会」。私が中学生のときには「学歴社会は終わる!これからは個人の能力の時代だ」という説を聞かされていたのに、現実は学歴社会のまま。就活でもまずは学歴。新しいひとに合ったら学歴の話題はどこかに潜んでる。ちなみに私は旧帝大なのに地味な大学すぎてよく底辺私大と間違えられて、関東ではそういう扱いを受けることだってあります。人間そんなもんだって思ってるし、私も少なからず他人の学歴気にしちゃってる残念なとこあります。
この現実を鑑みるに、別に起業だのプロブロガーだのは、学生の身分を喪失しなくてもできるわけですので、そっちで成功したら学生辞めたらいいじゃん。という至極当然っぽいことを書いておきます。
そしてちなみに、社会人になっても「それまで自分が何をしてきたか」ということを語るとき、「ソシャゲ大手で働いていた」というと話の通りが早かったりするということが多々あるので、残念ながら1社くらいは大企業で働いていたほうがその後ラクに生きられるのではないかと悟っています。となるとますます、足切りなんかで使われる「学歴」の重要性よ。書いてて悲しくなるけど、あと数年くらいはこの流れは変わらないと思う、経歴のわかりやすさ、の大切さ。

変に人生ぜんぶ賭けると、逆に自分の好きなことできなくなる

そして社会人でも大学生でも、好きなことやるにあたって忘れちゃいけないのが、「最初は小さくはじめる」ということ。
変にぜんぶフルフルのフルコミットをぶち込みますと、生きるためにやりたくないことばかりやらざるを得ない状況を作り出してしまいます。そうなると、苦しい。好きなことなんて考えている余裕もなく、日々を生きるためだけに時間を費やすことになりかねません。
その点踏まえるとますます、学生という身分をないがしろにするのはもったいないなあと。社会人も然りで、生きる糧を確保しつつ好きなことやる時間を作って、うまく行ったら現状の整理して得意分野を拡大する、といった戦略を立てることが、上手に人生運ぶコツなんじゃないかと思い始めております。その点私はかつて、派遣OLとして生きる糧を確保しながら、定時ダッシュで帰ってヒマな時間を好きなことする時間に充てられたのはラッキーだったと思っております。

簡単にまとめますと、
社会人になったらレールなんてない。
だけど大学生までは「学歴をつくる」というレールを歩んだほうが、その後の人生の選択肢を広げやすい。
ということで、現状維持しつつまずは小さくはじめてみてはいかがでしょう。という結論です。
学生という身分を活かしていろいろチャレンジするとおもしろいと思いますが。
まああれです、他人に中途半端に介入するのが一番いけないと思うので、件の方には別に何も伝えるつもりはないのですが、自分自身の考えは表明しておきたかったのでそうしました。

なにより、大学生という人生情報に多感な時期に、無責任なこと吹き込む周囲の存在が怖いですよね、もうすでに各方面から指摘済みとは思いますが。私もそういえばどうでもいいですが「はてなブログ講習会」の先生やってください、情弱ビジネスで儲けましょう的な話をいただいたことがあるのを思い出しました。金払ってでも聞きたいというひとがそもそも存在するのか知りませんが、なんというか、もっと社会にとって有意義な仕事して儲けたいでござるよ私は。ていうか「はてなブログ講習会」ってなんだその魑魅魍魎感は。こわいな世の中は。

コーギー貼っときますね。
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