レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

元ゲームプランナー、元派遣OL、現ベンチャーOL。豆腐メンタル女の生き方考え方やら好きなこと書いてます。

叱られた時のショックの消し方

読みました。

anond.hatelabo.jp

 

アラサー女子の私ですが、私も未だに同じ症状を抱えて、人生の長い間つらい思いをしてきました。

だって、なんでも時間できた瞬間にふと、嫌な思い出だけを思い出すんですよね。たぶん人間の防衛本能なんだろうとは思いますが。

私の場合は中学生くらいの記憶からつい最近の記憶まで、けっこう幅広く思い出します。例をあげようとして、最近思い出していなかった記憶をまた思い出しました。大学生のときに、マクドナルドで友達と喋りながらごはん食べてたら、たぶんその席の近くで食べてただろう男性が紙切れ一枚通りすがりに投げつけてきて、そこには「黙れデブ」的なこと書いてました。がーん。うるさくてすみません。とか言う些細なことから、友達にガチ切れされたことまで、大小問わず傷ついたことを思い出してはまた凹む、そんな毎日。

困ってたので本に助けを求めた

で、そんな毎日では苦しくて仕方なかったので、いろんな本を読みました。

そして今はわりと、昔よりは心穏やかに過ごせる日々が続いておりますので、同じ方法で全員が改善するとは思えないけど書き留めさせていただきます。

 

読んだ本で、私がいま実践してるのは下記の本です。有名なやつありますが。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

反応しない練習  あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

 

これらの本を総合すると、私としての理解は下記となります。

 

過去は「自分」ではないと信じる

実際、自分には「いま」しかないわけで、過去の出来事は記憶が勝手にもたらしている幻想にすぎないということを基本的に信じるようにしてます。

今こうやって生きている自分、だけが自分であって、過去はもう自分ではない。

同様の主旨はバカの壁にも書いてあった気がします。

目の前に桜があるとして、余命半年を宣告されたあと見る桜をどう感じるか。宣告前とまったく感じ方は違うけど、桜はただ変わらず咲いているだけ。変わったのは風景ではなく自分。少し前の自分といまの自分の感情が変化しただけで、世界が違って見える。そんなかんじだったような。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

過去の自分は、もはや自分ではないので、必要以上に思い出して反省する必要はまったくない。

なにが真実かはわからないけれど、そう信じるようにしたら気持ちがラクになったし、フラッシュバックの頻度を下げることに成功したような気がします。

 

嫌なこと思い出すのは、どこかで落ち込みたいと思ってるとき、かも

過去の嫌な記憶に関連付けて、自分はなにもできない、トラウマがある、と感じるのは単なる思い込みで、今の自分には関係のないことだ。と、アドラー先生はおっしゃった、らしいです。少なくとも私はそう解釈しました。

でも実際トラウマはある、と思うのですが。

それは「できない」「やりたくない」と思いたいから、トラウマとしてフラッシュバックするのだとか。いまの自分がそう思いたいから、思い出すだけ、という。

だから、「できる」「やれる」「成功する」って思うようにすれば(すなわち、幸せになろうとする勇気を持ち続ければ)、その思い出は嫌な記憶としては思い出さないだろうし、そもそも思い出さなくて済むようになるかも。という考え方。

なんかまさに目から鱗、的な考え方だなあと思いつつ、私はそうやって考えたほうがラクに生きられるなあと感じて、信じることにしました。

 

そもそも他人の問題は自分には関係ない

他人が怒っていようがなんだろうか、いま自分の手で変えられるのは自分だけ。「他者の課題を切り捨てる」 という表現でしたが、これは本当にそうだなと思います。

だから、トラウマとして思い出すきっかけとして「あの人が怒っていたらどうしよう」とか「あの人によく思われたい」とかがあるなら、それはいまの自分には関係ないので考えなくて良い、ってことなんだと思います。

 

とにかく思い出す頻度を減らして、記憶のシナプスを断ち切る

3日前の晩御飯は思い出せないのに、10年前の嫌なことは鮮明に思い出す。

それは、何度も何度も思い出してしまっているせいで、記憶のシナプスが強固になってしまっているから、だそうで。

とにかく思い出しそうになったら、それ以上思い出さないようにする。その地味な努力を積み重ねることで、いつしかすっかり忘れられる……

そう信じてやってますが、成功しているかは不明だし、ずっと不明のままのような気がします。なんたって忘れるのに成功したら思い出せないはずなので、「実際に●個忘れることに成功しました!」とか言い始めるとものすごい矛盾が生じるわけで。せっかく忘れたのに思い出したくないので掘り返さないようにしないと。

というわけで成功したとか失敗したとかPDCA回せない系タスクですが、たぶん効果あると思います。

 

それでも思い出しそうになったら、記憶をまるめてクシャっと捨てる

いつ何時たりともフラッシュバックさんはやってくる。でもやってきたら、まずは遠目に観察する。そして、記憶を新聞紙のようにくるくるクシャクシャまるめこんで、ポイッと捨てる。すぐに好きな歌でも真剣に鼻歌する。

人間の脳みそは大変におしゃべりだしうるさいので、1分くらい嫌な思い出をそれ以上思い出さないように努力すれば、すぐに別の議題に移ってるはず。試しに5分ストップウォッチで測って脳みその議題を観察してみたら、5分前とは全くもって違うことを考えている、はず。

ということが、「反応しない練習」に書いてありました。実際これはやってますが、効果絶大だと思ってます。

なお、瞑想もこの脳みそのおしゃべりを止める技術だと思うので、効果あるんじゃないかと思います。私は瞑想を誰かに習ったことがないので正しいのかよくわからないのですが、よく脳みそがうるさすぎるときは、脳みそがしゃべらないようにする訓練をお風呂に浸かりながらとかやってます。

 

そして話はちょっと逸れるのですが、私が脳みそトラブルで悩んでいることは、トラウマのフラッシュバックとそしてもう一つ。

「他人の成功や幸せへの嫉妬」というのがあります。この嫉妬がけっこうつらい。それこそ、ぜんぜん成功していないうだつの上がらない自分を省みてしまって、しにたくなる。

でも、最近遅ればせながら「幸せになる勇気」を読んで、ちょっと改善されたので合わせて書かせてください。

 

人間の社会は「分業」。分業であるなら、他人の成功は自分も幸せであるはず

例えば自分は弓矢作るのめっちゃ得意。だけど、運動神経が悪いし足も遅いから、狩り自体は他の人に任せる。その「分業」のおかげで食物の総量が増えるなら幸せ。

狩りのエースに嫉妬しがちだけど、自分は自分の得意な場所で淡々と活躍することで分業が成功してエースが誕生するなら、それが結局自分の幸せにもなる。そんな考え方。

この考え方になるほどー、と納得して以来、あんまり嫉妬しなくなったし、他人の成功や幸せを喜べるマインドが育ちはじめました。まだまだ育ちきってないのでいつまたすぐに闇落ちするかもですが、今のところ心から納得できてるので大丈夫そうです。

 

いろいろ書きましたが、正直、本を数冊読んだだけで研究者でもなんでもないので、解釈の正確さはわからないです。が、とりあえず今私が実践してることを書いたら、フラッシュバックに苦しむひとが減るかもと思い書いてみました。

届くといいな。

 

長時間労働を意識的にやめてみた。

結論から申し上げますと、

 

・クリエイティブになったかは知らん

・でも「新しいことに挑戦してみよう」っていう気が起きやすくなった

・これは無駄な仕事ではないかと考える回数が増えた

 

という効果効能が確認されました。

 

私のスペック

いまの会社がわりと好きで、仕事も好き。これまで年に1回は転職してたけど、いまの会社は次の7月でまる3年所属してることになる。私にとっては快挙。

 

そんなわけで、会社のためにモリモリ働くことは別に苦ではなかったので、特に昨年末から4月くらいにかけての半年くらいは、残り少ない20代の体力の限り、人員的な問題と会社的な問題でしぬほど働いてみた。

具体的には、平日は22時くらいまで、土日は必ずどちらか一方は8時間ほど。まあ、世のブラック企業にお勤めの皆さまにとってすればぬるぬるのぬるま湯とは思います。

 

しかも上司やまわりの環境に強制的に働かされてたわけでなく、一応自分の意思で働いていたのであくまで企業が悪いわけではありません。

私も過去の会社では朝まで働いてたこともあったのですが、それが主な原因で転職重ねてるくらいなので、基本働きたくないマインドなのですが。それでも会社や仕事をなんとかしなきゃという虚栄のやる気みたいなのが噴出してたので、長めに働いていたのです。

 

なぜ長時間労働やめたのか

結果、私の持病的存在になりつつある適応障害になりかけました。そりゃそうだ。

そして、そこまで長く働いても、結果は変わらなかった。これ、悲しい現実。

結果、というのは、具体的には会社とか自分の事業の業績が上がったのか、で判断したのですが、これほとんど変わらなかったんです。

 

多分原因は、作業することが仕事になってたからかなあと。ただ機械のように作業するだけなら、機械がやればいいじゃない。

そして、そもそもその作業は会社にとって・ひいては社会にとって必要なのか。そして自分自身にとって必要なのか。

作業に没頭して時間を消費することで満足してたらしい。不要な作業に入り込んで浸るってのは本当に悪だと思う。

 

長時間労働をやめるために、ダラダラ続けることをやめた

その仕事に効果があるかないかなんて、結局やってみなくちゃわからない。

けど、一番の悪は、やってみた結果を検証せずだらだら続けてたこと。

 

私はウェブメディアの仕事をしてるので、具体例がそこに寄ってしまうんですが。

例えば記事配信本数を増やすってことにして頑張って増やしたらしぬほど忙しくなったんですが、まあ一応効果出たけど大局的に見ると金だけ使ったけどこれって記事本数をめちゃくちゃ増やせる資金的な体力がないと無理な戦略だったなっていう気づきを得て。とはいえ効果は出てるしなーというのでだらだら続けつつ、日々の仕事に没頭して時間だけ浪費するという虚無。

ようやくなんとかしなきゃ、って頃にはもう疲れ果ててて、手癖のように仕事してた。なんというか、頭を経由せず仕事するかんじ。

 

なので、まず、今やってる仕事をいったん止めてみた。

そして、本当に必要なものだけをリスタートしてみた。

それだけでも、案外世界は回る。

 

その上で、とにかくやってみてダメだったらすぐ変える、効果の弱いものはやめる。簡単に言うと「ダラダラ続けない」ということをはじめました。

 

するとこれまでやっていたタスクはいったい何だったんだろうという気持ちになり、効果的だと思われる仕事、それはつまり新しい仕事やクリエイティブな仕事に結果としてなるのですが、そういうものに時間を注ぐことができるようになりました。

先ほどの例でいえば、記事配信本数を減らす代わりに記事の質が上がるような編集部体制を整えたりすることに使う時間をつくることができるようになりました。

 

それが本当に効果的なのかは、結果を観測するまでは不明ですが、観測できるようになったらすぐに見て、ダラダラ続けない。ということを最近するようにしてます。

 

そもそも長時間働かないようにした

上記のは、仕事の効率化、とかかっこいい言葉で言うとそうなるのかもしれないですが、まず冷静になって仕事に没頭しすぎてないかを確認するのをまず最初にやったのは、肩の荷が下りたような気がしてよかったです。

 

次に、そもそも長々働く、ということ自体を意識的にやめました。無限に働けてしまうような仕事をしてるのでついつい働いてもいいかなという気分にはいつでもなるのですが、そこはぐっと我慢して。むやみやたらに働かないようにしました。

 

そうして、最初にあげた効果効能が確認できるようになりました。

まず、あ、あれやってみよう、とかいう前向きな気持ちが頻繁に作られるようになったっぽいです。心の余裕がないと、やりたいことなんて湧かないらしいです。

そして、定期的に自分のタスクに対する「これ無駄じゃないか」という振り返りが入るようになりました。なんたって早く帰りたいので、無駄な仕事をしたくない。

 

そんなかんじで、今は週に2回ジムに通って筋トレと水泳に励み、週末にはウォーキング・ランニングやマラソン大会出場なんかを定期的に精力的に取り組んでおります。やっぱり適度なヒマと運動は心にも良いっぽいです。

 

 

というわけでみんなマラソンやろう。いろんな地方の大会に出て大歓迎されるのたのしいぞ。

今日も定時であがれるようにがんばります。 

「旅行実況マストドン」つくりました。

私としてかなり自分のニーズにドンピシャなものを作れたので、心置きなく大宣伝いただきます。

こちらです。

mstdn.voyage

その名も「旅行実況マストドン」。ドーン
所属してる会社でつくりました。

ギークなみなさまの中で話題中の話題、マストドン。
まあざっくりいうとマストドンというのは属性ごとのTwitter、ってかんじでできることはほぼほぼTwitterだと思うのですが。
でもTwitterでは、もはやフォロワーさんが見ているという状況でバシバシとどうでもいいツイート連発するのは、私としてはかなり気が引けてしまって。

そこで、この「旅行実況マストドン」ということでございます。
ここで心置きなくミニ旅行の話をバシバシと投稿。そしてその地の在住者なんかにローカルタイムラインで見つけてもらってアドバイス貰ったりとかできちゃう。

まあそれは副産物的なもので、私の今のところの使い方としては、どうでもいいミニ旅行のどうでもいい内容をがんがんUP。で、ログにしちゃってます。
詳しくは私のページにてご確認いただきたく。

mstdn.voyage

今回の旅は、いやこれが旅なのかというとわからないのですが、JR東日本が開催している「駅からハイキング」というものがございまして、これがまあ、普段行かないような近所を歩けるという最近主に私に刺さってるシステムです。参加者の年代はかなり高めですがそんなの関係ない。

今回はなんとあの日産スタジアムでお馴染み、小机駅から小机城址・日産スタジアム・鶴見川を経由して新横浜まで戻ってくるという13kmの道が設定されてまして、日産スタジアム以外の小机の本気を発見できてなかなか幸せになれました。

そんな旅の本当にどうでもいいログをいっぱい吐けて幸せ倍増。いつも黙々とただ歩いて帰ってきていた「駅からハイキング」ってどうして楽しいのかが説明できるようになった気がします。


というわけで、実況しなくてもいいので、だらっと眺めに来ていただけたら幸いです。
ちなみにこの週末にかけて、私の同僚が東北ヒッチハイク旅行中で実況しているので、よかったらアドバイスしてあげてやってください。

ドメインはmstdn.voyageでございます。

「けものフレンズ」で人生初めてアニメを全話見た。ありがとう。

とにかく私の周りに「けものフレンズ」という単語さえ知らないひとのほうが多くて、この話ができるひとがいない。なのでせめてネットの海にメッセージボトルを投げつけることで、このどうしても誰かに話したい欲求を解放させていただきたい。

私はかつてゲーム制作界隈をぶらついていたのにも関わらず、漫画やアニメに関しては興味がほとんどなくて、特にアニメなんて全くと言っていいほど見たこともなければ見ようとも思わなかった。かつて、けいおんとかまどマギとかおそ松さんとか、そういうのが流行したというのはもちろん情報としては入ってくる、けど自分が見るというところまで行動に移したことはなかった。

どうして「けものフレンズ」は見ようと思ったのか。そもそも「けものフレンズ」という単語を認知したのはたぶん4話くらいのとき。IQが下がるだの、たーのしーだのを覚えた。そして、「みんな違ってみんないい」の世界、だけど、考察班が生まれるほどにストーリーと動物たちに奥深さがある、ということも知った。
そんな各種SNSチャネルにおける「とりあえず無条件で見てもなんだか楽しそう」という評判が、「まあ1話くらい見てみるか、無料だし」という気持ちにさせてくれた。

で、1話見た。なんかちょっと不自然で安っぽいアニメだなあって開始5分くらいは思った。
でも見終わったあとに良くわかった、「みんな違ってみんないい」。
この先どんな「みんな違ってみんないい」が繰り広げられるのか。続きが見たいと思った。とりあえずネット配信されてるもの課金して見た。動物園に行ってみたくなった。

5話あたりまで見たら、ストーリーの続きが気になるようになってきた。図書館に着いたらどうなるんだろう、かばんちゃんは何者なんだろう、そして、このお話の結末はどうするんだろう。

1週間遅れのネット配信で、ついに11話までたどり着いた。けものフレンズの結末のことで頭がいっぱいになった。次回が気になりすぎて生きるのが辛いレベル、だなんて人生で数えるほどしかないと思うけど、以前の例が思い出せないのでもしかしたらそんな気持ちになったのさえ初めてなんじゃないか、このひなびたアラサー女がこの歳でこのワクワク感。
最終回はオンタイムで見よう、と決意した。
……実際には、25時半まで起きられずに録画して寝て早起きして、スマホをいじる前に見た。

まあ、泣いた。泣くの我慢しまくって疲れた。それでもこぼれた。
全話きちんと見てきたからこその、ご褒美のような最終回。今まで見てきたからこそ納得感のあるフレンズ達の行動の数々。そして無事、ハッピーエンド。
全話見て良かった。本当に良かった。

これをきっかけにアニメが好きになる、ということはないかなあとは思うけど、「深夜アニメ」に対しての考え方は少し変わった。
けものフレンズなんて、別に内容自体は朝でもゴールデンタイムでも放映できるし。「深夜アニメ」という語感の印象が変わった。

あと、動物園行きたい。

寄稿のご報告と、稼げないブログについて。

下記記事を寄稿させていただきました。

www.e-aidem.com


「女性の生き方・働き方」系で、きちんとしたかたちで寄稿するのは初めてのこと。
まずお声をかけていただいたこと、そしていつしかライフワークにしたいと考えている方面での寄稿依頼だったことで、嬉しさのあまりいつも読んでくださっている皆様にもご報告です。

ブログは、稼げない

巷では、ブログに好きなこと書いても稼げない的なエントリがよく読まれているようですが、私も概ね同意していて、もしブログだけで飯を食うとしたらジャンルを絞ってビジネスだと割り切ってやったほうが効率がいい。一応いまの仕事はそういったジャンルも主戦場の一部なので、やろうと思えばもっとPDCA回してやらないといけないということは身をもって知っているつもり。

写真家界隈でも同じような話、ありますね。

私は、あの青い池の写真がAppleに採用されたケント白石というお方の、「好きな写真を撮るために、宿業と両立させる」というスタンスが好きで、影響受けているような気がします(参考記事)。

プロのカメラマンなんかやってしまったら、"写真で食える"のは間違いないけど、クライアントのニーズに沿った写真しか撮れないだろうし。あくまで写真を自己表現やアートの場だと捉えるなら、クライアントのニーズよりも自分の感情を写真として表現したいわけで。となると、いくら写真を"綺麗に撮れる"としても、プロのカメラマンとしては生きていけない(し、そんな生き方したくない、とケント白石氏は言ってます)。

アフィリエイトサイトも、ブロガーも然り。読者のニーズを汲み取って、読者のニーズに応える記事を書かなければ、食ってはいけません。好きなことなんか書いても儲からないのは、このあたりのロジックだと思ってます。
本当に好きなこと書いて生きていきたいんだったら、別の事業と両立させるのが実はいま、一番いいのかも。

それでもブログを書く理由

でもそんな中で、自分のブログだけは「書きたいから書く」「書きたいことだけ書く」ということを細々と続けてきました。

細々すぎて、もう開設からは7年くらい経っているような気がするけど、結果として儲かってはいないです。それに加えて読者数を伸ばす努力も怠っちゃって、たいしたPVもないです。本当に。(そんな中で読んでくださっている皆様にはなんと感謝したら良いのか)

でもそんな弱小ブログをはてなの片隅でしたためるなかで芽生えてきた感情としては。
自分の生き方や考え方を書くことで、「少しでも同じように苦しんでるひとの役に立つことはできないのだろうか」という、思い。

政治家になりたいひとの気持ちなんてまったくわからなかったけど、たしかに社会を変えるには政治家になるのが早そう。ブログ書くよりも世界を変えられる。

でも私はやっと落ち着いた今の仕事が好きだし、今の仕事を続けながら気持ちをアウトプットして、そして少しでも誰かの人生や社会を良い方向に変えられるとしたら、それは願ってもない好機だなあと。
りっすんさんの記事のブコメに、「つわりを我慢しないで明日報告してみようと思う」というコメントがついていて、じんわりきたというのもいい経験です。

そういう考えに至っていた今、こういう寄稿のチャンスをいただけるというのは本当にありがたいです。
こういうアプローチで、本業と執筆業の両輪をくるくると回していけたら。今のところそれが、私の生き方でしっくりきています。


というわけで、ブログっていうのは直接的に稼ぐためだけのツールじゃないよと言いたい。こうやってなんらか頑張って、誰かのことを思いながら書いた文章っていうのは、大半はインターネット海の藻屑となるようだけど、少なくとも自分の糧となって蓄積されるようだということだけは忘れないでいたいです。


どうでもいいけど、今回引用させていただいたニャートさんが出てきたときはキャラかぶってるなーとかなんか仲間かなとか思ってたのに、いつの間にはるかに有名になられたようで、なんというか、悲しいけど、応援してます。一緒に仕事できる日がくると嬉しいな…なんて。。

寄稿報告だけしようと思って画面に向かったら、結局いっぱい書いちゃうあたり、やっぱりわたし、がちゃがちゃと気持ちを打ち込むの好きなようです。生きられるようにがんばります。