レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

元ゲームプランナー、元派遣OL、現ベンチャーOL。豆腐メンタル女の生き方考え方やら好きなこと書いてます。

プレミアムフライデーが会社にとってプレミアムになった日

本来のプレミアムフライデーとは用途がちょっと違ってしまっているかもしれないけれど、昨日のプレミアムフライデーは多分会社にとって歴史的1日になった、はず。というかそうであってほしい。

というのも、昨日が月末金曜日だったので、15時で会社上がろうーって話がプレミアムフライデーの本来だと思うのですが。

私たちはその15時以降を、ずっとやりたくても時間がないことを言い訳にできていなかった、新規事業のために時間を費やすことに成功できたのです。

 

ベンチャー企業の端くれをやっているのにも関わらず、そういうキラキラ系新規事業に着手してなかったんかい、ってかんじですが。

ベンチャーと名乗り続けて6年目だったかの会社には、日々のタスクだけでけっこう精一杯なとこもちらほら出ておりまして。ベンチャーらしい仕事やりたくてこの会社入ったのにおかしいな草生える、みたいな日々、正直あったんです。

 

でもようやく、プレミアムフライデーを無理矢理の自己解釈を行うことによって、本当にプレミアムな1日にすることができたと思う。すごい楽しかった。この感覚久々すぎて、まだ興奮冷め上がらず、いまこうして書き出している次第なわけです。

一応うちの会社は本来の意味でのプレミアムフライデーもやっているので、15時以降は退社してもいいとは思うんですけど、私はせっかく過ごすならこういう時間の使い方するほうが面白いんじゃないかと思ってこの方針に大賛成しております。

 

何をやったかというと、15時になったら、私たちは基本リモートワーカーなのでまずビデオミーティングで全員と繋ぎまして。そしてその新規事業について話しながらどんどん決めて、どんどん作る。

ただそれだけ。

ただそれだけのことなのに、時間を敢えて作らないとできないなんてある意味情けない話ではありますが、これがものすごい良かった。みんなで新しいことの作業を時間を共有しながらする時間、ものすごく充実感あったんです。

 

そしてこの流れで、月末だけでなく毎週の金曜日に、この新規事業のために作業時間を確保すると決めまして。来週も大変楽しみです。こうでもしないとやっぱり人間、日々作業に追われてると新しいことはじめられないものなのだなあと思います。

結局Googleの20%ルールと似たようなことやってるだけですが。でも会社としてようやくそのあたりを仕組み化できて、前進しはじめたので、未来が開けてきたかんじです。

 

というかこの少人数の規模の会社でさえ、ここまでくるのに時間がかかったと思うと、そこは本当に良くない。フットワークの軽さこそベンチャー気質の醍醐味で魅力だったはずなのに。自分たちが無事生活できるくらいに稼ぐことを維持しながら、その上で新しいことはじめるというのは、口で言う以上に大変なことなのだと実感してます。

 

仕事のことを純粋に楽しいって思うの、正直久々だったので、いま大変ハッピーです。やっぱり新しいことにチャレンジするのってエネルギッシュになれます。最近疲れ切って、土日にパソコン開くことなんてほぼほぼなかったんですが、今日はAdobe XDちゃんをいじり倒そう、とか思っちゃってます。

そういう意味では、私のやる気を遠回しに向上させたマネジメントの勝利ですね。ほんと、いいように使われてる気がしますが仕方ない。まあそれが私なので、今日はどうせ雨だし新しいサービスのことぬくぬく考えながら、たまにギターの練習でもして過ごすことにしようっと。

3年後も5年後も想像するのちょっと辛い

こんなに辛いことだったんだな、って今日気がついた。

不妊治療中の今、子どもができるかできないかもわからないのに未来のことを考えさせるなんて酷だと思う。今日たまたま会社でそういう話題を振られて、なかなか逃げ場がなくて辛かった。

将来どうなっていたいか、なんて就活セミナーとかでありそうな質問だけど。

たしかに25歳の時にこの話題を振られたとしても困らなかったかも。30歳までに第一子、そして家庭第一にしながらも働いていたいなーとか答えてたんじゃないか。それはもう牧歌的だった。

30歳になった今。

残念ながら28歳のとき流産しちゃってからというもの、授かりものはやってこない。そうして不妊治療してるわけだけど、毎月毎月、できるかもしれないしできないかもしれない。そんな毎月先行き不透明な日々送ってるなか、数年後の想像をするのって、けっこう心理的に抵抗感があるものであると気がついた。

 

〇〇歳までに〇〇になっていたい、というのっていまは人生史上最大に超難問だなーと。そりゃお母さんになってたいけど。けど。

 

その場にもいろんなフェーズの人がいて、わたしより年上の女性で最近彼と別れたって方もいたり。もしもその方が子どもが欲しいと思ってるのにそういう状況だったら、と思うと、私は「子どもほしいです!!」とか声を大にしては言えない。

この質問に対して結局私は、「子どもは欲しいけどできるかわからないし、どっちにしても先の想像がしにくくて辛い」と正直に答えた。それでなんとなく察してくれたっぽい空気になったので報われた。

 

もやもやはまだしてる。どういうのが正解だったんだ。

 

オフィスがなくなってから3ヶ月が経った

いや、正確にはあるんですが。

もともと品川にあったんです、オフィス。駅徒歩10分の山の上にあって、通勤が登山のようで運動不足解消に一役買ってたんじゃないかって今は思います。

7月のある日のこと。
社長が突然「オフィス解約した」って言い出すからめっちゃ爆笑して。すごいなこの会社と思ったものです。なんでも家賃を浮かせたいとかなんとかで。

当初は完全に無くしちゃおうってなってたんですが、やっぱり家具とか勿体無いし、集まれる場所は欲しいよねと相成りまして。
だって品川のオフィスもけっこうこだわってDIY頑張ってたんですもの。
f:id:colopon:20171019172621j:plain
あー懐かしい、いまは亡き品川オフィス。こんなかんじでした。がんばってますよね。

で、これらの備品達も捨てるのは勿体無いね、ということで、オフィスを「移転」にしようということになったのですが。家賃抑えたい、ということで、最近よくお世話になっている千葉県は成田市で借りようとなりまして。
成田山新勝寺の参道そばの一軒家をお借り上げすることに。

というわけで、成田まで片道2時間かかるので、オフィスは月1出勤になりました。つまりオフィスがあるようでないような状況。
最初はどうなることかと思ったものですが、なんとなく上手くやっています。

すごいですね、最近の技術というか。オフィスっていらないのかもしれないと本気で思います。
だってSlackでチャットすればだいたい円滑に進むし、最悪電話すればいいし。週に一度はビデオミーティングで一応顔合わせと状況確認はしていますが、これのお陰で出勤日でも1ヶ月ぶりに会ったね久々、ってかんじにはならないんです。

でもこんなすんごく遠いオフィスでも、あるといいなと思うこともあって、やっぱり帰る場所があると言いますか、集まれるホームがあるというのは心理的に落ち着きます。そして庭付き一軒家なので、炭火でバーベキューできちゃうとかいう特典つき。やったー。

あと対外的な見え方を意識しているというのもありますが。オフィスないベンチャーってけっこう怪しく思われるだろうし。

そんなこんなで、斜面に建ってる年季の入った一軒家というせいで床の傾きもピカイチなおうちではございますが、DIYをまた頑張りました。残念ながらきちんと撮った写真がないので、また折を見てDIY自慢させてください。

問題があるとすれば、本気で丸一日、家を出ない日が頻発するということでしょうか。今日も出ません。
私は一応マラソンを趣味にしているので、週2日くらいは外で走るようにしていて、歩行機能の衰えなどは感じずに済んでいるのですが、これがもしまったく運動の習慣がなかったらどういう身体になっていくのだろうという若干の不安があります。

でもそれくらいですかね。不安があるとしたら。
オフィスを都心にどーんと構えるのは、小さい会社のうちは不要なのだなあと思いました。たぶん、従業員が増えてきたら話が変わってくるとは思いますが。ベンチャー界隈な皆様には郊外の一軒家を思い切ってオフィスにしちゃう案、オススメです


そんな近況報告でした。
最近、自分がよく読むブログ達が、そのひとの些細な日常だったり小さな挑戦だったりを書いているものばかりだなーと思い、私もささやかな日常をこまめに書くのを再開しようと決意しました。
それがブログのおもしろさだなっておもいます。たいそうなことはメディアにおまかせして、私はどうでもいい毎日を書き留める楽しさを見い出しはじめております。

叱られた時のショックの消し方

読みました。

anond.hatelabo.jp

 

アラサー女子の私ですが、私も未だに同じ症状を抱えて、人生の長い間つらい思いをしてきました。

だって、なんでも時間できた瞬間にふと、嫌な思い出だけを思い出すんですよね。たぶん人間の防衛本能なんだろうとは思いますが。

私の場合は中学生くらいの記憶からつい最近の記憶まで、けっこう幅広く思い出します。例をあげようとして、最近思い出していなかった記憶をまた思い出しました。大学生のときに、マクドナルドで友達と喋りながらごはん食べてたら、たぶんその席の近くで食べてただろう男性が紙切れ一枚通りすがりに投げつけてきて、そこには「黙れデブ」的なこと書いてました。がーん。うるさくてすみません。とか言う些細なことから、友達にガチ切れされたことまで、大小問わず傷ついたことを思い出してはまた凹む、そんな毎日。

困ってたので本に助けを求めた

で、そんな毎日では苦しくて仕方なかったので、いろんな本を読みました。

そして今はわりと、昔よりは心穏やかに過ごせる日々が続いておりますので、同じ方法で全員が改善するとは思えないけど書き留めさせていただきます。

 

読んだ本で、私がいま実践してるのは下記の本です。有名なやつありますが。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

反応しない練習  あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

 

これらの本を総合すると、私としての理解は下記となります。

 

過去は「自分」ではないと信じる

実際、自分には「いま」しかないわけで、過去の出来事は記憶が勝手にもたらしている幻想にすぎないということを基本的に信じるようにしてます。

今こうやって生きている自分、だけが自分であって、過去はもう自分ではない。

同様の主旨はバカの壁にも書いてあった気がします。

目の前に桜があるとして、余命半年を宣告されたあと見る桜をどう感じるか。宣告前とまったく感じ方は違うけど、桜はただ変わらず咲いているだけ。変わったのは風景ではなく自分。少し前の自分といまの自分の感情が変化しただけで、世界が違って見える。そんなかんじだったような。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

過去の自分は、もはや自分ではないので、必要以上に思い出して反省する必要はまったくない。

なにが真実かはわからないけれど、そう信じるようにしたら気持ちがラクになったし、フラッシュバックの頻度を下げることに成功したような気がします。

 

嫌なこと思い出すのは、どこかで落ち込みたいと思ってるとき、かも

過去の嫌な記憶に関連付けて、自分はなにもできない、トラウマがある、と感じるのは単なる思い込みで、今の自分には関係のないことだ。と、アドラー先生はおっしゃった、らしいです。少なくとも私はそう解釈しました。

でも実際トラウマはある、と思うのですが。

それは「できない」「やりたくない」と思いたいから、トラウマとしてフラッシュバックするのだとか。いまの自分がそう思いたいから、思い出すだけ、という。

だから、「できる」「やれる」「成功する」って思うようにすれば(すなわち、幸せになろうとする勇気を持ち続ければ)、その思い出は嫌な記憶としては思い出さないだろうし、そもそも思い出さなくて済むようになるかも。という考え方。

なんかまさに目から鱗、的な考え方だなあと思いつつ、私はそうやって考えたほうがラクに生きられるなあと感じて、信じることにしました。

 

そもそも他人の問題は自分には関係ない

他人が怒っていようがなんだろうか、いま自分の手で変えられるのは自分だけ。「他者の課題を切り捨てる」 という表現でしたが、これは本当にそうだなと思います。

だから、トラウマとして思い出すきっかけとして「あの人が怒っていたらどうしよう」とか「あの人によく思われたい」とかがあるなら、それはいまの自分には関係ないので考えなくて良い、ってことなんだと思います。

 

とにかく思い出す頻度を減らして、記憶のシナプスを断ち切る

3日前の晩御飯は思い出せないのに、10年前の嫌なことは鮮明に思い出す。

それは、何度も何度も思い出してしまっているせいで、記憶のシナプスが強固になってしまっているから、だそうで。

とにかく思い出しそうになったら、それ以上思い出さないようにする。その地味な努力を積み重ねることで、いつしかすっかり忘れられる……

そう信じてやってますが、成功しているかは不明だし、ずっと不明のままのような気がします。なんたって忘れるのに成功したら思い出せないはずなので、「実際に●個忘れることに成功しました!」とか言い始めるとものすごい矛盾が生じるわけで。せっかく忘れたのに思い出したくないので掘り返さないようにしないと。

というわけで成功したとか失敗したとかPDCA回せない系タスクですが、たぶん効果あると思います。

 

それでも思い出しそうになったら、記憶をまるめてクシャっと捨てる

いつ何時たりともフラッシュバックさんはやってくる。でもやってきたら、まずは遠目に観察する。そして、記憶を新聞紙のようにくるくるクシャクシャまるめこんで、ポイッと捨てる。すぐに好きな歌でも真剣に鼻歌する。

人間の脳みそは大変におしゃべりだしうるさいので、1分くらい嫌な思い出をそれ以上思い出さないように努力すれば、すぐに別の議題に移ってるはず。試しに5分ストップウォッチで測って脳みその議題を観察してみたら、5分前とは全くもって違うことを考えている、はず。

ということが、「反応しない練習」に書いてありました。実際これはやってますが、効果絶大だと思ってます。

なお、瞑想もこの脳みそのおしゃべりを止める技術だと思うので、効果あるんじゃないかと思います。私は瞑想を誰かに習ったことがないので正しいのかよくわからないのですが、よく脳みそがうるさすぎるときは、脳みそがしゃべらないようにする訓練をお風呂に浸かりながらとかやってます。

 

そして話はちょっと逸れるのですが、私が脳みそトラブルで悩んでいることは、トラウマのフラッシュバックとそしてもう一つ。

「他人の成功や幸せへの嫉妬」というのがあります。この嫉妬がけっこうつらい。それこそ、ぜんぜん成功していないうだつの上がらない自分を省みてしまって、しにたくなる。

でも、最近遅ればせながら「幸せになる勇気」を読んで、ちょっと改善されたので合わせて書かせてください。

 

人間の社会は「分業」。分業であるなら、他人の成功は自分も幸せであるはず

例えば自分は弓矢作るのめっちゃ得意。だけど、運動神経が悪いし足も遅いから、狩り自体は他の人に任せる。その「分業」のおかげで食物の総量が増えるなら幸せ。

狩りのエースに嫉妬しがちだけど、自分は自分の得意な場所で淡々と活躍することで分業が成功してエースが誕生するなら、それが結局自分の幸せにもなる。そんな考え方。

この考え方になるほどー、と納得して以来、あんまり嫉妬しなくなったし、他人の成功や幸せを喜べるマインドが育ちはじめました。まだまだ育ちきってないのでいつまたすぐに闇落ちするかもですが、今のところ心から納得できてるので大丈夫そうです。

 

いろいろ書きましたが、正直、本を数冊読んだだけで研究者でもなんでもないので、解釈の正確さはわからないです。が、とりあえず今私が実践してることを書いたら、フラッシュバックに苦しむひとが減るかもと思い書いてみました。

届くといいな。

 

長時間労働を意識的にやめてみた。

結論から申し上げますと、

 

・クリエイティブになったかは知らん

・でも「新しいことに挑戦してみよう」っていう気が起きやすくなった

・これは無駄な仕事ではないかと考える回数が増えた

 

という効果効能が確認されました。

 

私のスペック

いまの会社がわりと好きで、仕事も好き。これまで年に1回は転職してたけど、いまの会社は次の7月でまる3年所属してることになる。私にとっては快挙。

 

そんなわけで、会社のためにモリモリ働くことは別に苦ではなかったので、特に昨年末から4月くらいにかけての半年くらいは、残り少ない20代の体力の限り、人員的な問題と会社的な問題でしぬほど働いてみた。

具体的には、平日は22時くらいまで、土日は必ずどちらか一方は8時間ほど。まあ、世のブラック企業にお勤めの皆さまにとってすればぬるぬるのぬるま湯とは思います。

 

しかも上司やまわりの環境に強制的に働かされてたわけでなく、一応自分の意思で働いていたのであくまで企業が悪いわけではありません。

私も過去の会社では朝まで働いてたこともあったのですが、それが主な原因で転職重ねてるくらいなので、基本働きたくないマインドなのですが。それでも会社や仕事をなんとかしなきゃという虚栄のやる気みたいなのが噴出してたので、長めに働いていたのです。

 

なぜ長時間労働やめたのか

結果、私の持病的存在になりつつある適応障害になりかけました。そりゃそうだ。

そして、そこまで長く働いても、結果は変わらなかった。これ、悲しい現実。

結果、というのは、具体的には会社とか自分の事業の業績が上がったのか、で判断したのですが、これほとんど変わらなかったんです。

 

多分原因は、作業することが仕事になってたからかなあと。ただ機械のように作業するだけなら、機械がやればいいじゃない。

そして、そもそもその作業は会社にとって・ひいては社会にとって必要なのか。そして自分自身にとって必要なのか。

作業に没頭して時間を消費することで満足してたらしい。不要な作業に入り込んで浸るってのは本当に悪だと思う。

 

長時間労働をやめるために、ダラダラ続けることをやめた

その仕事に効果があるかないかなんて、結局やってみなくちゃわからない。

けど、一番の悪は、やってみた結果を検証せずだらだら続けてたこと。

 

私はウェブメディアの仕事をしてるので、具体例がそこに寄ってしまうんですが。

例えば記事配信本数を増やすってことにして頑張って増やしたらしぬほど忙しくなったんですが、まあ一応効果出たけど大局的に見ると金だけ使ったけどこれって記事本数をめちゃくちゃ増やせる資金的な体力がないと無理な戦略だったなっていう気づきを得て。とはいえ効果は出てるしなーというのでだらだら続けつつ、日々の仕事に没頭して時間だけ浪費するという虚無。

ようやくなんとかしなきゃ、って頃にはもう疲れ果ててて、手癖のように仕事してた。なんというか、頭を経由せず仕事するかんじ。

 

なので、まず、今やってる仕事をいったん止めてみた。

そして、本当に必要なものだけをリスタートしてみた。

それだけでも、案外世界は回る。

 

その上で、とにかくやってみてダメだったらすぐ変える、効果の弱いものはやめる。簡単に言うと「ダラダラ続けない」ということをはじめました。

 

するとこれまでやっていたタスクはいったい何だったんだろうという気持ちになり、効果的だと思われる仕事、それはつまり新しい仕事やクリエイティブな仕事に結果としてなるのですが、そういうものに時間を注ぐことができるようになりました。

先ほどの例でいえば、記事配信本数を減らす代わりに記事の質が上がるような編集部体制を整えたりすることに使う時間をつくることができるようになりました。

 

それが本当に効果的なのかは、結果を観測するまでは不明ですが、観測できるようになったらすぐに見て、ダラダラ続けない。ということを最近するようにしてます。

 

そもそも長時間働かないようにした

上記のは、仕事の効率化、とかかっこいい言葉で言うとそうなるのかもしれないですが、まず冷静になって仕事に没頭しすぎてないかを確認するのをまず最初にやったのは、肩の荷が下りたような気がしてよかったです。

 

次に、そもそも長々働く、ということ自体を意識的にやめました。無限に働けてしまうような仕事をしてるのでついつい働いてもいいかなという気分にはいつでもなるのですが、そこはぐっと我慢して。むやみやたらに働かないようにしました。

 

そうして、最初にあげた効果効能が確認できるようになりました。

まず、あ、あれやってみよう、とかいう前向きな気持ちが頻繁に作られるようになったっぽいです。心の余裕がないと、やりたいことなんて湧かないらしいです。

そして、定期的に自分のタスクに対する「これ無駄じゃないか」という振り返りが入るようになりました。なんたって早く帰りたいので、無駄な仕事をしたくない。

 

そんなかんじで、今は週に2回ジムに通って筋トレと水泳に励み、週末にはウォーキング・ランニングやマラソン大会出場なんかを定期的に精力的に取り組んでおります。やっぱり適度なヒマと運動は心にも良いっぽいです。

 

 

というわけでみんなマラソンやろう。いろんな地方の大会に出て大歓迎されるのたのしいぞ。

今日も定時であがれるようにがんばります。