レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

滅んでほしい「内祝い」文化を楽しむ方法

だいたい「内祝い」という単語さえよく知らなかったのだけど、どうやらこういうことだそうです。

内祝いは、「身内の中で起こったおめでたいことや、喜びをお裾分けする」という意味の言葉です。

内祝いとは?内祝いの意味と種類、喜ばれる贈り物を紹介 | カタログギフトのハーモニックより

で、なかでも出産内祝いというのは。

おもに、出産祝いをいただいた方に出産内祝いを贈ります。この場合も、いただいたお祝いの半額を目安にするのがいいでしょう。

内祝いとは?内祝いの意味と種類、喜ばれる贈り物を紹介 | カタログギフトのハーモニックより

いただいたお祝いの半額を目安に、お返しをする

ということだそうです。

 

これって例えば、現金をいただいても、その半分の金額ってなんらかの物をお返しするということだよね。

…ぜんぜん合理的じゃない。

相手はせっかく「育児に使ってね」っていう思いでくださっているのに。なんで半分を謎お菓子にして送り返さないといけないの。

贈答屋さんの罠でしょこれ。

たとえ幸せのおすそ分けだとしても、ちょっとお返しが派手すぎませんかね。

 

という思いが湧き上がり、我が家の出産内祝いは下記の通り、思う存分楽しませていただきました。

たぶん受け取ってくださった方は嫌な思いはしてないと思う。まあ嫌な思いしてても私の耳には入っていない。観測されないものは無いものとするので、よってみんな幸せになった。うん。

 

それでは我が家の楽しみ方を発表いたします。

 

写真を送るいい機会、とする

基本的には「幸せのおすそ分け」なんだから。

価格がプライスレスなはちゃめちゃ可愛い我が子のプレミア写真を、お安めなお菓子に添えて送ればいいんじゃない。

 

この場合、お菓子はもはや「おもちゃについている謎ラムネ」みたいなもので、私が思う本体は、写真である。

けど、写真だけ送りつけるのはそれはそれで親バカ露呈MAXなので気が引けちゃう。

 

そこで、内祝いなんです。

内祝いと偽かけて写真を見せびらかせるムフフな儀式なんです。

というわけで、内祝いいらないよとわざわざ言っていただいた方にも送らせていただいちゃいましたよ。それはそれで本末転倒感もあるけど、うちの子かわいいんだから仕方ない。

 

ちなみに写真ですが、写真つきメッセージカードにしようと思いまして。でも産後1ヶ月でパソコンでゴリゴリ作るのはしんどいので、スマホ完結型サービスを探しました。

で、結果的にたまひよの内祝いで作って送りました。写真さえ撮ってあれば、あとはスマホだけでいいかんじにメッセージカード作れちゃったので、ありがたかった。たまひよに加担したみたいでなんだか悔しいけれど役立ちました。

うちの子見ます?????

 

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うふふ。可愛さは隠しきれないなあ

 

 

なお、会いにきてくれた等で写真送る必要ないと判断したひとには、そのひとが喜びそうなものをチョイスして送りつける作業を気分転換にやってました。これもけっこう面白い。

で、送った人に「内祝いありがとうございました。さっそく作りました」と言ってもらった画像です

 

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美味しそうに仕上がっててなによりです。

母になったからこそ「好きなこと」を大事にする

母になっても、いや、母になったからこそ、ますます「好きなこと」をやる時間を大切にしたいな、と。

 

なぜ「好きなこと」をやる時間を大切にしたいか。それはとても単純明快で、私の精神安定こそ、この家庭を平和に保つためにたいせつなことだから。

 

わたしのメンタルはよく故障する。これまで何度も何度も故障して、その整備のために、通院したり休職したり転職したり働き方を変えたり、といろんなアプローチをしたものであります。

で、なんとなくわかってきた、私のメンタルの故障原因。

だいたいは、忙しすぎること。そして、何もできていないんじゃないかという、虚無感を必要以上に感じてしまうこと。

文字にしてしまえばたったこれだけのことで、私は散々路頭に迷ってきたわけだ。

 

だからまず、忙しすぎないようにしなければならないわけで。

家事はとにかく自動化に全振り。ルンバや食洗機はもちろん導入済み(洗濯乾燥機だけ設置場所等の理由でまだ導入できてないのは悩み)。最近はホットクックも導入済み。これええですよ、ほんと。料理わりと好きな私の心もそれなりに満たしてくれるし。

 

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そして、「好きなこと」をやる。

 

「好きなこと」ってなんだろう。

実は、なにが好きかなんてよくわからない。わたしはかなり、何にでも手を出してしまうタイプで、そしてそれなりにうまくやる、けど大成はしない・できない。いわゆる器用貧乏。このご時世では生きにくいタイプだろう、いまの世の中は才能が一点に集中してたほうがうまくいく。かなしいなあ。

 

嘆いていても仕方ない。

だから、自分の本当に「好きなこと」「得意なこと」探しも兼ねて、その時その時に「やりたい!」と心から思えることにとにかく挑戦するようにしてる。

 

わたしの場合、今はそれが編み物とソーイング。

なぜやりたいかはわからない、たぶん生活に合ってて挑戦しやすく、そして実用的なアイテムが作れるからだろう。

やって意味があるかなんていよいよわかんない。きっと直近では意味がないし才能もまったく感じない。でもやりたいんだったらやればいいし、やめたくなったらやめればいい。

 

好きなことやろう探そうって思うのも、小さな成功体験があるからだろうとは思う。「好きなこと」としてブログを書いたり、旅行をしたりしていたら、今の会社に拾われたわけで。ほんと、大した成功体験でもないんだけど。でも、好きだと思えることをやってた結果が仕事につながり、人生につながっていくことって、素敵だなあ、って。

 

人生、何が「意味のあること」になるかなんて、死ぬ間際までわからんものなんだと思う。

だからこそ、やりたいことをどんどんやっていくべきじゃないかな、たとえ母になっても、とか漠然と思いながらオムツ替えする日々です。

 

黒柳徹子さんが

「今から先の人生で今が一番若い」

と言っていろんなチャレンジするのほんと尊敬する。

チャレンジするのに躊躇することがあったらこの言葉を思い出すようにしている。

 

まあ、現実はそんなに甘くはない。わたしはいま、我が子が撒き散らした💩が四方八方についたシーツを手洗いし、洗濯機に放り込んで洗い終わるのを待ちながらこれを書いている。溜め込んだ💩を放出した我が子はすやすやと眠っている。これを安らかに見守ることができるのも、自分のメンタルがまだ荒んでないからだと思う。

3年後も5年後も想像するのちょっと辛い

こんなに辛いことだったんだな、って今日気がついた。

不妊治療中の今、子どもができるかできないかもわからないのに未来のことを考えさせるなんて酷だと思う。今日たまたま会社でそういう話題を振られて、なかなか逃げ場がなくて辛かった。

将来どうなっていたいか、なんて就活セミナーとかでありそうな質問だけど。

たしかに25歳の時にこの話題を振られたとしても困らなかったかも。30歳までに第一子、そして家庭第一にしながらも働いていたいなーとか答えてたんじゃないか。それはもう牧歌的だった。

30歳になった今。

残念ながら28歳のとき流産しちゃってからというもの、授かりものはやってこない。そうして不妊治療してるわけだけど、毎月毎月、できるかもしれないしできないかもしれない。そんな毎月先行き不透明な日々送ってるなか、数年後の想像をするのって、けっこう心理的に抵抗感があるものであると気がついた。

 

〇〇歳までに〇〇になっていたい、というのっていまは人生史上最大に超難問だなーと。そりゃお母さんになってたいけど。けど。

 

その場にもいろんなフェーズの人がいて、わたしより年上の女性で最近彼と別れたって方もいたり。もしもその方が子どもが欲しいと思ってるのにそういう状況だったら、と思うと、私は「子どもほしいです!!」とか声を大にしては言えない。

この質問に対して結局私は、「子どもは欲しいけどできるかわからないし、どっちにしても先の想像がしにくくて辛い」と正直に答えた。それでなんとなく察してくれたっぽい空気になったので報われた。

 

もやもやはまだしてる。どういうのが正解だったんだ。

 

叱られた時のショックの消し方

読みました。

anond.hatelabo.jp

 

アラサー女子の私ですが、私も未だに同じ症状を抱えて、人生の長い間つらい思いをしてきました。

だって、なんでも時間できた瞬間にふと、嫌な思い出だけを思い出すんですよね。たぶん人間の防衛本能なんだろうとは思いますが。

私の場合は中学生くらいの記憶からつい最近の記憶まで、けっこう幅広く思い出します。例をあげようとして、最近思い出していなかった記憶をまた思い出しました。大学生のときに、マクドナルドで友達と喋りながらごはん食べてたら、たぶんその席の近くで食べてただろう男性が紙切れ一枚通りすがりに投げつけてきて、そこには「黙れデブ」的なこと書いてました。がーん。うるさくてすみません。とか言う些細なことから、友達にガチ切れされたことまで、大小問わず傷ついたことを思い出してはまた凹む、そんな毎日。

困ってたので本に助けを求めた

で、そんな毎日では苦しくて仕方なかったので、いろんな本を読みました。

そして今はわりと、昔よりは心穏やかに過ごせる日々が続いておりますので、同じ方法で全員が改善するとは思えないけど書き留めさせていただきます。

 

読んだ本で、私がいま実践してるのは下記の本です。有名なやつありますが。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

反応しない練習  あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

 

これらの本を総合すると、私としての理解は下記となります。

 

過去は「自分」ではないと信じる

実際、自分には「いま」しかないわけで、過去の出来事は記憶が勝手にもたらしている幻想にすぎないということを基本的に信じるようにしてます。

今こうやって生きている自分、だけが自分であって、過去はもう自分ではない。

同様の主旨はバカの壁にも書いてあった気がします。

目の前に桜があるとして、余命半年を宣告されたあと見る桜をどう感じるか。宣告前とまったく感じ方は違うけど、桜はただ変わらず咲いているだけ。変わったのは風景ではなく自分。少し前の自分といまの自分の感情が変化しただけで、世界が違って見える。そんなかんじだったような。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

過去の自分は、もはや自分ではないので、必要以上に思い出して反省する必要はまったくない。

なにが真実かはわからないけれど、そう信じるようにしたら気持ちがラクになったし、フラッシュバックの頻度を下げることに成功したような気がします。

 

嫌なこと思い出すのは、どこかで落ち込みたいと思ってるとき、かも

過去の嫌な記憶に関連付けて、自分はなにもできない、トラウマがある、と感じるのは単なる思い込みで、今の自分には関係のないことだ。と、アドラー先生はおっしゃった、らしいです。少なくとも私はそう解釈しました。

でも実際トラウマはある、と思うのですが。

それは「できない」「やりたくない」と思いたいから、トラウマとしてフラッシュバックするのだとか。いまの自分がそう思いたいから、思い出すだけ、という。

だから、「できる」「やれる」「成功する」って思うようにすれば(すなわち、幸せになろうとする勇気を持ち続ければ)、その思い出は嫌な記憶としては思い出さないだろうし、そもそも思い出さなくて済むようになるかも。という考え方。

なんかまさに目から鱗、的な考え方だなあと思いつつ、私はそうやって考えたほうがラクに生きられるなあと感じて、信じることにしました。

 

そもそも他人の問題は自分には関係ない

他人が怒っていようがなんだろうか、いま自分の手で変えられるのは自分だけ。「他者の課題を切り捨てる」 という表現でしたが、これは本当にそうだなと思います。

だから、トラウマとして思い出すきっかけとして「あの人が怒っていたらどうしよう」とか「あの人によく思われたい」とかがあるなら、それはいまの自分には関係ないので考えなくて良い、ってことなんだと思います。

 

とにかく思い出す頻度を減らして、記憶のシナプスを断ち切る

3日前の晩御飯は思い出せないのに、10年前の嫌なことは鮮明に思い出す。

それは、何度も何度も思い出してしまっているせいで、記憶のシナプスが強固になってしまっているから、だそうで。

とにかく思い出しそうになったら、それ以上思い出さないようにする。その地味な努力を積み重ねることで、いつしかすっかり忘れられる……

そう信じてやってますが、成功しているかは不明だし、ずっと不明のままのような気がします。なんたって忘れるのに成功したら思い出せないはずなので、「実際に●個忘れることに成功しました!」とか言い始めるとものすごい矛盾が生じるわけで。せっかく忘れたのに思い出したくないので掘り返さないようにしないと。

というわけで成功したとか失敗したとかPDCA回せない系タスクですが、たぶん効果あると思います。

 

それでも思い出しそうになったら、記憶をまるめてクシャっと捨てる

いつ何時たりともフラッシュバックさんはやってくる。でもやってきたら、まずは遠目に観察する。そして、記憶を新聞紙のようにくるくるクシャクシャまるめこんで、ポイッと捨てる。すぐに好きな歌でも真剣に鼻歌する。

人間の脳みそは大変におしゃべりだしうるさいので、1分くらい嫌な思い出をそれ以上思い出さないように努力すれば、すぐに別の議題に移ってるはず。試しに5分ストップウォッチで測って脳みその議題を観察してみたら、5分前とは全くもって違うことを考えている、はず。

ということが、「反応しない練習」に書いてありました。実際これはやってますが、効果絶大だと思ってます。

なお、瞑想もこの脳みそのおしゃべりを止める技術だと思うので、効果あるんじゃないかと思います。私は瞑想を誰かに習ったことがないので正しいのかよくわからないのですが、よく脳みそがうるさすぎるときは、脳みそがしゃべらないようにする訓練をお風呂に浸かりながらとかやってます。

 

そして話はちょっと逸れるのですが、私が脳みそトラブルで悩んでいることは、トラウマのフラッシュバックとそしてもう一つ。

「他人の成功や幸せへの嫉妬」というのがあります。この嫉妬がけっこうつらい。それこそ、ぜんぜん成功していないうだつの上がらない自分を省みてしまって、しにたくなる。

でも、最近遅ればせながら「幸せになる勇気」を読んで、ちょっと改善されたので合わせて書かせてください。

 

人間の社会は「分業」。分業であるなら、他人の成功は自分も幸せであるはず

例えば自分は弓矢作るのめっちゃ得意。だけど、運動神経が悪いし足も遅いから、狩り自体は他の人に任せる。その「分業」のおかげで食物の総量が増えるなら幸せ。

狩りのエースに嫉妬しがちだけど、自分は自分の得意な場所で淡々と活躍することで分業が成功してエースが誕生するなら、それが結局自分の幸せにもなる。そんな考え方。

この考え方になるほどー、と納得して以来、あんまり嫉妬しなくなったし、他人の成功や幸せを喜べるマインドが育ちはじめました。まだまだ育ちきってないのでいつまたすぐに闇落ちするかもですが、今のところ心から納得できてるので大丈夫そうです。

 

いろいろ書きましたが、正直、本を数冊読んだだけで研究者でもなんでもないので、解釈の正確さはわからないです。が、とりあえず今私が実践してることを書いたら、フラッシュバックに苦しむひとが減るかもと思い書いてみました。

届くといいな。

 

WELQの件と、真面目に生きてきたWebメディアの正念場と、「内職」のこと

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実のところ、こういうWeb系の「適法じゃない問題」に当事者に近い立場で参加するのは3回目。
1回目は、コンプガチャ問題。この時、もうソーシャルゲーム作るのはきついなと感じた。いかに面白いゲームを作るかなんてどうでもよくて、ユーザからいかに金をむしり取るかのほうが大事だった。ビジネスとはそういうものなのかなと思った。面白いゲーム作ってみんな幸せになれたらいいなって思って新卒でゲーム業界入って、それで現実を見せられたかんじ。大半以上は私が甘かったんだと思う。
2回目は、二重価格問題。シュークリームの元値が12,000円と表示されてた件。ただの労働員だったということもあって、まあこれは、自分つまんない仕事してるなーと思った程度。言われたとおりやってただけだし(その気持ちがいけないのだけど、そういう態度でないとあの社会では生きていけない)。
そして、今回のWELQ問題。私がちょうどWebメディアに参戦したころに、彼らも参戦したらしい。当時はNAVER一強だったけど、いつの間にやら彼らのコンテンツに支配されてた。私が作るコンテンツは、そんな彼らのコンテンツの下に、ほそぼそと表示されてる。なんとかしたかったけど、どうにも勝てない日々だった。

いつもいつも、儲かるからといってインターネットをグレーに染めていく人たちが、当然のように儲かっていく。
そんな状況で私がしていることといえば、いち労働員として後処理に追われるか、儲からない蚊帳の外で落穂ひろいを粛々としているだけ。

真面目系Webメディアの正念場

いち労働員だったコンプガチャや二重価格問題のころは、「早くこんな世界から逃げよう」と思って実際逃げて、それで良かったのだけど。
でも今回は違う。Webメディアのコンテンツを作る責任を伴う立場で、WELQ問題が延焼していくのを見た。私はずっと、WELQと同様の手法で作られているFind Travelや、記事の作り方としてはそれらとほぼ一緒だと思われるRETRIPなどの旅行系メディアのコンテンツの作り方について疑問を持っていて、それらへの反発から、「すべて現地取材」を掲げた旅行系Webメディアを立ち上げたという経緯もある。
まあ、これが儲からない。1本あたりの制作コストが断然違うし、量も出せないし、おまけに投資できる金もない。ライターさんにはもっと報酬お渡ししたいのに、利益を出すことができない今それも難しいという状況。適法だけど儲からないビジネス、そんなビジネスをやっている私が悪い。センスがない。
ビジネスを作る力が弱すぎるのだろう。適法なやり方でビジネスを作れさえすれば、パクリメディアが蔓延することもなかっただろう。それを編みだせずこんなウジウジしてるから、インターネットの世界もこうなってしまった。ビジネスを作らないと。

真面目にやってきたWebメディアはついに正念場を迎えたのだと思う。ここで利益出せる仕組み作らないと、世の中に自分が面白いと思えるコンテンツを発信することがもうできなくなっちゃう。デイリーポータルさんもだいぶ長い間赤字だったみたいだけど、こちらは弱小ベンチャー企業。会社を潰したくない。なんとかしないと。なんとかします。という決意表明も兼ねて。

キュレーションメディアの1円ライターのこと

あとは、キュレーションメディアの1円ライター、つまり私としてはそれはパソコンとキーボードを使った「内職」だと思ってるんですが、それについてもモヤモヤがあるものの考えがまとまってないのでまた今度書けたら書かせてください。
なんというか、内職の需要があるのをいいことに、適法じゃないことを安い単価でやらせるなんて、ほんと悲しいと思って。私も大手でガッチガチに働くことはメンタル的にたぶん難しくて、家で働けたらなあと思うことが多いほうです(今は毎日出社しなくていい会社なのでそれも込みで潰したくない)。
世の中こんなに便利になってるのに、家にいながらにして働くことはまだ現実ラインとしては難しい。救世主だったはずのクラウドワークスやランサーズが、キュレーションメディアの案件で埋め尽くされる(おまけに今なお案件は減ってない)。その悲しさへの答えをまだ見つけられずにいます。

そしてうちの母親が、簿記も持ってて大手インフラ系企業でそれなりにやってたのにも関わらず、自分と弟を育てるために家にいなきゃいけなくて、それでやってたのが昆布を縛る仕事とのし袋にのしをつける仕事だった、というのを思い出しました。昆布を縛る仕事のほうは、私が潮臭いと学校で言われるようになったのをついに母親に言ったら辞めることになったけど。つらい記憶思い出してしもうた。
なんとかしたいのだけど。いまこのご時世ならなんとかできそうなのに。

良質な「ネットコラム」「エッセイ」の時代がくる気がしている

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自分が努力したいものを見つけられている状態というのは大変素敵なことであって、ここ最近ひたすらWebメディアの未来についてとか、そんなたいそうなことを考えていたりしております。ちなみに私が作っているメディアは旅行系メディアなのですが、まあ、そうなんです、某検索スパム系メディアもゴリゴリ記事量産しているジャンルでありますので、振りかざす札束のない我々は頭を捻っていくことで生き延びなければなりません。

そうなったときに、まずひとつは開発や運用の力で見せ方を工夫していく、というのはどんどんやっていっているところで、いろんな施策を世に問うてみては引っ込めたり引っ込めなかったりを毎日実施しているところでございます。それがけっこう楽しくて、また来週からおもしろいと思える施策をぶっ込んでみようと思ってたりして、そういうことが気軽にできるいいチームと会社に恵まれて幸せ者だなあなんて思ったりなんだり。
そんなかんじでコンテンツの見せ方の部分もどんどん時代に合わせてアップデートされなければならないと思っており、ひたすら試行錯誤する毎日を送っておりまして、なかなかそれ以外のことに時間を割かなくなっているのは悪いことだなあと思い久々に思考整理も兼ねてブログを更新させていただいている次第です。

前置きがかなり長くなってしまいましたが、前述のように見せ方の部分はもちろん変えていくとして。
コンテンツとしての記事の作り方自体も、そろそろまたひとつ流れが変わる気がしていて、おらワクワクしております。
それが、良質な「ネットコラム」「ネットエッセイ」がいっぱい読める時代がくるんじゃないかということ。

いや、というかもう来ているのかもしれない。
最近のネイティブ広告とかいう流れもあって、記事広告がコラムやエッセイの体をなしているものも、もうすでにだいぶ増えてきている。ネイティブ広告というものの成り立ちを考えれば、コラムやエッセイに振り切って記事を作ったほうがいいという判断になるのもうなずける。 そしてまあまあお金のあるみなさまが、きちんとお金を払って作られたコラムの上質さ。きっともっといい記事がこれからも世の中に出ていくというのが予感できて、ネットコンテンツの節目を私は感じましたけど、勝手にひとりで感じてただけかもしれないけど。

そして、これまでは検索にひっかけるために、それなりにキーワードを散りばめて誰が読んでも違和感ないまっ平らな記事を制作するのが王道だったのだけど。ただの検索スパムのサイトはもう簡単に読者が見破るようになったし、加えて、もはや検索エンジンだけが唯一のチャネルではなくなった……ということで、まっ平らな記事を制作する必要もなくなった。
本当に大事なのは今も昔もやっぱり変わらず、ファンを作ること。ファンができやすいのが、コラムやエッセイの体の記事なのではないか。なーんて。そんなことをぼんやり考えてます。

私はその頃バレーボールに明け暮れていたせいでテキストサイトの時代のことを正直よく知りません、が、その時代への若干の回帰と、そしてこのネット環境になったかたこそできることが上手く相容れて、ウフフって思える愚直に面白いサイトがもっと読まれるようになるんじゃないかなって思ってます。どちらかと言うとそうなるように重めに信じてます。
ウェブのコンテンツなんて思い返せばわりとかなり早いスピードで入れ替わるので、実際なんらか来年あたりは変化してる気がします。だってよく考えたら2014年ころなんてNAVERまとめだらけだったはずだし、1ページの文字数も500文字くらいなの多かった気がするし。

というわけで、真面目にやってきたブロガーさんも報われるんじゃないかってなんか信じてますし、真面目にやってきたメディアもどうにか報われてくださいお願いしますお願いします。明日目が覚めたら急にそういう時代になってるかもしれないから明日からももっともっといいコンテンツを出せるようがんばりますのでよろしくお願いいたします。

転職くり返してもメンタルやらかしても、それでも伸び伸び生きられる

www.utsujoshi.com

書きたいことが山のように溜まっているわけですが、取り急ぎこの件に関しては私から早めにどうしても言いたいことがある気がしてキーボード叩き始めました。なんか互助会?とかいうのの臭いとプロブロガー臭がぷんすかぷんして言及避けてたけど、ついに呼びかけたくなった所存でございます。

簡単に言うと。
3社退職したからってなんや。こちとら社会人5年で5社経験したんやで。
それでも人生詰んでない。むしろ生きれば生きるほど、どんどん面白くなってる。まったく自分でもびっくりするくらいに。

私が心療内科のお世話になった結果、手に入れたのは病名だけじゃなかった。
無理して働いても会社は助けてくれない。仕事の成果もあげられない。自分も幸せにならない上に、誰も幸せになれない。
そんなことなら、自分の好きなことやろう。好きなことと会社の方針がマッチする会社で働こう。もしくは派遣社員として割りきって残業なしで働こう、残業ないぶん家帰って好きなことして、それを活かして個人でボチボチ食いつなげるようになろうかな。とか。
そんな思考回路を手に入れた私。無理してゴリゴリ働いたから、早めに気づけたんじゃないかというプラス思考も込みで。

具体的に私の人生どうなったかというと、とりあえず適応障害だし会社員とか嫌だし派遣やってみよう、からスタートして、
・平日昼間は派遣で働く
・空いた時間でブログ書いたり、ライターの仕事をはじめたり
という二足のわらじ、というのでしょうか、そんな生活をはじめてみたら。
このブログのお問い合わせから何やらメールが飛んできて。
「このサービス使ってみてください!すごいでしょ!使ってくれたらブログにリンクしてあげる!」
とかいうぶっちゃけしょーもないメールだったんだけど、まあいっかーと思ってサービス使ってみたら、もうなんというか元Webディレクターの私の中に沸々と何かが込み上げる出来のサービスでして、キーボード叩き割る勢いで箇条書きの不具合&要望を書きなぐってどーんって送ったら、
なぜか今その会社で働いています。人生わけわからん。

そんなわけで今の会社のしゃちょーにブログをウキウキウォッチングされている次第なので、最初は、私の過去もぜんぶ知られてるー弱み握られてるぜグハァとか思ってたんですが。今やすべて承知していただいて、そんな私と働きたいと言ってくれているわけでして、私にとっては大変好都合な環境に運命的に出会えたと美化して語り継いでおります。
仕事の内容も、半分以上はわりと好きなことに直結できてて、ほんとラッキーだなと。
でもそのラッキーな出会いを手に入れられたのは、好きなことをちゃんと時間作ってやってたから。メンタルやらかして派遣やって、ブログやってライターしたから、今こうして伸び伸び生きられる。ぜんぶ私にとっては必要だった、はず。

要するに、人生詰んだと思ったら、まず心の赴くままに好きなことやったらいいと思う次第です。寝るでもいいし。散歩するでもいいし。(ひたすらに引きこもることだけは推奨しないけど。外部刺激だいじ。)
好きなことしてれば、案外何か起こるもんだと。それが人生なんじゃねーの。ってね、なんか現在の私はそう信じることで生きてます。

ちなみに転職回数増えることに関しては、私は3回目以降はもはや抵抗感なし。だって、転職回数が多いことも、「いろんな職場で生き抜いてきた、経験豊富なソルジャー」的に装飾してしまえば、それを面白がってくれる人もいるのがこの社会だ、って気づいたから。
この方とか。詳しくは存じあげないですが、ネットか本屋でこの経歴をウリにしてるのを見て、なるほどなと思ったものでございます。

僕はこうやって11回転職に成功した

僕はこうやって11回転職に成功した

理解のある環境にさえ出会えれば、メンタルやらかした経験があるっていうのも強みにもなる大逆転ホームランあるし。私なんて自分がそういうの発症したとき、「相手の気持ちを察する能力が人より優れてるんじゃね」みたいなこと言ってもらったことある。ものすごいプラス思考すぎて吹いたけど。
あとは運動ほどほどにして快活に過ごしたいでございますね、ええ、私は明後日、ハーフマラソンに行ってきます。膝だけが心配だ。
おだいじになさいませ。

私も総活躍したいんだが、妊娠がこわい。

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保育園落ちた件が騒がれて、いろんなメディアにも取り上げられて、隅っこで細々と生きてる私の元にもその話は届いた。
私も子どもが無事できたら、そんな悩みを持つのだろうか。
子どもが欲しい、欲しいはずなのに、ぶっちゃけ次の妊娠がこわい。

私は流産してしまったわけなので、少子化に貢献することは今のところできていない。が、貢献したいとは思ってる。
だけど、あの3ヶ月の妊娠期間で、私は「つわり期間の恐怖」を知ってしまった。

とにかく常に吐きそうなので、仕事どころじゃない。
仕事どころじゃないけど、仕事を休む制度はないし。
なんといっても、「つわりに耐えて働きました」という武勇伝が美しいという風潮がある気がして。
女性が社会で対等に働くには、当然でしょ。そういう風潮。

女は男性と対等に働く権利を得た。 一方で、家庭に入るという概念がなくなり、妊娠期間も働くのが当然になった。
そして出産して、自分が働くために保育園に入れるのも、当然のような流れになった。いつの間に。

女性の社会進出、ってことばかりが制度として進んでいっただけで、性差に関する制度や世論がまだまだ成熟してないのが現状なのかな。とか、政治とかぜんぜんわかんないけど、関心を持つようになったとさ。

私は次の妊娠が正直こわい。子どもは欲しいけど、妊娠はこわいのよね。
制度としても、妊娠期間をもっとサポートしてくれるものがあると嬉しいな。給与面、人事面で。産休制度の拡充ってやつか。
いや、それよりも、社会の風潮として、つわり期間をもっと大目に見てくれたらなあ。いや、社会はそうなってるのか? 私だけが古い考えなのか、もしくは、「つわりに耐えて働きました」と言うかつての妊婦たちの怨念なのか。

流産して3ヶ月が経つ。そういえば生理きてない。
また妊活からのスタート。はーあ。
子どもが生まれるというのは、どれだけ尊いことなんだろう。

写真は滋賀・なぎさ公園。撮って出し。そろそろ桜シーズンだし、気分転換しに行かないと。

もう少し気軽にブログを書く。

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仕事としてもメディア運営にまた本格的にjoinすることになって、果たしてネットメディアやブログとは何かということを考える機会が多くなった。
その中で私としては、

■ネットメディア
・この先、生き残るネットメディアというのは、既存のメディア同様の信頼性を担保できたメディアであって、コピペやまとめは駆逐される運命にある
・フットワークの軽さは残しつつも、取材・編集などには時間もお金もある程度割くべき
・ライターにファンがつけば、ゆくゆくメディアにファンがつく。ライターをもう少し前に出して、ライターにも責任感を持たせる

ざっくり言うとこんな結論に至っていて、仕事のメディアのほうでは、信頼できるライターをまた募集しつつ、ライターを育ててみたいという境地に至ってる。
運営自体のほうも、いろんなしがらみから解放すべく、月末にリニューアルをしてまた心機一転がんばろーというかんじで、産みの苦しみタイムに入ってる状態でございますがんばります。

というわけで、メディアと名乗る以上は、もっとコストかけてゴリっとやろうという機運が主に私と社内の中で高まっている次第ですが。
じゃあそれに対して、「ブログ」というものは一体何か。
私が「ブログ」に求めているものは何か。

■ブログ
・生活感や泥臭ささえも滲み出た筆致
・それが正しいとか正しくないとかよりも、ひとりの社会的人間の考え方や体験が表現されている
・書き手が見ている世界を継続的に垣間見たい、という欲求が自然と湧く

ネットメディアと名乗るものと、ブログと名乗るもの。その性格の違いを、今更ながらじんわり感じております。
なんだかんだ、私が定期的に読んでいるブログは、その人の人生や考え方が1投稿ごとにちょっとずつ出てて、購読してたせいでいつの間にその人の人生を追体験してしまってるような、小説にもドキュメンタリーにも近い体験をさせてもらてえるブログかも、と思いまして。

要するに、ブログって、そんな肩肘張らずに更新してもいいものではないかと考えはじめた次第です。いや、今まで生真面目モードでゴリゴリ更新してたかというとぜんぜん違うんですが。
せっかく「ブログ」なんだから、正しさだとかにとらわれず、もっと気楽に書く。
もしかすると、時代の流れ的にも、それがブログというものの役目なのかもしれない
、と。
いや、まあ、ブログだからって、嘘書いたりとか、手榴弾ほいほい投げ散らかす商法とか、そういうのはぜんぜん推奨しないけど。

これまでは、私、どこかで、「誰かの役に立つ投稿だけしよう」とか思ってたけど、傲慢な考えであって。
誰かの役に立つもの、って何、というわけです。それをわかったような気をしてエントリ書いてた、そんな気がする。
ブログはもっと自由でいいんだ。

というわけで、ほんとにくだらないことも、いっぱいアウトプットすることにしましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
私もブログ民のくだらない話、いっぱい読みたいなーなんて。


ところで、つわりから解放されたので(流産ですが)、やっと謎の写真つわりがまったく無くなって、写真撮るのを再開しはじめまして。
うちのコーギーさんの写真をペロッと貼っておいたのですが。
こう見ると、そんなにイケてなくてびっくりする。精進しやす。

今年の目標:α7ⅱズームレンズキットの入手方法を考えつくこと。

妊婦が働くということ(そして、流産するということ)

タイトルにも書いちゃったのでアレなのですが、今回あんまりいい話じゃないし人によっては傷つくかもなので、そういう内容が書かれるという心持ちで、もし読んで頂けるなら読んで頂きたいと思う所存です。
この2ヶ月いろいろありすぎて、心も身体もいっぱいっぱいだったのを、このエントリに書きなぐることで消化してしまうという魂胆です。そんな私の発散に付き合っていただいて恐縮です。そして超大作になってしまった。

この2ヶ月で起こった事象と考えたことを書き書きする。

妊娠した

びっくりした。
元々生理不順な身体で、16歳のときから産婦人科に通い詰めるこの道10年以上の常連客。30歳までに第一子を授かれたらなーという希望はほのかにあったので、その旨を医者に告げると、妊娠できるような処方に変わった。
いわゆる「タイミング法」と呼ばれている方法なのか、正確には名前は知らない。低用量ピルを5日間ほど飲んで、その後排卵されてしかるべき日に、排卵促進の注射を打つ、という方法。
この方法、なかなか辛かった。注射特別嫌いってわけじゃないけど、さすがに月1回筋肉注射するのは、精神的にヘコむものがある。
いつか授かれたらいいなーと思っていたのが、とりあえず月1回はきちんとチャレンジしなくちゃいけないような、そんな緊急レベルがひとつあがったようなかんじになった。

でもまあ、やっぱりそうはすぐに授かれるものじゃなくて。タイミングだって毎月絶対に合わせられるものじゃなかったし……って思ってたら。
病院に通うタイミングも、何もかもズレまくって今月はダメすぎると思ってたその月。
なかなか基礎体温が下がらなかった。いつ生理くるんだろうって、生理前の激重な身体を引きずる日がずっと続いて。なんやこれ、どうしたらいいのかなと思って、とりあえず気休めに妊娠検査薬というのを買ってみた。

【第2類医薬品】オムロン 妊娠検査薬 クリアブルー 2回用

【第2類医薬品】オムロン 妊娠検査薬 クリアブルー 2回用

こんなやつ。トイレでひとりで簡単に検査できちゃうという優れものなのですねこれが。
で、初めて使ってみて。
はっきりと「陽性」のラインが現れた。

いつもの産婦人科に行ったら、尿検査されてやっぱり陽性。
ここから私の妊婦生活がはじまった。妊婦生活ってなんやねんと思ってたけど、意外とすぐに生活が変わりはじめた。
まずは、まだ妊娠5週目だっていうのに、分娩予約しなくちゃいけないということ。早すぎやろ。
私の暮らす武蔵小杉(余談。実は今夏に、元住吉駅徒歩30分の家から、武蔵小杉駅至近に引っ越した。駅近というのは何にも代えられない価値のあるものだと実感してるところ)、皿やらペットボトルやら卵やらを投げつける案件が多発するのも理解できるほどに、超高層マンションがボッコボコと乱立してる影響なのか、空前のベビーブームで分娩施設はどこもてんやわんやらしい。だから妊娠がわかったらすぐに、こっちで産むのか里帰り出産するのか、もしこっちで産むなら予約してください、とのお達しが。そのスピーディー展開にぜんぜんついていけない、けど、こっちで産むって決めて、ぜんぜん繋がらない関東労災病院に何十回も電話かけて、ようやく予約できた。

それよりも何よりも、妊婦生活を実感するできごと、っていうのはやっぱり、つわりだった。

つわりが想像以上に辛すぎてワロタ

なめてた。
妊娠5週目、5週目ってまだ赤ちゃんも何も、生理が1週間遅れてるーくらいの週なんですけども。
すでに吐いた。お腹が空くと気持ち悪くなるパターンっぽい。全く妊婦の自覚も芽生えてないのに、身体だけが勝手に妊婦化してて、ついていけない。
今まで普通にできてたことが、きつい。
例えば会社に行くということ。坂道を登るんだけど、それだけで気持ち悪い。体力使うと気持ち悪くなる。ゆっくり登る。でも会社についたころには、もうベッドインしたいってレベルでへとへとになってる。なんだこれは。
普通に座ってるだけでも、身体が重すぎて体力を使う。お腹が減るとピンチを迎えるので、2時間半おきくらいにおにぎりを頬張る。常に胃腸の様子を気にして暮らさなければならない。
吐き気の頻度は日に日にどんどん上がってくし、電車乗るのも吐くんじゃないかと思って恐怖に満ち溢れていたし。おまけに便秘やら頭痛やら微熱やら、ありとあらゆる体調不良に見舞われて、布団の中で涙してた。なんだこれ、少子化に貢献してるし人類に貢献してるはずなのに、なんでこんな罰を受けなければならないんやと。

さらに仕事に支障をきたしたのは、風景写真を見ることとネット記事を読むことがなぜか吐き気を催しまくること。
だいたい理由はわかってる。妊娠5週のころ、まだつわりが弱かったのもあって、その身体でマカオへ取材旅行に行ったのだけど、なかなかきつかった。現地取材よりきつかったのは、500文字記事を20本以上執筆しなくちゃいけない帰国後の惨劇。結局なんとかトイレとデスクを往復しながらやり遂げたのだけど、それが身体に染み付いてるせいか、風景写真とネット記事、そして「旅行」という言葉を聞くだけで胃酸が逆流する始末。今書きながらでも、その時の吐き気の感覚を思い出して、悲しくなってくる。ほんと人体の不思議展や。つわりってのは。

周囲の人に伝えるタイミングは、理想と違うものらしい

そんなこんなで、妊娠がわかってからすぐにつわりとのお付き合いがスタートした次第でして。
私の思い込みでは「いま妊娠3ヶ月です、安定期です」みたいなかんじで、流産のリスクが下がった時に会社や周囲に言うものなのだと思ってた。ドラマではそうじゃなかったっけ、みたいな。
でも、現実は。
妊娠5週、つまり妊娠2ヶ月ですでに吐いてる。妊娠3ヶ月なんてもうすでにつわりが友達になってるんじゃないかってくらいだいぶ先の未来に感じるんですけど。さらにいえば、安定期っていうのは妊娠5ヶ月からころらしい。先すぎる。
早めに会社に伝えておかないと、謎にたくさん休みがちになった女になっちゃうなと思いまして。
妊娠5週目にして、会社には伝えました。一応祝福してくれました。迷惑だなって思われてるよなーきっと、って思ったけど、仕方ない、言わないともっと迷惑だろうから。

入っていた予定で、無理そうなものはすべてキャンセルをした。いとこの結婚式。弟の結婚式。
申し訳なさすぎるけど、無事に祝福できる体調ではなかった。本当に申し訳ない。頑張れるかな……とも思ったりしたけど、早めに欠席を伝えるほうがみんな幸せになれる気がした。
その際も、親族っていうこともあって、つわりがひどいため欠席というように理由も添えて伝えた。まだ妊娠6週ころだったから、伝えるのは気が早いって自分でも思うんだけど、どうしようもない、本当につわりが原因だし、理由を濁すのもそれまたおかしなことになりそうだし。

そうやって、1日1日を一生懸命生きた。生きてることだけで精一杯だった。もっとひどいつわりの人なんていっぱいいるって、知恵袋やら小町やらにはそんな壮絶な経験談がたくさん並んでいるけど。私はこれでももう十分につらかった。
ただ、
「つわりは、赤ちゃんが生きている証拠だよ」
この言葉だけを信じて毎日を生きていた。

妊婦が働くということを肯定する

肉体的にもそうやって辛かったのだけど、精神的にも追いつめられてた。
まったく仕事ができなかった。一日で身体を起こしていられる時間がかなり限られていた。佳境を迎える開発を支えなくちゃいけないディレクターの仕事、ぜんぜんできてなくて。申し訳ない。申し訳ない。ってそれを言うのも申し訳ないから、なんとかできる時にできることをやるしかなかった。

そんな日々が続くと、「なぜ妊婦を雇い続けなければならないのか」「なぜ女を雇わなければならないのか」などという、マタハラ訴訟まっしぐらな考えが妊婦自身の頭をよぎった。ずっとそれを肯定できずに、悶々としてたんだけど、私の中では結論がようやく出た。
今のご時世、結局働いた時間分だけ報われるということはなく、働く質が重要で。会社に20代独身男性ばっかり集めて徹夜で働いても、ニーズにあわない製品を作り上げてもまったく無意味。それよりも、多様な考え方で問題にアプローチして、会社全体で最良のアウトプットを出すことこそが、会社も従業員も、そして社会も豊かになるんじゃないかな、とか思えるようになってきた。この会社で妊娠を経験してるのは私だけ。そんな私にしか見えない・考えられない何かがある、かも。だなんて。

そんなことをぼーっと考えてると、私がまだ会社にいてもいいかな、っていう気持ちになれた。
従業員含めてマタハラなんて1ミリもない会社にいながらにして、自分の脳みそが一番ハラスメントな私だったのだけど、この考えに行き着いてからは、子どもを産んでも働かせてほしいな、うふふ、とか思えるようになった。

流産した

妊婦健診というのは、12週ころまで2週に1度くらいのペースで行われる。その後は1ヶ月に1度。それくらい、12週ころまでが不安定な時期なんだろうと思う。

その日は妊娠10週。薬が欲しくて、前回の検診から10日くらいで受診しにきた。妊婦は市販薬飲んじゃだめらしいので、頻発する頭痛と胃痛への処方が欲しかったわけです。つわりを弱める薬ってのもあればいいんだけど。一応相談してみよう、って思ってた。

まあ、経膣エコーの結果は、お察し。
妊娠8週と数日くらいの大きさで、心拍が消えてた。10日前に初めて確認できた、白黒の映像にピコピコと光る点。その点滅は、もう見られない。
キューピーちゃんみたいな身体は、はっきり見えるんだけどね。CRL(座高)は18mmくらい。もう私、10週過ぎてるんですけど、前回と同じくらいのCRLしかなかった。そんでもって心拍もないし。あー。えー。心拍は一度確認できたら流産の確率下がるし一安心だねーとか思ってただけに、なんかびっくりしすぎて、医者の説明が頭に入らないし。
初期流産ってのは確率けっこう高くて、2割弱くらい実はあって、その流産のうち3~4割はこうやってお腹の中で音もなく亡くなっているものなんだって。医者も慰めのためになのか説明をしてくれているけど、私も一応調べたことあったから知ってた。知ってたけど。
そうして稽留(けいりゅう)流産の手術、掻爬(そうは)手術の説明を受ける。お腹の中を掃除する手術(中絶のときも同じ手術らしい)。しかし流産流産って医者が連呼するから、泣けてきたし。恥ずかしいすみません、病院で泣くなんてびっくりだけど、涙が出て出て止まらなくなってた。看護師さんも「初期流産はほとんどが染色体異常が原因だから、確率の問題だから、ね?」って言ってくれて、そういうもんだって知ってるし、納得はしてる。だけど涙は出てた。理性と母性が入り乱れてた、と思う。
この病院では、すぐに手術を受けるのを推奨された。放っておけば自然に出るらしいのだけど、大量出血とかなりの痛みがあるらしい。そして残留したら結局手術するらしい。私としても、亡くなっているのが確実だし、早く手術するのを望んだ。手術日は明後日になった。
赤ちゃんが亡くなっているのに気がつかず、身体はまだホルモンを出し続け、私は宣告された次の日だって吐いてた。つわりを耐える理由がなくなった今、虚しさしか感じられない。それでまた涙が出た。

この苦しい1ヶ月半のつわりが報われなかった。その現実もまた受け止めきれなかった。つわりは赤ちゃんが生きている証拠だなんて誰が言ったのだろう。
そして、つわりキツすぎて妊娠報告しまくってしまった後始末。やっぱり安定期までじっと耐えればよかったのかなとか思う。でもまあ、仕方ない。つわりのことを思うと、仕方ない。
旦那に伝えた。ごめんね。
母親に伝えた。「早くわかって良かった、ということにしようね? また、すぐ授かれるから」と言ってくれた。そんな母親は、出産後5日で1人目の子を亡くしてる。実家の仏壇と線香の匂いと、母親の手を合わせる姿が浮かんだ。嗚咽が漏れた。
そして会社に伝えた。その日、午前中通院して、午後から仕事する予定だったのだけど、「自宅で仕事していいよ」と言ってくれた。ありがたかった。

取り急ぎ身近な人に伝え終わると、涙もようやくおさまってきた。支えてくれていた人達にこの事実を伝えるのが、最も残酷な作業だった。

稽留流産・掻爬手術

そうそう、このエントリ、私いつの間に書いたっけとか思った。

anond.hatelabo.jp

久々にはてブを見られるくらいにつわりがなくなった時、ホッテントリで見つけた。運命じゃないかと思うくらいびっくりした。本当に、この方と、時期も経過もほとんど一緒です。ひとりじゃない。

というわけで詳しくはそちらのエントリに譲るとして、朝イチでラミセルというのを子宮口にぶち込んで、入り口広げようっていう作戦、あれが史上最大の息も絶え絶えな生理痛ってかんじでキツかった。まあそれも1時間くらい経過したら痛みもなくなって、あとは時間の経過を待つだけ。その間3時間。ベッドで寝っ転がって待機。あーモンハン持ってこればよかった。仕方ないので、読みかけの「ドグラ・マグラ」を。妊娠中から寝転がってるしかないときにコツコツと読み進めていたので、あと3分の2くらい。胎児の夢の部分を読みつつ、胎児も夢を本当に見るのかななんて思ってたりしてたあの日々。読みきったあとの感想は、思ったよりも普通におもしろい本でした。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

読みきってもあと30分もあるので、「火花」買ったよね。「ドグラ・マグラ」のあとだと大変読みやすい。

火花

火花

読んでる途中に、ついに手術タイムきた。 点滴で静脈に麻酔を投入される。掻爬手術って、全身麻酔するんですよねこれが。人生初。「本当に眠れるのk」くらいまでは記憶はあるんだけど。歯に麻酔するのと同じ感覚で、脳みそがじんわり感じなくなって、すぐに意識なくなってたっぽい。
そして目が覚めたら、金縛りのように口やら腕やら足やらが動かないけど意識はある状態になってた。看護師さんに向けた第一声は「寝てたんですか?」だった。「寝てましたよ」と言われた。そりゃそうだわ。そして「下痢が出そうです」と伝えた。そしたら「座薬挿してますから、我慢できますか」と言われた。おケツに挿されても目覚めなかったなんて全身麻酔ってすごいすごすぎる。というかいつの間にパンツも履かされてたし。驚きしかないわ。

その後麻酔が抜けて帰れる状態になるまで一休み。1時間くらい寝たら、ほとんど麻酔の重さはなくなってた。
旦那が迎えに来てくれた。安心した。

喪失感

手術後から、つわりの感覚が急速に消えていった。
身体がどんどんラクになっていって、ああ、このすっきり感が通常状態なんだっけ、と驚きさえ感じる。
ごはんも、おにぎりなどの間食せず1日3回で気持ちよく食べられるようになったし、食べたあとも横にならなくても吐き気に襲われない。
すべて、終わったのだな、と。

あんなに辛かったつわりが終わって、開放感もあった。
だけど、喪失感が強かった。赤ちゃんの喪失感はもちろんだけど、つわりがないことへの喪失感。意外すぎる。つらくて仕方なかったけど、きちんと乗り越えたい試練だったのかもしれない。こんな形で終わってしまって、不完全燃焼、というか。
手術前は、「あと半年は子どもはいいかなー」なんて言ってたりしたけど。また授かれるものなら授かりたいって、前向きになれてる。
とはいえ数日は情緒が不安定で、涙が出たり絶望したりしてた。その頻度も少なくなって、今日は、術後4日目です。人間意外とすぐ立ち直る。久々に通常の身体で明日会社に出社する。さんざん迷惑かけた分を少しでも恩返しできるといいんだけど。


ここまで書ききってかなりすっきりしました。
SNS上でもつわりがひどいだのなんだのと、やんわり妊娠アピールしてたので、その妊娠が先日終わっていたことをこのエントリに代えてご報告とさせていただければ幸いです。
とりあえず久々に居酒屋に繰り出したいでござる。つわり中にお声がけしてくださった皆様、ぱーっと行きましょうぱーっと。でも昨日ビール飲んだら、けっこうすぐ酒がまわる上に、ビールが苦いのです。あんなに大好きだったビールちゃん。リハビリしないと。なんて。

というわけで、先週とはまた違う、新しい暮らしがはじまってます。人生いろいろ。ほんとに、いろいろだなあ。