【美術館】今週末は嫁を質に入れてでもアンドレアス・グルスキー展に行け : 超音速備忘録
こちらのエントリがまだグロテスクなタイトルだったときにはてブから流入したのが私です。
一眼レフを買って、写真というものに興味を持つようになったので、近くでそういう展示をやってるというのは拾ってはいたものの、なかなか「美術館に行く」というシャレオツな行為に踏み切ることができずにいたところに出会ったエントリでした。
初めての国立新美術館。
なるほどカッコイイ。
まあ、アンドレアス・グルスキー展見たあとにこの写真載せると、違うんだよ!!っていう気分ですが。
私、アートとか写真さえもよく何かわからないけど。
アンドレアス・グルスキーの作品を見ると、「すごく目が良くなった」気分になった。遠くのほうまでよく見える。視力0.01の私でも、すごく遠くまでピントがあっていて、それをあるがままに映し出している。
その現実を映し出した虚構に、見入ってしまいました。
作品を遠くから見ると、絵画のようで。近くで見ると、たくさん情報がある写真で。でもよく考えると、こんな「写真」はありえない。アンドレアス・グルスキーが生み出した虚像を見て、現実を想い、写真とアートの境界線が揺らぐ。そんなかんじ。
写真の力とフォトショの力(実際アンドレアス・グルスキーがフォトショ使ってるかは知らない)ってここまであるんだ…私はこの一眼レフちゃんの力を1%も使えていないかも。って思いました。
私の写真はいらない情報もたくさん写ってるし、私が見た世界とも撮りたかった世界とも違うものが写ってるし。
美しいとおもったものを、そのまま出力するって、相当難しいことなんだなーと。
カミオカンデ。
これ、水が張ってるんですが、
撮影したときは水がなかったんですって。
でもアンドレアス・グルスキーさんは、僕の描きたい作品には水が必要だから、って水を足した。
そしてよく見ると二人、ボートに乗ってる人がいるけど、これもアンドレアス・グルスキーさんの虚像ってことか。
写真とアートの区別は、専門家がやってくれてるんだと思いますが。
そうやってして伝えたい・作りたいものを実際にびっくりするくらいデカい作品として作り上げて、そして人々の記憶に擦り付ける力を持つ作品がこうして日本にも来て、、という作品を作る人の営みなんかに思いを馳せちゃったり。
趣味の写真でくらい、自分の頭のなかの思いを最大限出力したいなーって思いました。
次の3連休までやってるみたいなので、まだ行ってない方はぜひ。