レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

SONY α7 IIをついに買ってしまったよ。初心者に毛が生えた程度の私だけど。

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庶民のボーナス狙い撃ちマッシーンとどこかで称されていたのを見て、なるほどそいつは上手な表現やなと、それなら私もなんとか工面できるんじゃないかとぢっと手を見た結果、そんなさっくり工面できるはずもない現実に直面し。
しかしながらようやく数ヶ月ののちになんとかかんとかして、初のフルサイズ機を買ってしまうことにしてしまった次第です。お支払いがこわい(今月末引き落とし)

SONY α7 IIとSonnar T* FE 55mm F1.8 ZAというやつです。
単焦点が好きなので、キットで買わずにこちらを指名買い。キットより数万エーン更に上積みされてもはや涙も出ないけど、せっかく1本買うなら単焦点がいいんだから仕方ない。これが噂のカメラ沼そしてレンズ沼どーん。

SONY ミラーレス一眼 α7 II ボディ ILCE-7M2

SONY ミラーレス一眼 α7 II ボディ ILCE-7M2

それで、冒頭のコーギーのむぎさん(3歳)をさっそく撮ってみたわけなのですが。
ピントが合ってないのから質感から、もう何もかもの視覚的情報や匂いまでもがこの1枚にぎゅっと濃縮されたような、そんなものがアウトプットされてビビっております。
少なくともレンズは一生ものだし、もっとカメラが好きになればそれこそ人生を左右する運命の出会いがこのボディ&レンズなわけで、ある意味投資であると自分に言い聞かせて通帳をぢっと見つめるわけです。はーあこれぞ現実。
特に目立ったカメラ経歴もなく、まだまだ初心者の域を脱していない私ですが、それなりに考えて購入してみたので、どんなこと考えて買ったのか備忘録しときます。

とにかくフルサイズで撮ってみたかった

いま使ってるのはPENTAXのAPS-Cサイズのエントリーモデル一眼(K-50)と、ちっさいミラーレス一眼(Q7)。

普段遣いには支障はなかったのだけど。
やっぱりちっさいQ7で撮るとどうも情報が少ないな、と。白飛び黒つぶれしかり、質感とかぜんぜん物足りない。APS-CのK-50で撮ったのと比較できてしまったからまたいけなかった。K-50ではこんなに繊細に撮れてるんだけどな、と。
そうこうしてると、これ、K-50よりデカいフルサイズで撮ったら、いったいどんなふうになるのだろう、となるわけで。好奇心が芽生えてしまったのです。うあー。
そしてこのままPENTAXを貫く決意もしていたのですが、PENTAXからフルサイズ機が発売される前にα7 IIに惚れてしまったわけです。ごめんねPENTAX。

フルサイズだけど軽くてコンパクト

フルサイズって、高いってのもそうだけど、それよりデカいし重いし、というイメージがあって、買わないだろうなと思ってたのに。K-50でさえデカくて辛いから、Q7買った過去もあり。
しかし、α7 IIを一度触って、マンモスびっくり。軽い。小さい。
これでフルサイズ機を買わない理由がひとつ減ってしまったのと、α7 IIに恋開始。
まあ、ミラーレスだからというのがコンパクトさのひとつの理由だと思うのですが。カメラ使いにも諸派いらっしゃるようだけど、私はミラーレスに抵抗感がない(もしかしたら無知なだけかもしれないが)ので、そこは問題になりませんでした。

EVFすごいやん

電子ビューファインダー・略してEVFとかいう、ファインダーが液晶なシステム。なんたってミラーレスですから当然のように電子ファインダーが装備されてるのですが。
実物を見る光学ファインダーより、撮影時の色はもちろん見えるし、明るく感じるしピントも合わせやすいという実感値。個人の感想も入り混じってるけども。なんかファインダーの偽物なんじゃねってなんとなく思ってたのが、実機触った瞬間に見事に払拭されました。私これが好き。欲しい。あかん。ポチー

レンズに関しては完全にネットのレビューを鵜呑みにしましたすみません

単焦点の潔さが好きで、基本的に単焦点レンズをつけて歩きまわることが多いので、キットレンズの標準ズームは安いけどうーむ、って思っていろいろ調べました。
評判としてもキットレンズはいまいち。一方このSonnar T* FE 55mm F1.8 ZAという単焦点さんは、どこを覗いてもなんか評判良さそう。というインターネットを信じきってしまいました。が、後悔はしていない。

最後に後押ししたのは友人の受賞

実家のお向かいさんで、幼なじみの同級生が、とある写真コンテストで金賞を撮って新聞にどーんと掲載されたよと、母上からLINEがありました。すごいねーと。
私はひねくれものの負けず嫌いなので、「へー。すごいね」と母上に返事をした直後、彼の機材や撮影条件などを調べあげて、くそーくそーすげーくそーと小一時間こねくり回していたのです。
もう、こんなに悔しいなら、たぶん写真をもっと勉強したいという欲求が身体の中にあるのではないか。そして「フルサイズじゃないせいだ」という言い訳などしたくないし、もうついにポチる時なんじゃないか、って。
あほだなー。くだらない衝動。くっそーもう買っちゃったから、負けず嫌い発揮するんだぞー。

これでしばらくニートへの夢は絶たれまして必死に働かなければならない次第です。最近ニートへの憧れはなくなったところだったけど。がんばらない程度にもりもり働きます。

テレビの取材を受けたんだが、嫌な気持ちになったので書く

はてなブログやってるコロポンとしてではなく、ごく普通の一般人として声をかけられたわけなので、自分のブランディングとか直接の利益とかぜんぜんないヤツです。まあそこは悲しみでもあるけど別にどうでもいいけど。
そして取材受けた結果としてお蔵入りになったはずなので、これが真実かどうかを放送で証明する手段はないってのを先に書いておきます。
どの番組かはご想像にお任せします。私はその番組を見たことがなかったし、取材が終了するタイミングで番組名を知ったので、企画意図とか知らないで取材受けてましたが。
後でも書きますけども、なんで先に企画意図伝えてくれなかったのかな。。

その日、会社近くで夜ご飯を同僚と食べてたらだいぶ夜遅くなってしまって、終電めがけて小走りしてたわけです。
そしたらカメラ持ったお兄さん&アシスタントのお兄さんの二人組に声をかけられたので、まあ、よくある街頭インタビューってやつかなと。それは昔どこかで受けたことあるし、別になんとも思ってなくて、「今なにしてたんですかー」とかいう質問に「同僚と飲んでました」とか適当に返してたわけです。
そしたら、
「帰路についていっていいですか?」
と。まあ、別にいいかな……ってOK出したのが事の始まり。

この時点で終電もはや逃しかけてたのと、タクシー代払いますよってことなので、タクシー乗車。
そしたらまあ当然、タクシーに取材者二人も乗ってくるわけで。
タクシー車内は、知らない男性二人と、タクシー運転手(男)と、私、という構図。
その時点で、「あれ、これ本当にテレビ取材じゃなかったら、なんか身の危険感じるやつや」というちょっとした恐怖を感じました。日本の治安を少しは信用してるし最悪運転手が助けてくれるか、とか、でもこの人もグルだったらジエンドやん、とか。自分の適当なノリでOK出したことに反省しはじめる。これが脇が甘いというヤツすね。はー反省。

走りだしたタクシー。いざとなったら飛び降りればいいかとか考えながら。
で、タクシーの中でも質問受けるわけですよ。撮れ高撮れ高。
でもこんな世界の隅っこで細々と生きてるしがない既女になんの撮れ高も提供できる素地なんてないわけでして。
となると、どこ出身、だとかそういう初対面にメジャーな質問なんてとっくに終わって、
旦那さんとは何年付き合ったの、
前の彼氏は何年付き合ったの、
けっこうコロコロ変えるタイプなんですか、
……
初対面のおなごに聞くには完全に失礼な質問じゃないすか、っていうのまでされて、え、これ本当にテレビ? 民法のテレビ局って言ってたし腕章もアシスタント君のほうにはついてるから信じたけど、違う方面のビデオ撮影なんじゃないかって、疑念を拭えず。
そんでさらに、
「お宅にお邪魔しますね」
って、えー。どういうことなの。なんで先に言ってくれなかったの。
もう遅い時間なので旦那は寝てるだろうし。
でも拒否したらなんかこわいのかなとか思って、もう、なるようになーれと、タクシー到着。

で、私のおうちの玄関あがってリビングルームに一歩入ったところまで来て、旦那起床。
そして当然「は?」ってなって。
そこで初めて、企画意図の説明ありました。企画だけ見ればまあなるほど、ってかんじなんですけど。でもここまで身の危険を感じるほどグイグイくるような企画でもないような気もするんだけど。
で、旦那バリアが強力だったので、そこで撮影終了、お帰りいただくこととなりました。
当然私、怒られる。

本当に反省。すごく恥ずかしい体験だと思う。書くことでこの辱めを発散しようと思って書いてます。でも書きながらなんか心えぐられるわ。旦那に申し訳ないし。まだ引きずってる。いい年になって本気反省することってなかなかなくなったけど、この件は深刻に反省します。どんな場合でも、自分の身は自分で守らないと。
そして、「取材」と名が付けばここまでズカズカと踏み込んでもいいのか本当に謎。公人でも芸能人でもないしがないオフィスレディなのにわたし。
彼らが企画意図を最初に私に伝えなかったのは、まあたぶんそのほうが面白いコンテンツが撮れるから、ということかと。面白さの追求だけを優先しすぎてたんじゃないのと。もう少し被取材者への配慮をしてほしかったなと、人のせいにする部分があればその辺です。

自分も取材する身でもあるので、この経験を仕事なりで活かしていけたらなと思いました。がんばります。

「プロブロガー」はもうダサいし、PVやSEO狙いの記事ももう飽きた

過去の自分が恥ずかしい。
「プロブロガー」に、俺はなる!
的な風潮を抱えていた時期も私にはありました。そんな過去記事、抹消できなくはないけど、それもまた人生なので甘んじて受け入れます。

しかしもう「プロブロガー」とかいう言葉自体から陳腐さがぷんぷんと漂ってくる。ダサい。ダサすぎる。
ブログにすがりついて生きていくと、結局コンテンツが不足して、自分を切り売りしなくてはならなくなる。それがもう目も当てられない。数年前の先駆者達がやり始めたころはまだ新鮮さもあったけれど、もうそんな人のパターンを何千も見てきたら、飽きた。とにかく飽きた。
自分を切り売りするのと同時に、PVやSEOのためだけの記事を量産し始める。それがもう醜い。インターネットがどんどん石だらけになる。玉を探すことの難しさよ。インターネットで調べたことをインターネットに書かれても。「プロブロガー」ってのは、読み手のことをなんだと思ってるんだ。1アクセス、としか思ってないんじゃないの。

読んで心から面白かった、元気になった、勉強になった……そんな感情を抱かせてくれる唯一無二の記事を読みたいし、生みたいと、心底思う今日このごろです。
このブログは確かにうっぷん玉手箱みたいになっちゃっててインターネットの悪を感じますけども。せめて仕事としてやってるメディア運営のほうは、簡単に言うと、おもろいことがしたいねん。おもしろいことしたいべさ。


でもちょっと思ったんだけど、「ライター」でネット上で活躍している人にはほとんど負の感情を抱かないけど、「プロブロガー」には抱くのはなぜなんだろ。

・「プロブロガー」という言葉自体の陳腐化
・「プロブロガー」のイメージとして、「今月○PVいきました!」「今月売上○円でした!(収益ではない)」「○○する○つの方法」とかいう記事ばかり書いてる気がする
・なぜかやたら煽る

そういう書き手はやっぱりダサい。もう飽きた。
がんばろう。煽らずとも読み手をつけられる、そんなコンテンツに力のあるメディアを作りたい。
私個人、いち書き手としては、どんな媒体でも「私」らしく書けるようになりたいなとは思ってます。しっかり地に足がついた書き手でありたい。もっといろんな場所で書けるようになりたい。……目指すのは自由やろ。

私も総活躍したいんだが、妊娠がこわい。

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保育園落ちた件が騒がれて、いろんなメディアにも取り上げられて、隅っこで細々と生きてる私の元にもその話は届いた。
私も子どもが無事できたら、そんな悩みを持つのだろうか。
子どもが欲しい、欲しいはずなのに、ぶっちゃけ次の妊娠がこわい。

私は流産してしまったわけなので、少子化に貢献することは今のところできていない。が、貢献したいとは思ってる。
だけど、あの3ヶ月の妊娠期間で、私は「つわり期間の恐怖」を知ってしまった。

とにかく常に吐きそうなので、仕事どころじゃない。
仕事どころじゃないけど、仕事を休む制度はないし。
なんといっても、「つわりに耐えて働きました」という武勇伝が美しいという風潮がある気がして。
女性が社会で対等に働くには、当然でしょ。そういう風潮。

女は男性と対等に働く権利を得た。 一方で、家庭に入るという概念がなくなり、妊娠期間も働くのが当然になった。
そして出産して、自分が働くために保育園に入れるのも、当然のような流れになった。いつの間に。

女性の社会進出、ってことばかりが制度として進んでいっただけで、性差に関する制度や世論がまだまだ成熟してないのが現状なのかな。とか、政治とかぜんぜんわかんないけど、関心を持つようになったとさ。

私は次の妊娠が正直こわい。子どもは欲しいけど、妊娠はこわいのよね。
制度としても、妊娠期間をもっとサポートしてくれるものがあると嬉しいな。給与面、人事面で。産休制度の拡充ってやつか。
いや、それよりも、社会の風潮として、つわり期間をもっと大目に見てくれたらなあ。いや、社会はそうなってるのか? 私だけが古い考えなのか、もしくは、「つわりに耐えて働きました」と言うかつての妊婦たちの怨念なのか。

流産して3ヶ月が経つ。そういえば生理きてない。
また妊活からのスタート。はーあ。
子どもが生まれるというのは、どれだけ尊いことなんだろう。

写真は滋賀・なぎさ公園。撮って出し。そろそろ桜シーズンだし、気分転換しに行かないと。

「今年の目標」なんて、意味がない。

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1月も終わる今日このごろに、後出しジャンケンもびっくりの遅さで言わせていただきますと、
「今年の目標」なんて、意味がない。と。

というのも、私みたいな浮浪気味な人生を送る人限定かもわからないけれど、3ヶ月先さえ予測できないこの世の中だもの、1年かけて叶えたい目標なんて頑張って立ててもほとんど徒労に終わるか忘れるか
そんなあなたにオススメなのは、そう、

3ヶ月の目標を立てること。


こんな迷える子羊人生な私でも、ギリギリ未来を予測できる。たぶんまだこの会社で働いていて、ちょっとぐらい運営してるサービスが成長してて、それをどげんかするためにてんやわんやしてる世界が見える。
そんなわたくし、私事ではございますが、3ヶ月先に明確な目標を設定しております。

去年は、流産したり適応障害再発させたりして、精神的な健康を害することが多かった。精神的な健康は、肉体的な健康を確立してこそ保たれるもの。そうだ、肉体的な健康と言えば運動や! 運動と言えば、ランニング! わたし走るの大っ嫌いだけど、ランニングとかなんか健康っぽくてええやん! いやー健康っぽい! めっちゃ健康っぽい! よし、

マラソンしよう。

ポチった。

加賀温泉郷マラソン2016公式WEBサイト


2016年4月17日に、石川県は加賀藩のお膝元にて(日本史よく知らない)、わたくし42.195km疾走してくることにしました。
なんで加賀温泉郷マラソンを選んだか?
3ヶ月先の目標っていうのにちょうどいいタイミングだったというのと、まあ、あれや。
温泉入りたい。不純な動機も健康のためなら良いのだよ。


というわけで、私のこの3ヶ月の目標は、
健康のための運動習慣をつける、そしてマラソン完走する
です。
この偉大なる目標を掲げてしまったので、週に1~2回は走ってます。5kmだけどな。サーキットトレーニングできるジムも通ってるし。2月14日には10kmマラソンしてくるし。いけるいけるいける


……マラソンってほんとに完走できるものなのでしょうか。
不安で精神に異常をきたしそうなので、先人がいらっしゃいましたら愛と勇気をご教示ください。

とまあいろいろぐだぐだ書いたけれど、3ヶ月先の目標を決めるのはほんとにオススメです。なんか3ヶ月なら、叶えられそうな気がするんだ。こんな飽き性な私が言うんだから間違いない。



ちなみにですが。わざわざゼビオに行って足のサイズ図ったりなんだりして購入したランニングシューズはこれです。

薄給ひーこら言いながら投資しました。初心者は故障を防ぐのが第一だから、なんか厚底っていうのかクッションがしっかりしてるほうがいいんだって。マラソンのイメージとは離れた形状だけど、これで100kmマラソンとか走ったとかなんとかそそのかされて買いました。今のところはいいかんじ。

もう少し気軽にブログを書く。

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仕事としてもメディア運営にまた本格的にjoinすることになって、果たしてネットメディアやブログとは何かということを考える機会が多くなった。
その中で私としては、

■ネットメディア
・この先、生き残るネットメディアというのは、既存のメディア同様の信頼性を担保できたメディアであって、コピペやまとめは駆逐される運命にある
・フットワークの軽さは残しつつも、取材・編集などには時間もお金もある程度割くべき
・ライターにファンがつけば、ゆくゆくメディアにファンがつく。ライターをもう少し前に出して、ライターにも責任感を持たせる

ざっくり言うとこんな結論に至っていて、仕事のメディアのほうでは、信頼できるライターをまた募集しつつ、ライターを育ててみたいという境地に至ってる。
運営自体のほうも、いろんなしがらみから解放すべく、月末にリニューアルをしてまた心機一転がんばろーというかんじで、産みの苦しみタイムに入ってる状態でございますがんばります。

というわけで、メディアと名乗る以上は、もっとコストかけてゴリっとやろうという機運が主に私と社内の中で高まっている次第ですが。
じゃあそれに対して、「ブログ」というものは一体何か。
私が「ブログ」に求めているものは何か。

■ブログ
・生活感や泥臭ささえも滲み出た筆致
・それが正しいとか正しくないとかよりも、ひとりの社会的人間の考え方や体験が表現されている
・書き手が見ている世界を継続的に垣間見たい、という欲求が自然と湧く

ネットメディアと名乗るものと、ブログと名乗るもの。その性格の違いを、今更ながらじんわり感じております。
なんだかんだ、私が定期的に読んでいるブログは、その人の人生や考え方が1投稿ごとにちょっとずつ出てて、購読してたせいでいつの間にその人の人生を追体験してしまってるような、小説にもドキュメンタリーにも近い体験をさせてもらてえるブログかも、と思いまして。

要するに、ブログって、そんな肩肘張らずに更新してもいいものではないかと考えはじめた次第です。いや、今まで生真面目モードでゴリゴリ更新してたかというとぜんぜん違うんですが。
せっかく「ブログ」なんだから、正しさだとかにとらわれず、もっと気楽に書く。
もしかすると、時代の流れ的にも、それがブログというものの役目なのかもしれない
、と。
いや、まあ、ブログだからって、嘘書いたりとか、手榴弾ほいほい投げ散らかす商法とか、そういうのはぜんぜん推奨しないけど。

これまでは、私、どこかで、「誰かの役に立つ投稿だけしよう」とか思ってたけど、傲慢な考えであって。
誰かの役に立つもの、って何、というわけです。それをわかったような気をしてエントリ書いてた、そんな気がする。
ブログはもっと自由でいいんだ。

というわけで、ほんとにくだらないことも、いっぱいアウトプットすることにしましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
私もブログ民のくだらない話、いっぱい読みたいなーなんて。


ところで、つわりから解放されたので(流産ですが)、やっと謎の写真つわりがまったく無くなって、写真撮るのを再開しはじめまして。
うちのコーギーさんの写真をペロッと貼っておいたのですが。
こう見ると、そんなにイケてなくてびっくりする。精進しやす。

今年の目標:α7ⅱズームレンズキットの入手方法を考えつくこと。

妊婦が働くということ(そして、流産するということ)

タイトルにも書いちゃったのでアレなのですが、今回あんまりいい話じゃないし人によっては傷つくかもなので、そういう内容が書かれるという心持ちで、もし読んで頂けるなら読んで頂きたいと思う所存です。
この2ヶ月いろいろありすぎて、心も身体もいっぱいっぱいだったのを、このエントリに書きなぐることで消化してしまうという魂胆です。そんな私の発散に付き合っていただいて恐縮です。そして超大作になってしまった。

この2ヶ月で起こった事象と考えたことを書き書きする。

妊娠した

びっくりした。
元々生理不順な身体で、16歳のときから産婦人科に通い詰めるこの道10年以上の常連客。30歳までに第一子を授かれたらなーという希望はほのかにあったので、その旨を医者に告げると、妊娠できるような処方に変わった。
いわゆる「タイミング法」と呼ばれている方法なのか、正確には名前は知らない。低用量ピルを5日間ほど飲んで、その後排卵されてしかるべき日に、排卵促進の注射を打つ、という方法。
この方法、なかなか辛かった。注射特別嫌いってわけじゃないけど、さすがに月1回筋肉注射するのは、精神的にヘコむものがある。
いつか授かれたらいいなーと思っていたのが、とりあえず月1回はきちんとチャレンジしなくちゃいけないような、そんな緊急レベルがひとつあがったようなかんじになった。

でもまあ、やっぱりそうはすぐに授かれるものじゃなくて。タイミングだって毎月絶対に合わせられるものじゃなかったし……って思ってたら。
病院に通うタイミングも、何もかもズレまくって今月はダメすぎると思ってたその月。
なかなか基礎体温が下がらなかった。いつ生理くるんだろうって、生理前の激重な身体を引きずる日がずっと続いて。なんやこれ、どうしたらいいのかなと思って、とりあえず気休めに妊娠検査薬というのを買ってみた。

【第2類医薬品】オムロン 妊娠検査薬 クリアブルー 2回用

【第2類医薬品】オムロン 妊娠検査薬 クリアブルー 2回用

こんなやつ。トイレでひとりで簡単に検査できちゃうという優れものなのですねこれが。
で、初めて使ってみて。
はっきりと「陽性」のラインが現れた。

いつもの産婦人科に行ったら、尿検査されてやっぱり陽性。
ここから私の妊婦生活がはじまった。妊婦生活ってなんやねんと思ってたけど、意外とすぐに生活が変わりはじめた。
まずは、まだ妊娠5週目だっていうのに、分娩予約しなくちゃいけないということ。早すぎやろ。
私の暮らす武蔵小杉(余談。実は今夏に、元住吉駅徒歩30分の家から、武蔵小杉駅至近に引っ越した。駅近というのは何にも代えられない価値のあるものだと実感してるところ)、皿やらペットボトルやら卵やらを投げつける案件が多発するのも理解できるほどに、超高層マンションがボッコボコと乱立してる影響なのか、空前のベビーブームで分娩施設はどこもてんやわんやらしい。だから妊娠がわかったらすぐに、こっちで産むのか里帰り出産するのか、もしこっちで産むなら予約してください、とのお達しが。そのスピーディー展開にぜんぜんついていけない、けど、こっちで産むって決めて、ぜんぜん繋がらない関東労災病院に何十回も電話かけて、ようやく予約できた。

それよりも何よりも、妊婦生活を実感するできごと、っていうのはやっぱり、つわりだった。

つわりが想像以上に辛すぎてワロタ

なめてた。
妊娠5週目、5週目ってまだ赤ちゃんも何も、生理が1週間遅れてるーくらいの週なんですけども。
すでに吐いた。お腹が空くと気持ち悪くなるパターンっぽい。全く妊婦の自覚も芽生えてないのに、身体だけが勝手に妊婦化してて、ついていけない。
今まで普通にできてたことが、きつい。
例えば会社に行くということ。坂道を登るんだけど、それだけで気持ち悪い。体力使うと気持ち悪くなる。ゆっくり登る。でも会社についたころには、もうベッドインしたいってレベルでへとへとになってる。なんだこれは。
普通に座ってるだけでも、身体が重すぎて体力を使う。お腹が減るとピンチを迎えるので、2時間半おきくらいにおにぎりを頬張る。常に胃腸の様子を気にして暮らさなければならない。
吐き気の頻度は日に日にどんどん上がってくし、電車乗るのも吐くんじゃないかと思って恐怖に満ち溢れていたし。おまけに便秘やら頭痛やら微熱やら、ありとあらゆる体調不良に見舞われて、布団の中で涙してた。なんだこれ、少子化に貢献してるし人類に貢献してるはずなのに、なんでこんな罰を受けなければならないんやと。

さらに仕事に支障をきたしたのは、風景写真を見ることとネット記事を読むことがなぜか吐き気を催しまくること。
だいたい理由はわかってる。妊娠5週のころ、まだつわりが弱かったのもあって、その身体でマカオへ取材旅行に行ったのだけど、なかなかきつかった。現地取材よりきつかったのは、500文字記事を20本以上執筆しなくちゃいけない帰国後の惨劇。結局なんとかトイレとデスクを往復しながらやり遂げたのだけど、それが身体に染み付いてるせいか、風景写真とネット記事、そして「旅行」という言葉を聞くだけで胃酸が逆流する始末。今書きながらでも、その時の吐き気の感覚を思い出して、悲しくなってくる。ほんと人体の不思議展や。つわりってのは。

周囲の人に伝えるタイミングは、理想と違うものらしい

そんなこんなで、妊娠がわかってからすぐにつわりとのお付き合いがスタートした次第でして。
私の思い込みでは「いま妊娠3ヶ月です、安定期です」みたいなかんじで、流産のリスクが下がった時に会社や周囲に言うものなのだと思ってた。ドラマではそうじゃなかったっけ、みたいな。
でも、現実は。
妊娠5週、つまり妊娠2ヶ月ですでに吐いてる。妊娠3ヶ月なんてもうすでにつわりが友達になってるんじゃないかってくらいだいぶ先の未来に感じるんですけど。さらにいえば、安定期っていうのは妊娠5ヶ月からころらしい。先すぎる。
早めに会社に伝えておかないと、謎にたくさん休みがちになった女になっちゃうなと思いまして。
妊娠5週目にして、会社には伝えました。一応祝福してくれました。迷惑だなって思われてるよなーきっと、って思ったけど、仕方ない、言わないともっと迷惑だろうから。

入っていた予定で、無理そうなものはすべてキャンセルをした。いとこの結婚式。弟の結婚式。
申し訳なさすぎるけど、無事に祝福できる体調ではなかった。本当に申し訳ない。頑張れるかな……とも思ったりしたけど、早めに欠席を伝えるほうがみんな幸せになれる気がした。
その際も、親族っていうこともあって、つわりがひどいため欠席というように理由も添えて伝えた。まだ妊娠6週ころだったから、伝えるのは気が早いって自分でも思うんだけど、どうしようもない、本当につわりが原因だし、理由を濁すのもそれまたおかしなことになりそうだし。

そうやって、1日1日を一生懸命生きた。生きてることだけで精一杯だった。もっとひどいつわりの人なんていっぱいいるって、知恵袋やら小町やらにはそんな壮絶な経験談がたくさん並んでいるけど。私はこれでももう十分につらかった。
ただ、
「つわりは、赤ちゃんが生きている証拠だよ」
この言葉だけを信じて毎日を生きていた。

妊婦が働くということを肯定する

肉体的にもそうやって辛かったのだけど、精神的にも追いつめられてた。
まったく仕事ができなかった。一日で身体を起こしていられる時間がかなり限られていた。佳境を迎える開発を支えなくちゃいけないディレクターの仕事、ぜんぜんできてなくて。申し訳ない。申し訳ない。ってそれを言うのも申し訳ないから、なんとかできる時にできることをやるしかなかった。

そんな日々が続くと、「なぜ妊婦を雇い続けなければならないのか」「なぜ女を雇わなければならないのか」などという、マタハラ訴訟まっしぐらな考えが妊婦自身の頭をよぎった。ずっとそれを肯定できずに、悶々としてたんだけど、私の中では結論がようやく出た。
今のご時世、結局働いた時間分だけ報われるということはなく、働く質が重要で。会社に20代独身男性ばっかり集めて徹夜で働いても、ニーズにあわない製品を作り上げてもまったく無意味。それよりも、多様な考え方で問題にアプローチして、会社全体で最良のアウトプットを出すことこそが、会社も従業員も、そして社会も豊かになるんじゃないかな、とか思えるようになってきた。この会社で妊娠を経験してるのは私だけ。そんな私にしか見えない・考えられない何かがある、かも。だなんて。

そんなことをぼーっと考えてると、私がまだ会社にいてもいいかな、っていう気持ちになれた。
従業員含めてマタハラなんて1ミリもない会社にいながらにして、自分の脳みそが一番ハラスメントな私だったのだけど、この考えに行き着いてからは、子どもを産んでも働かせてほしいな、うふふ、とか思えるようになった。

流産した

妊婦健診というのは、12週ころまで2週に1度くらいのペースで行われる。その後は1ヶ月に1度。それくらい、12週ころまでが不安定な時期なんだろうと思う。

その日は妊娠10週。薬が欲しくて、前回の検診から10日くらいで受診しにきた。妊婦は市販薬飲んじゃだめらしいので、頻発する頭痛と胃痛への処方が欲しかったわけです。つわりを弱める薬ってのもあればいいんだけど。一応相談してみよう、って思ってた。

まあ、経膣エコーの結果は、お察し。
妊娠8週と数日くらいの大きさで、心拍が消えてた。10日前に初めて確認できた、白黒の映像にピコピコと光る点。その点滅は、もう見られない。
キューピーちゃんみたいな身体は、はっきり見えるんだけどね。CRL(座高)は18mmくらい。もう私、10週過ぎてるんですけど、前回と同じくらいのCRLしかなかった。そんでもって心拍もないし。あー。えー。心拍は一度確認できたら流産の確率下がるし一安心だねーとか思ってただけに、なんかびっくりしすぎて、医者の説明が頭に入らないし。
初期流産ってのは確率けっこう高くて、2割弱くらい実はあって、その流産のうち3~4割はこうやってお腹の中で音もなく亡くなっているものなんだって。医者も慰めのためになのか説明をしてくれているけど、私も一応調べたことあったから知ってた。知ってたけど。
そうして稽留(けいりゅう)流産の手術、掻爬(そうは)手術の説明を受ける。お腹の中を掃除する手術(中絶のときも同じ手術らしい)。しかし流産流産って医者が連呼するから、泣けてきたし。恥ずかしいすみません、病院で泣くなんてびっくりだけど、涙が出て出て止まらなくなってた。看護師さんも「初期流産はほとんどが染色体異常が原因だから、確率の問題だから、ね?」って言ってくれて、そういうもんだって知ってるし、納得はしてる。だけど涙は出てた。理性と母性が入り乱れてた、と思う。
この病院では、すぐに手術を受けるのを推奨された。放っておけば自然に出るらしいのだけど、大量出血とかなりの痛みがあるらしい。そして残留したら結局手術するらしい。私としても、亡くなっているのが確実だし、早く手術するのを望んだ。手術日は明後日になった。
赤ちゃんが亡くなっているのに気がつかず、身体はまだホルモンを出し続け、私は宣告された次の日だって吐いてた。つわりを耐える理由がなくなった今、虚しさしか感じられない。それでまた涙が出た。

この苦しい1ヶ月半のつわりが報われなかった。その現実もまた受け止めきれなかった。つわりは赤ちゃんが生きている証拠だなんて誰が言ったのだろう。
そして、つわりキツすぎて妊娠報告しまくってしまった後始末。やっぱり安定期までじっと耐えればよかったのかなとか思う。でもまあ、仕方ない。つわりのことを思うと、仕方ない。
旦那に伝えた。ごめんね。
母親に伝えた。「早くわかって良かった、ということにしようね? また、すぐ授かれるから」と言ってくれた。そんな母親は、出産後5日で1人目の子を亡くしてる。実家の仏壇と線香の匂いと、母親の手を合わせる姿が浮かんだ。嗚咽が漏れた。
そして会社に伝えた。その日、午前中通院して、午後から仕事する予定だったのだけど、「自宅で仕事していいよ」と言ってくれた。ありがたかった。

取り急ぎ身近な人に伝え終わると、涙もようやくおさまってきた。支えてくれていた人達にこの事実を伝えるのが、最も残酷な作業だった。

稽留流産・掻爬手術

そうそう、このエントリ、私いつの間に書いたっけとか思った。

anond.hatelabo.jp

久々にはてブを見られるくらいにつわりがなくなった時、ホッテントリで見つけた。運命じゃないかと思うくらいびっくりした。本当に、この方と、時期も経過もほとんど一緒です。ひとりじゃない。

というわけで詳しくはそちらのエントリに譲るとして、朝イチでラミセルというのを子宮口にぶち込んで、入り口広げようっていう作戦、あれが史上最大の息も絶え絶えな生理痛ってかんじでキツかった。まあそれも1時間くらい経過したら痛みもなくなって、あとは時間の経過を待つだけ。その間3時間。ベッドで寝っ転がって待機。あーモンハン持ってこればよかった。仕方ないので、読みかけの「ドグラ・マグラ」を。妊娠中から寝転がってるしかないときにコツコツと読み進めていたので、あと3分の2くらい。胎児の夢の部分を読みつつ、胎児も夢を本当に見るのかななんて思ってたりしてたあの日々。読みきったあとの感想は、思ったよりも普通におもしろい本でした。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

読みきってもあと30分もあるので、「火花」買ったよね。「ドグラ・マグラ」のあとだと大変読みやすい。

火花

火花

読んでる途中に、ついに手術タイムきた。 点滴で静脈に麻酔を投入される。掻爬手術って、全身麻酔するんですよねこれが。人生初。「本当に眠れるのk」くらいまでは記憶はあるんだけど。歯に麻酔するのと同じ感覚で、脳みそがじんわり感じなくなって、すぐに意識なくなってたっぽい。
そして目が覚めたら、金縛りのように口やら腕やら足やらが動かないけど意識はある状態になってた。看護師さんに向けた第一声は「寝てたんですか?」だった。「寝てましたよ」と言われた。そりゃそうだわ。そして「下痢が出そうです」と伝えた。そしたら「座薬挿してますから、我慢できますか」と言われた。おケツに挿されても目覚めなかったなんて全身麻酔ってすごいすごすぎる。というかいつの間にパンツも履かされてたし。驚きしかないわ。

その後麻酔が抜けて帰れる状態になるまで一休み。1時間くらい寝たら、ほとんど麻酔の重さはなくなってた。
旦那が迎えに来てくれた。安心した。

喪失感

手術後から、つわりの感覚が急速に消えていった。
身体がどんどんラクになっていって、ああ、このすっきり感が通常状態なんだっけ、と驚きさえ感じる。
ごはんも、おにぎりなどの間食せず1日3回で気持ちよく食べられるようになったし、食べたあとも横にならなくても吐き気に襲われない。
すべて、終わったのだな、と。

あんなに辛かったつわりが終わって、開放感もあった。
だけど、喪失感が強かった。赤ちゃんの喪失感はもちろんだけど、つわりがないことへの喪失感。意外すぎる。つらくて仕方なかったけど、きちんと乗り越えたい試練だったのかもしれない。こんな形で終わってしまって、不完全燃焼、というか。
手術前は、「あと半年は子どもはいいかなー」なんて言ってたりしたけど。また授かれるものなら授かりたいって、前向きになれてる。
とはいえ数日は情緒が不安定で、涙が出たり絶望したりしてた。その頻度も少なくなって、今日は、術後4日目です。人間意外とすぐ立ち直る。久々に通常の身体で明日会社に出社する。さんざん迷惑かけた分を少しでも恩返しできるといいんだけど。


ここまで書ききってかなりすっきりしました。
SNS上でもつわりがひどいだのなんだのと、やんわり妊娠アピールしてたので、その妊娠が先日終わっていたことをこのエントリに代えてご報告とさせていただければ幸いです。
とりあえず久々に居酒屋に繰り出したいでござる。つわり中にお声がけしてくださった皆様、ぱーっと行きましょうぱーっと。でも昨日ビール飲んだら、けっこうすぐ酒がまわる上に、ビールが苦いのです。あんなに大好きだったビールちゃん。リハビリしないと。なんて。

というわけで、先週とはまた違う、新しい暮らしがはじまってます。人生いろいろ。ほんとに、いろいろだなあ。

はてなブログがなかったら、今の私はない、ってのはわりと本当。

「4年間で変わったこと、変わらないこと」

はてなブログが4周年だそうで。おめでとうございます。
このテーマでエントリ書いたらトートバッグ貰えると聞いて、はてなTシャツ着用しながらカキカキしますよ(寝間着になってる模様)


私とはてなブログのお付き合い

はてなブログがまだ招待制だったころ、私はTwitterであまり存じあげなかった方に凸してアカウントをゲットしたのを覚えております。その節は本当にありがとうございます。
でもその時は、アカウントをゲットしてテスト投稿ーとかいってカキカキしたのだけど、ゲーム業界がソーシャルゲームとかいう波に飲まれ始めた真っ最中だったこともあって、私はまともに睡眠時間もなくブログなんてできなかった
アカウントをゲットしたのは社会人2年目の冬、まだ1社目にいたころ。年越しと同時に転職して、東京来て。そしてまた転職して、3社目で「正社員」ってのを辞めた。

4社目、派遣社員。
派遣社員は時間があるのが本当に救い。時給で働いている以上、会社にとっても定時で帰ってほしいと思われているに違いない、と思えることで、18時ちょうどに定時ダッシュきめることに全く抵抗感はなし。今までの徹夜の日々が嘘のような暮らし。仕事も効率化を図りまくって、のほほんと日々を過ごしてた。
そうやって心身ともに健康に生きると、自ずと「やりたかったこと」をやってみようという気分になるもののようでして、人間というのは。
そこで2年ぶりくらいに、「はてなブログ」のアカウントを引っ張り出してきて、このブログをはじめた次第です。

はてなブログで人生変わった

言い過ぎだと思うかもしれないけれど、本当に人生が変わったと思ってます。
微妙なところでいえば、ライターとしての仕事をはじめられるようになったりとか。まあ、ブログやってなくてもライターにはなれるだろうからやっぱり微妙だけど。あとは、本を出さないかという話があったり、とか。でもそれは、実はあまりうまくいってないので、もしまた素敵な御縁がありましたらお声がけいただきたいのですが、とか思っていたりなんだり。

やっぱり精神的な一番は、
はてなブログのおかげで、私が元々ロム専として好んでいたはてなの世界でちょっとばかり居場所を見つけられて。そして訪れてくださった方々のおかげで、自分の生き方を必要以上に卑下しないでいいんだと思えるようになったこと。これが人生の上では大変に大きいなことでございます。はてなユーザな人々は、わりと自由な生き方してる人が多いからかなとか思います。

そして事実ベースで一番「人生変わった」と言えるのは、
今の会社からはブログ経由でお誘いいただいて、もうかれこれ1年半ほど働いてる、ということ。
たまたま「北海道旅行」とかいうエントリを書いただけなんですが、それをはてなブログ先生のSEOがイケてたのか知らないけれど、たまたま今の会社の方がそのエントリを見つけてきたらしく、そしてなんか謎のメールを私に送ってきました。そのメールのくだりは、まあちょっと話が逸れるのでまた機会があれば。


というわけで、今この会社でマターリと自分のペースで働かせていただいていて、次なる確変の機会を虎視眈々と狙えているのは、はてなブログがあったからだなーとか思ってる次第なのです。次なる確変ってのがあるかは知らないけれど、働きながら写真の勉強をしたり、ライターの仕事もぼちぼち続けられているのは、今の会社と、ひいては、はてなブログのおかげさまさまだと確信して言えるというわけでございます。ありがたやありがたや。
なので、はてなブログ様には是非とも引き続き開発のほうよろしくお願い申し上げたいわけです。進化しないと陳腐化しちゃうってのがこの世界の定めなのです。私の希望としては、Tumblrみたいに写真ブログも気軽にできておまけにSEOもきいてる感じにしていただけたらTumblrやめて写真ブログもはてなブログにするんですがね!

という、せっかくなのでユーザの声も載せました。開発してる側としては、ユーザの声ほどありがたいものはないので、トートバッグのエントリ書く方は、ご意見ご感想不具合報告も一緒にやってあげると当選確率も300万倍くらいになると思います(適当)。

あとですね、どうやら妊娠したのですが、まだ安定期ではないので、とりあえず具合悪いですがあたたかく見守ってください。
はてなブログ5年目がたのしみだなー。なんて。

ナショナルジオグラフィック プロの撮り方 創造力を極める (ナショナル ジオグラフィック プロの撮り方)

ナショナルジオグラフィック プロの撮り方 創造力を極める (ナショナル ジオグラフィック プロの撮り方)

  • 作者: ブライアン・ピーターソン,ナショナルジオグラフィック,関利枝子,武田正紀
  • 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
  • 発売日: 2015/09/30
  • メディア: 単行本
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↑このシリーズを読んだら写真の考え方が変わりつつあって、なかなかシャッター押せなくなって困ってるところ。読破したらまた感想エントリしたためさせてください。

生きてることに意味なんてないけど、何かは成したい気もする

適応障害になっちゃう程度の軟弱地盤な私のハートなのですが、「生きてる意味なんてない、しんだほうがいいのでは」という思いからは実は脱却できていまして。いい思考法を見つけたから。

「生きていることにそもそも意味なんてない。だからこそ、やりたいことやっておくしかない」

そもそも人間がこうして都市を形成したりして暮らしていることに、何か特別な意味があるとは思えない。生きてる意味なんてもともとないんだから、意味を探すのは無駄。どうせ意味もないんだから、それなら自分のやりたいことやって楽しく生きるべき。
この観念に辿り着いてからは、絶望的な気持ちが押し寄せても、しんだほうがマシじゃーっていうのはなくなりました。


それはそれでめでたいことなのだけど、今とっても生きにくくて。
適応障害に関しては、問題が嵐のように去っていったので自然と治癒しつつあるのですが。
「何かを成したいような気がするのに、何もできていない」
という毎日が辛い。
贅沢な悩みだけど。

苦手な仕事ばかりしているからかもしれない。苦手な仕事だけで毎日が終わっちゃってるからかも。
開発のディレクターっていう仕事、苦手なんです。でもそういうキャリア積んできちゃったから、仕事としてはできる。でもやっぱりこの分野で自分は勝っていける気がしなくて、精神的にもやられるしで、もうイヤかも。なんて。

自分が何かを成すとしたら、ディレクターじゃなくて、Webメディア系の仕事とかライティングの仕事とか、写真とか、そっち系だと信じていて。だけど、その時間を作るほどの気持ちの余裕がない毎日。
だから辛い、のかな。

うだつのあがらない日々を送っているけれど、きっとまた流れがくるって信じて、毎日を暮らしたいと思う今日このごろです。
生きてることに意味を求めてはいないけど、自分のやりたいこと・やれることは模索しながら、いろんな挑戦して、社会的に存在価値を感じたいなー。
まずはなんだろう、やっぱり精神的余裕を作って、心から楽しく動けるようになりたいでござる。具合悪いわけじゃないんだけど、なんか動けないので。秋だから仕方ないのかな。よくわかんないけど。

時間をとって、気持ちの余裕を作るところから。
ほんとめんどくさい人間だなと嫌気もさすけど、そういう人間だからこそできる仕事もあるんじゃないかって、最近ではプラスにも考えたりなんだりしてます。 それが社会というやつだと、勝手に思い込むようにしてます。


私の好きなブロガーさんとか仕事の後輩とかそういうかわいい方々の影響を受けまして、ついに買いました。フィルムカメラ。

Pentax SP シルバー M42 55mm F1.8付き

Pentax SP シルバー M42 55mm F1.8付き

正確にはこれじゃなくて、pentax s2という子です。40年くらい前に製造されたフィルムカメラで、電池なしで稼働するギークな子なのです。
フィルムカメラの仕組みを勉強したくて購入したけど、機能が簡潔だしアナログで機械が動いてる感じがとてもよくわかるし、大変勉強になっております。まだ現像してないけど。こわい。うまく写ってるかどうかというより、もはや真っ黒とか真っ白になってないかという不安のほうが大きい。それもまた楽しみ、ってやつか。

適応障害をカミングアウトする

「適応障害です」と言われた回数を発症回数とすると、2年ぶり3回目の適応障害を経験いたしました。
これをきちんと「病気」となかなか認識したくないのかできないのかわからないのですが、自分としては認められなくて。だからこそ会社だったり周囲の友人だったりに
「私、適応障害なんですー」 なんて、言うのもはばかられて。
ずっとリアルな人間関係のある人には伝えてきませんでした。

その代わりこのブログであーだこーだ言ってたわけですが……
ついに今の職場のしゃちょーなどは私のブログの存在を知っているという環境でしたので(このブログ経由で採用されたでござるなので)、思い切って伝えてみたほうが気持ちがラクかな、なんて思って、伝えるとこまで頑張った次第です。

適応障害とは

私はいまだに自分のことを「適応障害」だなんて括りに入れられるのがイヤなのですが、それでもきっと「適応障害」だったんだろうなーって、治ったら気づくわけです。
症状としては、ほとんど「うつ病」と言われるやつと一緒だと思います。唯一違うのは、発症原因が明確に存在すること。その原因から距離を置けば、症状はラクになるという、たぶん登校拒否する子と同じような状況なのだと思います。

それで、私の発症原因っていうのは、だいたいの場合人間関係で、だいたいの場合お仕事関係です。
実際どんな症状かというと、

・会社にしぬほど行きたくない、行こうとすると吐いたり頭痛したりして全力で身体が拒否しはじめる
・それでも会社に行くと、基本的に涙が出そうになるので堪える作業でいっぱいになる
・そんなわけで仕事なんて到底進まないし頭なんて働かない
・夜、お布団にインしてもなぜか涙が出たりする

という、もうわけわかんないかんじになります。
でも自分のメンタルが弱すぎるせいだし、そもそも人間関係も言うほど悪くなってないし……って冷静に考えるとそうだってのはわかるのですが、身体がどうしようもなくなるかんじでした。
そして会社を休んだら、それはそれでそこそこ元気になるのだけど、日によってはずっと眠り続けてたりして。
このままほうっておくと、本当にうつ病になっちゃうなーって思いはじめて。

そうして、精神科にかかると、「適応障害」という称号を入手できる次第です。

適応障害をカミングアウトする

過去に適応障害を発症させた理由も、会社だったのですが。
これまでは、会社を辞めることで回避するという、荒業を披露しておりました。
だからフリーランスで生きたほうが社会にとっても有益だろうと思って、フリーランスで活動しようと思ってたのですが。
今の会社は、そんな私をすべて受け入れてくれた上で、私の力を貸してほしいって言ってくれて、そんな稀有な会社あるかいなと思って入社してるわけでございまして。
(あと、釣りや魚突きやバンドやら、趣味がやたらと合致したのも、私としては雇用されてもいいなと思った大きな理由なのだけども)

今の会社は、まだ辞めたくないなーと。
これまでのように会社を辞めて治すという選択肢は、ほんとのほんとの最後の選択肢にしたい、と。
そう思ったら、これはついに、しゃちょーにカミングアウトせなあかん、となったわけでございます。

カミングアウトした結果

採用権を持つ経営陣のふたりに時間をいただきまして、カミングアウトしやした。

「原因はだいたいわかってまして、でも大したことないんですけど、なのに身体がついてこないかんじでして、それってつまり「適応障害」というやつらしいです」

というかんじです。ふざけてるようなテンションじゃないと話せなかった。
そしてなぜかめちゃめちゃ涙出てた。わろた。恥ずかしい。ティッシュもらった。ありがたくチーンって鼻かんだ。

そしたら、しゃちょーさんふたりは。

・辞めないでほしい
・休み休みでもいいから、無理はしないでほしい
・そういうメンタルも含めてあなただし、それも魅力なのだから、自分を深く責めないでほしい
・むしろ発症するまで何もケアできなくてごめんなさい

というかんじでした。美化しすぎてるかもしれない。でもそれでも私は嬉しかった。
伝えられてよかった。


その後、私は無理な日は自宅作業することにしたりしてました。
そしたら、今やっと「あの時は本当に適応障害だったな」って思えるくらいには、わけわからない身体症状と精神状態に悩まされることはなくなってきました。
本当に感謝しかない。
まだ、不安要素もあるので無理はしないけど、会社に恩返ししたいなーっていう社畜精神が芽生えることとなりました。
まあ、無理はこの先もしないでマターリとやりたいですが!


会社深刻に行きたくない病に悩む皆様は、ぜひ一度精神科に通うとよろしいです。
第三者に話すってだけで、案外解決策が見つかってくるものだし、あとは「休職」という手段もとれます。診断書を書いてもらえれば。傷病手当で給料の何割かは休職中はもらえるし。
鬱々とした状態でゲッソリと働くことこそ、社会にとって害悪なので、まずは自分の身体と精神を良好に保つようにすべきかと存じます。
精神科っていうのは最初は勇気要ると思うけども。近所の病院を検索して、初診の方法を調べてみてはいかがでしょうか。

というわけで、適応障害がキツすぎてブログもずっと書けなかったのを、ドバーっと吐き出させていただきました。
やっぱり書くって楽しいなー。
今後とも精進いたしますので、引き続きよろしくお願いいたします。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

↑適応障害になっちゃうような人間で、読んでない人には激しくおすすめします。
ただし、読んで理解しても、適応障害になるものはなる。悲しい。