レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

動かない身体と向き合って「できない」を知る

あけましておめでとうございます。
流産から2年、不妊治療やらセカンドオピニオンやらを経て、ようやく再度の妊娠にこぎつけ、そうしてようやく妊娠4ヶ月というところまできた2018年1月。

そして、もれなくつわりに襲われて、はや2ヶ月。
いまは吐くことはなくなったのですが、いまだ逆流する胃酸と頭痛と戦ってます。

妊娠前までは、土日はランニングしたり買い物したり映画見に行ったり山登ったりしてたんですが、こんな体調じゃ当然なんにもできなくて。
ふと気づけば、若干の人生観の変化ありました。

わたし、割と器用なのか運動神経もそこそこあるのか、なんでも努力さえすれば全てうまくいく信者だったんです。 実際人生そんな感じでごり押ししてきたし。

でも、なーんにもできない今を見つめて。
本当に「できない」ということがあると知りました。

さっき、はてブのホッテントリにあがってた、「フォトグラファーの処世術」みたいな記事読んで。
こういう記事は前はありがたく読んで、それで真似して努力して、自分もそれなりにお仕事もらえるようにがんばろー、なんてやってたんですけど。
いまはなんかただ涙出た。

できねーよ。なんにも。だいたい電車に2ヶ月乗ってないんだよ。電車乗る恐怖にさえまだ勝ててないんだこの体調。ようやく外食にチャレンジしてそこだけ打ち勝ったとこなの。写真なんてそもそも撮りに行けないし、だいたい作り込まれた写真はなぜか吐き気の対象だし。

いまはできない。努力をはじめることができない。努力できるほどの体力がない。
いまここでお布団にくるまって呼吸して、明日にはまた快方に向かうと信じることしか、できない。

人生のステージによって、できないことが増える時期がある。そもそもいろんな環境によって、できないことが多い状態から人生スタートせざるを得ない人もいるに違いない。
まあ言われてみれば当たり前だし、妊娠すりゃ当然そんなこと自分に降りかかるって知ってたつもりだけど、実際そういう状況に身体がなってみないと、心から理解することってできてなかったみたい。

だから人間って支え合っていかなきゃいけない。
道徳の教科書みたいな答えを身体で噛み締めております。

元気になったらすぐ忘れて自己責任論唱えはじめるかもしれない私だし、今より具合悪くなったら人のことなんて考えられないだろうし、このくらいの閉塞感の中にいるときが一番思考を深めるにはいいのかも。

どのライフステージでも、「やりたいこと」「その中からやれること」を見つめていたい。なんてね。

それで人生初のチャレンジしてるのは、まさかの編み物。
編み物ってすごい。一本の毛糸があんなこんなで立体になってく。おまけにお布団からちょっと身体起こすだけで編める。具合悪くてもできるクリエイティブな趣味見つけたり。
この2週間で定番のマフラーからポーチ、シュシュ、Switch用ケースにルームシューズなんか編んじゃったりね。布団から動けないって生産的だね。クリエイティブだ!

仕事もぜんぶリモートでやらせてくれてありがたい。でも正直、最高に具合悪い時は全休したかった。今もほんとは、あんまり動きたくないし働くということへのモチベが低下してる。
この辺はどうやってやりくりしていくか、まだ見えてない。男女平等の弊害だわほんと。妊婦って幸せな人だと思ってたけど、体調だけで言うと人生で一番最悪。なのに他人から見たらたぶんわたしは今、幸せな妊婦だ。
きつい。

今後も子どもが無事産まれても、仕事との両立やら、やりたいこととの衝突には悩むんだろうな。
人生ってでも基本そんなもんなんだろう。
その中でやりたいこと、やれること見つけて、一生懸命やる。つらいときは休むし、頼る。それが社会ってやつなんだろう。

まだまだキャリアとかも気にしてる私ですけど、こんなんでいいのか、ほんとわかんない。
妊婦でももっと強い人がきっとキャリア積んで羽ばたいてくんだろなとか思って。
でもこれが私の精一杯だから。
私の「できない」に向き合って、自分のペースでやってくしかない。

今のところこんなかんじです。
ほぼ愚痴みたいになっちゃったけど。こんな状況でもいろんなひとに支えられて生きられている今にまずは感謝することを忘れないでいたいです。