レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

派遣社員を辞めました

2014年6月30日をもって、派遣社員という職業を辞めました。というか辞めてました。きちんとしたご報告が遅くなり申し訳ございません。
2013年5月に働き始めたので、約1年1ヶ月お世話になったようです。

どんなところで働いていたか

東京の南のほうの、海沿いのIT企業です。
そのあたりの運河ではよくハゼが釣れるとの噂を聞いていたので、釣りに行きたいという気持ちを抑えて出社するのが大変でした。

どんな仕事をしたのか

主にそのWebサービスの広告まわりの仕事をしていました。
広告に関してはそんなに詳しくなかったのですが、派遣ということもありなんとかなるものです。
そもそも派遣という就業形態が初めてだったのですが、スキルもいろいろ価値観もいろいろな派遣の同僚に揉まれたのはよい思い出かもしれません。いや、よい思い出だったと言い切れる日も、時間が経てば来るかもしれません。

広告に携われたということ自体は、本当に勉強になりました。あのサービスのこの部分って実は広告だったんだ、というような、「もしかしたらそうかもしれない」と思っていたものがはっきりと広告だとわかって、世の中ってお金で動いているということを実感いたしました。

また、「大企業で働くということ」を理解しました。みんなそうは言わないけれど、歯車となって働くことが重要であるということ。そして、なるべく波風立てずにひっそりと働くことの大切さと、出世の近道は上長に気に入られることが絶対だということを理解しました。

派遣で働くということ

派遣で時給で働くと、定時で帰ることも会社への貢献につながるので、「定時ダッシュする」という行為を後ろめたさなく実行することができるようになったのは進歩だと思います。
その結果、時間がたくさんできたのが、私の人生にとってとても良い影響を与えたと思っています。
このブログも、その「定時ダッシュで得た時間」を元に書くことができるようになりました。そして様々なお声がけを頂けるようになって、更にライターとしても活動を開始できるようになりました。本当にブログを書くことができて良かったと思っています。

でも派遣なのでメリットばかりではありません。
当然薄給ですし、会社の中でも立場が弱いので、息を潜めて仕事していました。
そもそも入社して与えられたパソコンが、32bitのメモリ1GBのパソコンでした。せめて2GBにしてほしい、これだけ重いと仕事に差し支えがあるんです、と伝えるのに苦労したのを鮮明に覚えています。一瞬ガンガンガン速のことが頭によぎったりしました。

そしていろんな派遣さんがいました。私は女子派遣社員の中でハブられていたことを自覚していました。
それでも1年も続けられたのは、基本的に派遣同士の人間関係は「どうでもいい」と思えていたこと、そして私が一番これでもITスキルがあったので、派遣仲間が私を頼らざるを得ないことがしばしばあり、仕事に差し支えるまではハブにされなかったということです。
派遣社員の女の世界は、まるで田舎の町内会かのような、離れたくても完全には離れることのできない、閉鎖的でじっとりとした世界でした。

ちなみに、私の後任の派遣さんがいらっしゃって引き継ぎをしたのですが、どうやら今週で辞められるようです。
ハブにされる部分まで引き継いでしまったらしいです。
ハブにしてる人は、そろそろ適正に裁かれてほしいです。本当に。

退職の理由

そのじっとりとした世界がイヤだったのもありますが、ライターの仕事で生きていけそうな予感がしつつあったのが大きいです。
結局、6月頃に退職しようと準備を進めている最中に、いま所属している会社に声をかけていただいたので、個人事業主として活動するのは延期になりました。
そのお声がけも、このブログきっかけです。

今後について

転職や引っ越しや、両家顔合わせセッティングなどが重なって、ブログの更新がやや減ってしまいましたが、これは一過性のものでこれからもガンガンガン速もびっくりするくらいガンガン更新させていただく所存です。
そして仕事のほうは、ライター業務をちまちまやらせていただきつつ、転職という形でいまの会社にお世話になっております。
どうやら退職エントリと入社エントリというのは別に分けるもののようなので、今の会社については今後書かせていただきます。
今日は、今の会社の代表取締役とのハゼ釣りのアポが入っているため、この辺で失礼いたします。


今後ともコロポン(@colopon,id:colopon)及び、本ブログをよろしくお願いいたします。


江戸前のハゼ釣り上達法

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