レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

動かない身体と向き合って「できない」を知る

あけましておめでとうございます。
流産から2年、不妊治療やらセカンドオピニオンやらを経て、ようやく再度の妊娠にこぎつけ、そうしてようやく妊娠4ヶ月というところまできた2018年1月。

そして、もれなくつわりに襲われて、はや2ヶ月。
いまは吐くことはなくなったのですが、いまだ逆流する胃酸と頭痛と戦ってます。

妊娠前までは、土日はランニングしたり買い物したり映画見に行ったり山登ったりしてたんですが、こんな体調じゃ当然なんにもできなくて。
ふと気づけば、若干の人生観の変化ありました。

わたし、割と器用なのか運動神経もそこそこあるのか、なんでも努力さえすれば全てうまくいく信者だったんです。 実際人生そんな感じでごり押ししてきたし。

でも、なーんにもできない今を見つめて。
本当に「できない」ということがあると知りました。

さっき、はてブのホッテントリにあがってた、「フォトグラファーの処世術」みたいな記事読んで。
こういう記事は前はありがたく読んで、それで真似して努力して、自分もそれなりにお仕事もらえるようにがんばろー、なんてやってたんですけど。
いまはなんかただ涙出た。

できねーよ。なんにも。だいたい電車に2ヶ月乗ってないんだよ。電車乗る恐怖にさえまだ勝ててないんだこの体調。ようやく外食にチャレンジしてそこだけ打ち勝ったとこなの。写真なんてそもそも撮りに行けないし、だいたい作り込まれた写真はなぜか吐き気の対象だし。

いまはできない。努力をはじめることができない。努力できるほどの体力がない。
いまここでお布団にくるまって呼吸して、明日にはまた快方に向かうと信じることしか、できない。

人生のステージによって、できないことが増える時期がある。そもそもいろんな環境によって、できないことが多い状態から人生スタートせざるを得ない人もいるに違いない。
まあ言われてみれば当たり前だし、妊娠すりゃ当然そんなこと自分に降りかかるって知ってたつもりだけど、実際そういう状況に身体がなってみないと、心から理解することってできてなかったみたい。

だから人間って支え合っていかなきゃいけない。
道徳の教科書みたいな答えを身体で噛み締めております。

元気になったらすぐ忘れて自己責任論唱えはじめるかもしれない私だし、今より具合悪くなったら人のことなんて考えられないだろうし、このくらいの閉塞感の中にいるときが一番思考を深めるにはいいのかも。

どのライフステージでも、「やりたいこと」「その中からやれること」を見つめていたい。なんてね。

それで人生初のチャレンジしてるのは、まさかの編み物。
編み物ってすごい。一本の毛糸があんなこんなで立体になってく。おまけにお布団からちょっと身体起こすだけで編める。具合悪くてもできるクリエイティブな趣味見つけたり。
この2週間で定番のマフラーからポーチ、シュシュ、Switch用ケースにルームシューズなんか編んじゃったりね。布団から動けないって生産的だね。クリエイティブだ!

仕事もぜんぶリモートでやらせてくれてありがたい。でも正直、最高に具合悪い時は全休したかった。今もほんとは、あんまり動きたくないし働くということへのモチベが低下してる。
この辺はどうやってやりくりしていくか、まだ見えてない。男女平等の弊害だわほんと。妊婦って幸せな人だと思ってたけど、体調だけで言うと人生で一番最悪。なのに他人から見たらたぶんわたしは今、幸せな妊婦だ。
きつい。

今後も子どもが無事産まれても、仕事との両立やら、やりたいこととの衝突には悩むんだろうな。
人生ってでも基本そんなもんなんだろう。
その中でやりたいこと、やれること見つけて、一生懸命やる。つらいときは休むし、頼る。それが社会ってやつなんだろう。

まだまだキャリアとかも気にしてる私ですけど、こんなんでいいのか、ほんとわかんない。
妊婦でももっと強い人がきっとキャリア積んで羽ばたいてくんだろなとか思って。
でもこれが私の精一杯だから。
私の「できない」に向き合って、自分のペースでやってくしかない。

今のところこんなかんじです。
ほぼ愚痴みたいになっちゃったけど。こんな状況でもいろんなひとに支えられて生きられている今にまずは感謝することを忘れないでいたいです。

具合悪いので、好きな音楽をただただ並べる

諸事情により具合が悪いので、お布団にくるまりながらぬくぬくとiPhoneでブログをしたためる、それくらいしか土日に何かやる楽しみもないくらい体調の悪さにやられている師走でございます。

体調悪いっていうのは、一言で言ってしまえば要するに悪阻です。つまり妊娠してるってことなのですが、前回の妊娠は10週の検診でダメだったということもあり、今回はまだ妊婦である自覚を強く持たないようにしてるし、期待もそんなにしないようにしてます。傷つきたくないな。来週、ついに10週の検診で。こわい。

なので日々、毎日悪化していつ終わるかわからない二日酔いと戦ってると思い込んでるんですが、もう限界近い。もう吐くの疲れたんや。助けてくれ。生きてるのつらいんご。

とは言え、選択肢としてもここでしぬってわけにもいかず、とりあえず毎日生き延びるしかないので生きてます。前置き長くなりましたがおはようございます。今日も外は晴れみたいです。

で、こんなくたばり方をしている人間がやれることは限られており、ひとつはスプラトゥーン2、そしてもうひとつは、音楽聴くことです。

特に音楽は寝ながら聴けるので最高です。今や昔懐かしになってしまったマイMDコンポに、なんとイマドキなBluetooth接続できる代物も購入したので、本格的な寝たきり生活に突入できます。

お安い価格で満足クオリティだったので、懐かしのMDコンポをiPhoneで鳴らしたい方にオススメいたします。

こんなのまで買って、あとは聴くだけ。わたしはAWAに課金していろいろ聴き漁ってたり、MTVで流行してるらしい曲をキャッチしたりしてるけど、その受信チャネルに新しいものが最近加わってます。それは、気になるあのこの音楽ブログを購読するというものです。

とは言ってもまだこのブログしか購読してないからほかのオススメください。

namiowelcomeの日記

購読してる理由はこの方が会社の同僚っていうのが一番ではあるのですが、わたしそんなに優しくないのでいくら同僚でも読みたくないと思ったら読まないところなのですが、それがなかなか面白くて読んじゃってます。悔しい。

この方、けっこうな年上同僚さまというせいか、一緒にバンドやるって言ってもぜんぜん音楽の方向が違う。その「方向の違い」がなんなのか、読んで日に日にわかってくるかんじ。というか、私が60年代70年代のブルースとかロックンロールとかを知らなさすぎて単純に発見だらけで面白いんだと思う。

でもその時代のバンド、私が知らなかったバンドを「ミュージシャンなら全員知ってる」的に言われるとなぜかムッとする。私ミュージシャンじゃないけど。無知がバレたというのが怒りの感情になったのか。

ただただ好きっぽい音楽をTSUTAYAで漁りMTVで漁りAWAで漁ってきた、そんな人生。音楽の系譜知らないとダメなんでしょうか。

そんな無知で、音楽の系譜も知らんし最新の流行も知らんし名曲名バンドだって知らんの多い私ですが、そんな私がじゃあTSUTAYAやMTVやAWAで何見つけてきたのかまどてみようと思い立ったのが本エントリです。前置き長すぎた。私のように具合悪い方やスプラトゥーンで負け込んでる方にリフレッシュしていただけると幸いです。

なお、選定基準はシンプルに下記です。
・アルバム聴きこんだことある
・今も好き

東京事変

最初から直球ですまない。好きだから仕方ない。でも初期のが好きかも、アルバムで言うと「教育」「大人」。

遭難

曲の展開がどストライクで好き。

いろいろ動画埋め込もうかと思ったけど東京事変はいいか。

椎名林檎

この流れで当然好きなんだけど、東京事変のほうが好き派。バンド感が好きなんかな。

すべりだい

むっちゃ好き。音作りさいこうすぎる。


赤い公園

この流れで赤い公園、で合ってるのかわからないけど、私の中では東京事変を初めて聴いたときと同じ種類の震え方したのでこの流れでくくってる。

交信

初めてMTVでこの曲聴いたときの衝撃。これが自分らの音楽なんだ、っていう存在感に圧倒されまくった。不安定さが逆に刺さるボーカル、読めない曲展開。すごい。

この曲から入って、ファーストフルアルバムの「公園デビュー」を聴くことに。

今更

同様に刺さる。

絶対的な関係

多分一番有名な曲。

個人的にはアルバム「純情ランドセル」を繰り返し聞いたけど、「猛烈リトミック」が一番売れたのでは。なんか賞もとってるみたいだし。
それにしてもこの夏でボーカルが脱退しちゃって、ほんと悲しい…声質似てるし私が加入したいって夢を見たけど、バンドってそういうもんじゃないんだよなー。この先どうなるか、あたらしい赤い公園、期待してます。

相対性理論

なんかこういう系の流れで。

ミス・パラレルワールド

聞いたら忘れられないやつ。

相対性理論もまあ、ご存知だと思うのでいっか。

Cymbals

ここにきてちょっと時代遡りはじめる。ポスト渋谷系という括りらしい。むっちゃ可愛くて悶絶するーー土岐麻子さんはCymbalsから知る。

RALLY

Show Business

かわいいいいいいいいいいいぃ

土岐麻子

この流れで。いまの土岐麻子さんも好き。

セ・ラ・ヴィ 〜女は愛に忙しい〜

アルバム「PINK」が街歩きにぴったりで、足を痛めてたときウォーキングしながら聴いて謎の優越感に浸ってた。中でもアルバムタイトルにもなってる「PINK」っていう曲大好きなんだけど、YouTubeが無かった。

The Cardigans

もーほんと、かわいい。かわいい大正義祭りやで。

Carnival

Sick & Tired

こんな声で生まれたかった。こんな空気感のバンドやりたい。

星野源

ここで急に現代に飛んでくるけど、星野源って私の中ではこの流れなんですけどどうなんでしょう。アルバム「YELLOW DANCER」、何回聴いたことか。

SUN

売れ線でアレですが、結局私はここから入ったしやっぱ好きだ。が、YouTubeにこんなのしかない。

そこのところの戦略はイマイチだと思うので、フルMVくらいYouTubeにあげてほしいとこ。まあ私はアルバム買って聴いてるからどうでもいいといえばいいけど、ねえ。

Caro Emerald

オランダからきた、レトロポップなジャズ。という説明をよく見る。こういう雰囲気だーいすき。

That Man

AWAの音楽認識でその存在を知って以来聴いてる。音楽が流れてたのはららテラスだけどね!

Maroon 5

ファーストアルバムからずっと聴いてる。昔の方がシンプルで好きだったかも?

This Love

Sunday Morning

どうでもいいけど、アダムさんっていつからムキムキになったんだろ。

The Mars Volta

プログレも好物だと確信したのは、マーズヴォルタに出会ったから。TSUTAYAが導いてくれた出会いだった。アルバム「De-Loused in the Comatorium」が刺さりまくった。

Inertiatic ESP

かっこよすぎ。曲展開の先の読めなさ、先が気になってずっと聴いちゃう。

King Crimson

そして漏れなくプログレに溺れはじめる。

21st Century Schizoid Man

はい、やっぱこれ。原曲じゃないですが。

Red

弾けそうと思って練習した記憶。


Led Zeppelin

プログレと括りはしない気がするけど、わたしはプログレ感漂うツェッペリンがすき。

Achilles Last Stand

ねえどうなっちゃうのアキレス!って勝手に思いながら聴いてる。軽音楽部にいたときリクエストしたら、先輩が演ってくれた。かっこよすぎた。わたしも弾けるようになりたい。


TRIX

軽音楽部で知ったといえば、TRIX。フュージョンですが。

Double Up

MA-TSU-TA-KE

わたしはこういう曲を聴くとギター弾きたくなります。まあ、弾けなくてすぐ挫折するんですけど。

ギタドラ関連曲

たぶんわたしのすきな音楽、ルーツはだいたいギタドラ関連。ギタドラは、ゲーセンで遊べる音ゲーなんですけど、その昔は家庭用のもあったりして、中学生くらいから社会人までずーっとやってたので。都会に引っ越してゲーセンが近くになくなってしまって引退を余儀なくされたわけですが。
プログレ好きも、きっとゲーソン全般好きだからなんだろーなと思う。ラスボス曲みたいだし。

El Dorado - TAG

わたしの中ではTRIX聴くなら同様にこっちも聴いてほしいというかんじ。

Cosmic Agenda - TOMOSUKE

ともすけさん、たぶん土岐麻子好きだし、そういう流れで聴ける大好きな曲。

月光蝶 - あさき

腐女子ですすみません。この曲をゲーセンでやりたかったがために家庭用ギタドラを卒業してゲーセンに引きこもってしまった。

ギタドラ曲はほんともういーーっぱい紹介したいけど、引かれても困るしこの辺でやめときます。

Dream Theater

そんなこんなで、主にゲーソン好きに刺さるドリムシももちろん聴きます。

As I Am


System Of A Down

で、プログレメタルな人たちも聴くことになりました。

B.Y.O.B

この曲が入ってるアルバム「Mezmerize」には福岡の警固のTSUTAYAで出会ったけど、まじでレコメンドしてくれててありがとうって思う。福岡に住んでた1ヶ月間、ずーっと聴いてた。飽きない。なんかわけわかんなすぎて飽きなかったし、鳥肌立ちっぱなしで聴いてた。



なんかやたら長いエントリになってしまったのでこの辺で。
いい暇つぶしになりました。ほんと、もし無事妊娠継続したとしても一般的にはあと1ヶ月ほど具合悪いらしいんですけど、何して生きればいいんですかね。音楽聴くかゲームするしかなかったいま、ブログ書くのもできるわ、と思って一つ希望を見出した、それが今日の幸せです。
不妊で悩んでたのに贅沢な悩み抱えてるなーと思うけど、いざ悪阻になったらやっぱきっつい。これでまた流産したらほんと悪阻だけ2回も経験してほんと何やってるんだと思う。呪うよ本気で。
寝て起きたら来年になってないかな。なー。

プレミアムフライデーが会社にとってプレミアムになった日

本来のプレミアムフライデーとは用途がちょっと違ってしまっているかもしれないけれど、昨日のプレミアムフライデーは多分会社にとって歴史的1日になった、はず。というかそうであってほしい。

というのも、昨日が月末金曜日だったので、15時で会社上がろうーって話がプレミアムフライデーの本来だと思うのですが。

私たちはその15時以降を、ずっとやりたくても時間がないことを言い訳にできていなかった、新規事業のために時間を費やすことに成功できたのです。

 

ベンチャー企業の端くれをやっているのにも関わらず、そういうキラキラ系新規事業に着手してなかったんかい、ってかんじですが。

ベンチャーと名乗り続けて6年目だったかの会社には、日々のタスクだけでけっこう精一杯なとこもちらほら出ておりまして。ベンチャーらしい仕事やりたくてこの会社入ったのにおかしいな草生える、みたいな日々、正直あったんです。

 

でもようやく、プレミアムフライデーを無理矢理の自己解釈を行うことによって、本当にプレミアムな1日にすることができたと思う。すごい楽しかった。この感覚久々すぎて、まだ興奮冷め上がらず、いまこうして書き出している次第なわけです。

一応うちの会社は本来の意味でのプレミアムフライデーもやっているので、15時以降は退社してもいいとは思うんですけど、私はせっかく過ごすならこういう時間の使い方するほうが面白いんじゃないかと思ってこの方針に大賛成しております。

 

何をやったかというと、15時になったら、私たちは基本リモートワーカーなのでまずビデオミーティングで全員と繋ぎまして。そしてその新規事業について話しながらどんどん決めて、どんどん作る。

ただそれだけ。

ただそれだけのことなのに、時間を敢えて作らないとできないなんてある意味情けない話ではありますが、これがものすごい良かった。みんなで新しいことの作業を時間を共有しながらする時間、ものすごく充実感あったんです。

 

そしてこの流れで、月末だけでなく毎週の金曜日に、この新規事業のために作業時間を確保すると決めまして。来週も大変楽しみです。こうでもしないとやっぱり人間、日々作業に追われてると新しいことはじめられないものなのだなあと思います。

結局Googleの20%ルールと似たようなことやってるだけですが。でも会社としてようやくそのあたりを仕組み化できて、前進しはじめたので、未来が開けてきたかんじです。

 

というかこの少人数の規模の会社でさえ、ここまでくるのに時間がかかったと思うと、そこは本当に良くない。フットワークの軽さこそベンチャー気質の醍醐味で魅力だったはずなのに。自分たちが無事生活できるくらいに稼ぐことを維持しながら、その上で新しいことはじめるというのは、口で言う以上に大変なことなのだと実感してます。

 

仕事のことを純粋に楽しいって思うの、正直久々だったので、いま大変ハッピーです。やっぱり新しいことにチャレンジするのってエネルギッシュになれます。最近疲れ切って、土日にパソコン開くことなんてほぼほぼなかったんですが、今日はAdobe XDちゃんをいじり倒そう、とか思っちゃってます。

そういう意味では、私のやる気を遠回しに向上させたマネジメントの勝利ですね。ほんと、いいように使われてる気がしますが仕方ない。まあそれが私なので、今日はどうせ雨だし新しいサービスのことぬくぬく考えながら、たまにギターの練習でもして過ごすことにしようっと。

3年後も5年後も想像するのちょっと辛い

こんなに辛いことだったんだな、って今日気がついた。

不妊治療中の今、子どもができるかできないかもわからないのに未来のことを考えさせるなんて酷だと思う。今日たまたま会社でそういう話題を振られて、なかなか逃げ場がなくて辛かった。

将来どうなっていたいか、なんて就活セミナーとかでありそうな質問だけど。

たしかに25歳の時にこの話題を振られたとしても困らなかったかも。30歳までに第一子、そして家庭第一にしながらも働いていたいなーとか答えてたんじゃないか。それはもう牧歌的だった。

30歳になった今。

残念ながら28歳のとき流産しちゃってからというもの、授かりものはやってこない。そうして不妊治療してるわけだけど、毎月毎月、できるかもしれないしできないかもしれない。そんな毎月先行き不透明な日々送ってるなか、数年後の想像をするのって、けっこう心理的に抵抗感があるものであると気がついた。

 

〇〇歳までに〇〇になっていたい、というのっていまは人生史上最大に超難問だなーと。そりゃお母さんになってたいけど。けど。

 

その場にもいろんなフェーズの人がいて、わたしより年上の女性で最近彼と別れたって方もいたり。もしもその方が子どもが欲しいと思ってるのにそういう状況だったら、と思うと、私は「子どもほしいです!!」とか声を大にしては言えない。

この質問に対して結局私は、「子どもは欲しいけどできるかわからないし、どっちにしても先の想像がしにくくて辛い」と正直に答えた。それでなんとなく察してくれたっぽい空気になったので報われた。

 

もやもやはまだしてる。どういうのが正解だったんだ。

 

オフィスがなくなってから3ヶ月が経った

いや、正確にはあるんですが。

もともと品川にあったんです、オフィス。駅徒歩10分の山の上にあって、通勤が登山のようで運動不足解消に一役買ってたんじゃないかって今は思います。

7月のある日のこと。
社長が突然「オフィス解約した」って言い出すからめっちゃ爆笑して。すごいなこの会社と思ったものです。なんでも家賃を浮かせたいとかなんとかで。

当初は完全に無くしちゃおうってなってたんですが、やっぱり家具とか勿体無いし、集まれる場所は欲しいよねと相成りまして。
だって品川のオフィスもけっこうこだわってDIY頑張ってたんですもの。
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あー懐かしい、いまは亡き品川オフィス。こんなかんじでした。がんばってますよね。

で、これらの備品達も捨てるのは勿体無いね、ということで、オフィスを「移転」にしようということになったのですが。家賃抑えたい、ということで、最近よくお世話になっている千葉県は成田市で借りようとなりまして。
成田山新勝寺の参道そばの一軒家をお借り上げすることに。

というわけで、成田まで片道2時間かかるので、オフィスは月1出勤になりました。つまりオフィスがあるようでないような状況。
最初はどうなることかと思ったものですが、なんとなく上手くやっています。

すごいですね、最近の技術というか。オフィスっていらないのかもしれないと本気で思います。
だってSlackでチャットすればだいたい円滑に進むし、最悪電話すればいいし。週に一度はビデオミーティングで一応顔合わせと状況確認はしていますが、これのお陰で出勤日でも1ヶ月ぶりに会ったね久々、ってかんじにはならないんです。

でもこんなすんごく遠いオフィスでも、あるといいなと思うこともあって、やっぱり帰る場所があると言いますか、集まれるホームがあるというのは心理的に落ち着きます。そして庭付き一軒家なので、炭火でバーベキューできちゃうとかいう特典つき。やったー。

あと対外的な見え方を意識しているというのもありますが。オフィスないベンチャーってけっこう怪しく思われるだろうし。

そんなこんなで、斜面に建ってる年季の入った一軒家というせいで床の傾きもピカイチなおうちではございますが、DIYをまた頑張りました。残念ながらきちんと撮った写真がないので、また折を見てDIY自慢させてください。

問題があるとすれば、本気で丸一日、家を出ない日が頻発するということでしょうか。今日も出ません。
私は一応マラソンを趣味にしているので、週2日くらいは外で走るようにしていて、歩行機能の衰えなどは感じずに済んでいるのですが、これがもしまったく運動の習慣がなかったらどういう身体になっていくのだろうという若干の不安があります。

でもそれくらいですかね。不安があるとしたら。
オフィスを都心にどーんと構えるのは、小さい会社のうちは不要なのだなあと思いました。たぶん、従業員が増えてきたら話が変わってくるとは思いますが。ベンチャー界隈な皆様には郊外の一軒家を思い切ってオフィスにしちゃう案、オススメです


そんな近況報告でした。
最近、自分がよく読むブログ達が、そのひとの些細な日常だったり小さな挑戦だったりを書いているものばかりだなーと思い、私もささやかな日常をこまめに書くのを再開しようと決意しました。
それがブログのおもしろさだなっておもいます。たいそうなことはメディアにおまかせして、私はどうでもいい毎日を書き留める楽しさを見い出しはじめております。

叱られた時のショックの消し方

読みました。

anond.hatelabo.jp

 

アラサー女子の私ですが、私も未だに同じ症状を抱えて、人生の長い間つらい思いをしてきました。

だって、なんでも時間できた瞬間にふと、嫌な思い出だけを思い出すんですよね。たぶん人間の防衛本能なんだろうとは思いますが。

私の場合は中学生くらいの記憶からつい最近の記憶まで、けっこう幅広く思い出します。例をあげようとして、最近思い出していなかった記憶をまた思い出しました。大学生のときに、マクドナルドで友達と喋りながらごはん食べてたら、たぶんその席の近くで食べてただろう男性が紙切れ一枚通りすがりに投げつけてきて、そこには「黙れデブ」的なこと書いてました。がーん。うるさくてすみません。とか言う些細なことから、友達にガチ切れされたことまで、大小問わず傷ついたことを思い出してはまた凹む、そんな毎日。

困ってたので本に助けを求めた

で、そんな毎日では苦しくて仕方なかったので、いろんな本を読みました。

そして今はわりと、昔よりは心穏やかに過ごせる日々が続いておりますので、同じ方法で全員が改善するとは思えないけど書き留めさせていただきます。

 

読んだ本で、私がいま実践してるのは下記の本です。有名なやつありますが。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

反応しない練習  あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

 

これらの本を総合すると、私としての理解は下記となります。

 

過去は「自分」ではないと信じる

実際、自分には「いま」しかないわけで、過去の出来事は記憶が勝手にもたらしている幻想にすぎないということを基本的に信じるようにしてます。

今こうやって生きている自分、だけが自分であって、過去はもう自分ではない。

同様の主旨はバカの壁にも書いてあった気がします。

目の前に桜があるとして、余命半年を宣告されたあと見る桜をどう感じるか。宣告前とまったく感じ方は違うけど、桜はただ変わらず咲いているだけ。変わったのは風景ではなく自分。少し前の自分といまの自分の感情が変化しただけで、世界が違って見える。そんなかんじだったような。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

過去の自分は、もはや自分ではないので、必要以上に思い出して反省する必要はまったくない。

なにが真実かはわからないけれど、そう信じるようにしたら気持ちがラクになったし、フラッシュバックの頻度を下げることに成功したような気がします。

 

嫌なこと思い出すのは、どこかで落ち込みたいと思ってるとき、かも

過去の嫌な記憶に関連付けて、自分はなにもできない、トラウマがある、と感じるのは単なる思い込みで、今の自分には関係のないことだ。と、アドラー先生はおっしゃった、らしいです。少なくとも私はそう解釈しました。

でも実際トラウマはある、と思うのですが。

それは「できない」「やりたくない」と思いたいから、トラウマとしてフラッシュバックするのだとか。いまの自分がそう思いたいから、思い出すだけ、という。

だから、「できる」「やれる」「成功する」って思うようにすれば(すなわち、幸せになろうとする勇気を持ち続ければ)、その思い出は嫌な記憶としては思い出さないだろうし、そもそも思い出さなくて済むようになるかも。という考え方。

なんかまさに目から鱗、的な考え方だなあと思いつつ、私はそうやって考えたほうがラクに生きられるなあと感じて、信じることにしました。

 

そもそも他人の問題は自分には関係ない

他人が怒っていようがなんだろうか、いま自分の手で変えられるのは自分だけ。「他者の課題を切り捨てる」 という表現でしたが、これは本当にそうだなと思います。

だから、トラウマとして思い出すきっかけとして「あの人が怒っていたらどうしよう」とか「あの人によく思われたい」とかがあるなら、それはいまの自分には関係ないので考えなくて良い、ってことなんだと思います。

 

とにかく思い出す頻度を減らして、記憶のシナプスを断ち切る

3日前の晩御飯は思い出せないのに、10年前の嫌なことは鮮明に思い出す。

それは、何度も何度も思い出してしまっているせいで、記憶のシナプスが強固になってしまっているから、だそうで。

とにかく思い出しそうになったら、それ以上思い出さないようにする。その地味な努力を積み重ねることで、いつしかすっかり忘れられる……

そう信じてやってますが、成功しているかは不明だし、ずっと不明のままのような気がします。なんたって忘れるのに成功したら思い出せないはずなので、「実際に●個忘れることに成功しました!」とか言い始めるとものすごい矛盾が生じるわけで。せっかく忘れたのに思い出したくないので掘り返さないようにしないと。

というわけで成功したとか失敗したとかPDCA回せない系タスクですが、たぶん効果あると思います。

 

それでも思い出しそうになったら、記憶をまるめてクシャっと捨てる

いつ何時たりともフラッシュバックさんはやってくる。でもやってきたら、まずは遠目に観察する。そして、記憶を新聞紙のようにくるくるクシャクシャまるめこんで、ポイッと捨てる。すぐに好きな歌でも真剣に鼻歌する。

人間の脳みそは大変におしゃべりだしうるさいので、1分くらい嫌な思い出をそれ以上思い出さないように努力すれば、すぐに別の議題に移ってるはず。試しに5分ストップウォッチで測って脳みその議題を観察してみたら、5分前とは全くもって違うことを考えている、はず。

ということが、「反応しない練習」に書いてありました。実際これはやってますが、効果絶大だと思ってます。

なお、瞑想もこの脳みそのおしゃべりを止める技術だと思うので、効果あるんじゃないかと思います。私は瞑想を誰かに習ったことがないので正しいのかよくわからないのですが、よく脳みそがうるさすぎるときは、脳みそがしゃべらないようにする訓練をお風呂に浸かりながらとかやってます。

 

そして話はちょっと逸れるのですが、私が脳みそトラブルで悩んでいることは、トラウマのフラッシュバックとそしてもう一つ。

「他人の成功や幸せへの嫉妬」というのがあります。この嫉妬がけっこうつらい。それこそ、ぜんぜん成功していないうだつの上がらない自分を省みてしまって、しにたくなる。

でも、最近遅ればせながら「幸せになる勇気」を読んで、ちょっと改善されたので合わせて書かせてください。

 

人間の社会は「分業」。分業であるなら、他人の成功は自分も幸せであるはず

例えば自分は弓矢作るのめっちゃ得意。だけど、運動神経が悪いし足も遅いから、狩り自体は他の人に任せる。その「分業」のおかげで食物の総量が増えるなら幸せ。

狩りのエースに嫉妬しがちだけど、自分は自分の得意な場所で淡々と活躍することで分業が成功してエースが誕生するなら、それが結局自分の幸せにもなる。そんな考え方。

この考え方になるほどー、と納得して以来、あんまり嫉妬しなくなったし、他人の成功や幸せを喜べるマインドが育ちはじめました。まだまだ育ちきってないのでいつまたすぐに闇落ちするかもですが、今のところ心から納得できてるので大丈夫そうです。

 

いろいろ書きましたが、正直、本を数冊読んだだけで研究者でもなんでもないので、解釈の正確さはわからないです。が、とりあえず今私が実践してることを書いたら、フラッシュバックに苦しむひとが減るかもと思い書いてみました。

届くといいな。

 

長時間労働を意識的にやめてみた。

結論から申し上げますと、

 

・クリエイティブになったかは知らん

・でも「新しいことに挑戦してみよう」っていう気が起きやすくなった

・これは無駄な仕事ではないかと考える回数が増えた

 

という効果効能が確認されました。

 

私のスペック

いまの会社がわりと好きで、仕事も好き。これまで年に1回は転職してたけど、いまの会社は次の7月でまる3年所属してることになる。私にとっては快挙。

 

そんなわけで、会社のためにモリモリ働くことは別に苦ではなかったので、特に昨年末から4月くらいにかけての半年くらいは、残り少ない20代の体力の限り、人員的な問題と会社的な問題でしぬほど働いてみた。

具体的には、平日は22時くらいまで、土日は必ずどちらか一方は8時間ほど。まあ、世のブラック企業にお勤めの皆さまにとってすればぬるぬるのぬるま湯とは思います。

 

しかも上司やまわりの環境に強制的に働かされてたわけでなく、一応自分の意思で働いていたのであくまで企業が悪いわけではありません。

私も過去の会社では朝まで働いてたこともあったのですが、それが主な原因で転職重ねてるくらいなので、基本働きたくないマインドなのですが。それでも会社や仕事をなんとかしなきゃという虚栄のやる気みたいなのが噴出してたので、長めに働いていたのです。

 

なぜ長時間労働やめたのか

結果、私の持病的存在になりつつある適応障害になりかけました。そりゃそうだ。

そして、そこまで長く働いても、結果は変わらなかった。これ、悲しい現実。

結果、というのは、具体的には会社とか自分の事業の業績が上がったのか、で判断したのですが、これほとんど変わらなかったんです。

 

多分原因は、作業することが仕事になってたからかなあと。ただ機械のように作業するだけなら、機械がやればいいじゃない。

そして、そもそもその作業は会社にとって・ひいては社会にとって必要なのか。そして自分自身にとって必要なのか。

作業に没頭して時間を消費することで満足してたらしい。不要な作業に入り込んで浸るってのは本当に悪だと思う。

 

長時間労働をやめるために、ダラダラ続けることをやめた

その仕事に効果があるかないかなんて、結局やってみなくちゃわからない。

けど、一番の悪は、やってみた結果を検証せずだらだら続けてたこと。

 

私はウェブメディアの仕事をしてるので、具体例がそこに寄ってしまうんですが。

例えば記事配信本数を増やすってことにして頑張って増やしたらしぬほど忙しくなったんですが、まあ一応効果出たけど大局的に見ると金だけ使ったけどこれって記事本数をめちゃくちゃ増やせる資金的な体力がないと無理な戦略だったなっていう気づきを得て。とはいえ効果は出てるしなーというのでだらだら続けつつ、日々の仕事に没頭して時間だけ浪費するという虚無。

ようやくなんとかしなきゃ、って頃にはもう疲れ果ててて、手癖のように仕事してた。なんというか、頭を経由せず仕事するかんじ。

 

なので、まず、今やってる仕事をいったん止めてみた。

そして、本当に必要なものだけをリスタートしてみた。

それだけでも、案外世界は回る。

 

その上で、とにかくやってみてダメだったらすぐ変える、効果の弱いものはやめる。簡単に言うと「ダラダラ続けない」ということをはじめました。

 

するとこれまでやっていたタスクはいったい何だったんだろうという気持ちになり、効果的だと思われる仕事、それはつまり新しい仕事やクリエイティブな仕事に結果としてなるのですが、そういうものに時間を注ぐことができるようになりました。

先ほどの例でいえば、記事配信本数を減らす代わりに記事の質が上がるような編集部体制を整えたりすることに使う時間をつくることができるようになりました。

 

それが本当に効果的なのかは、結果を観測するまでは不明ですが、観測できるようになったらすぐに見て、ダラダラ続けない。ということを最近するようにしてます。

 

そもそも長時間働かないようにした

上記のは、仕事の効率化、とかかっこいい言葉で言うとそうなるのかもしれないですが、まず冷静になって仕事に没頭しすぎてないかを確認するのをまず最初にやったのは、肩の荷が下りたような気がしてよかったです。

 

次に、そもそも長々働く、ということ自体を意識的にやめました。無限に働けてしまうような仕事をしてるのでついつい働いてもいいかなという気分にはいつでもなるのですが、そこはぐっと我慢して。むやみやたらに働かないようにしました。

 

そうして、最初にあげた効果効能が確認できるようになりました。

まず、あ、あれやってみよう、とかいう前向きな気持ちが頻繁に作られるようになったっぽいです。心の余裕がないと、やりたいことなんて湧かないらしいです。

そして、定期的に自分のタスクに対する「これ無駄じゃないか」という振り返りが入るようになりました。なんたって早く帰りたいので、無駄な仕事をしたくない。

 

そんなかんじで、今は週に2回ジムに通って筋トレと水泳に励み、週末にはウォーキング・ランニングやマラソン大会出場なんかを定期的に精力的に取り組んでおります。やっぱり適度なヒマと運動は心にも良いっぽいです。

 

 

というわけでみんなマラソンやろう。いろんな地方の大会に出て大歓迎されるのたのしいぞ。

今日も定時であがれるようにがんばります。 

「旅行実況マストドン」つくりました。

私としてかなり自分のニーズにドンピシャなものを作れたので、心置きなく大宣伝いただきます。

こちらです。

mstdn.voyage

その名も「旅行実況マストドン」。ドーン
所属してる会社でつくりました。

ギークなみなさまの中で話題中の話題、マストドン。
まあざっくりいうとマストドンというのは属性ごとのTwitter、ってかんじでできることはほぼほぼTwitterだと思うのですが。
でもTwitterでは、もはやフォロワーさんが見ているという状況でバシバシとどうでもいいツイート連発するのは、私としてはかなり気が引けてしまって。

そこで、この「旅行実況マストドン」ということでございます。
ここで心置きなくミニ旅行の話をバシバシと投稿。そしてその地の在住者なんかにローカルタイムラインで見つけてもらってアドバイス貰ったりとかできちゃう。

まあそれは副産物的なもので、私の今のところの使い方としては、どうでもいいミニ旅行のどうでもいい内容をがんがんUP。で、ログにしちゃってます。
詳しくは私のページにてご確認いただきたく。

mstdn.voyage

今回の旅は、いやこれが旅なのかというとわからないのですが、JR東日本が開催している「駅からハイキング」というものがございまして、これがまあ、普段行かないような近所を歩けるという最近主に私に刺さってるシステムです。参加者の年代はかなり高めですがそんなの関係ない。

今回はなんとあの日産スタジアムでお馴染み、小机駅から小机城址・日産スタジアム・鶴見川を経由して新横浜まで戻ってくるという13kmの道が設定されてまして、日産スタジアム以外の小机の本気を発見できてなかなか幸せになれました。

そんな旅の本当にどうでもいいログをいっぱい吐けて幸せ倍増。いつも黙々とただ歩いて帰ってきていた「駅からハイキング」ってどうして楽しいのかが説明できるようになった気がします。


というわけで、実況しなくてもいいので、だらっと眺めに来ていただけたら幸いです。
ちなみにこの週末にかけて、私の同僚が東北ヒッチハイク旅行中で実況しているので、よかったらアドバイスしてあげてやってください。

ドメインはmstdn.voyageでございます。

「けものフレンズ」で人生初めてアニメを全話見た。ありがとう。

とにかく私の周りに「けものフレンズ」という単語さえ知らないひとのほうが多くて、この話ができるひとがいない。なのでせめてネットの海にメッセージボトルを投げつけることで、このどうしても誰かに話したい欲求を解放させていただきたい。

私はかつてゲーム制作界隈をぶらついていたのにも関わらず、漫画やアニメに関しては興味がほとんどなくて、特にアニメなんて全くと言っていいほど見たこともなければ見ようとも思わなかった。かつて、けいおんとかまどマギとかおそ松さんとか、そういうのが流行したというのはもちろん情報としては入ってくる、けど自分が見るというところまで行動に移したことはなかった。

どうして「けものフレンズ」は見ようと思ったのか。そもそも「けものフレンズ」という単語を認知したのはたぶん4話くらいのとき。IQが下がるだの、たーのしーだのを覚えた。そして、「みんな違ってみんないい」の世界、だけど、考察班が生まれるほどにストーリーと動物たちに奥深さがある、ということも知った。
そんな各種SNSチャネルにおける「とりあえず無条件で見てもなんだか楽しそう」という評判が、「まあ1話くらい見てみるか、無料だし」という気持ちにさせてくれた。

で、1話見た。なんかちょっと不自然で安っぽいアニメだなあって開始5分くらいは思った。
でも見終わったあとに良くわかった、「みんな違ってみんないい」。
この先どんな「みんな違ってみんないい」が繰り広げられるのか。続きが見たいと思った。とりあえずネット配信されてるもの課金して見た。動物園に行ってみたくなった。

5話あたりまで見たら、ストーリーの続きが気になるようになってきた。図書館に着いたらどうなるんだろう、かばんちゃんは何者なんだろう、そして、このお話の結末はどうするんだろう。

1週間遅れのネット配信で、ついに11話までたどり着いた。けものフレンズの結末のことで頭がいっぱいになった。次回が気になりすぎて生きるのが辛いレベル、だなんて人生で数えるほどしかないと思うけど、以前の例が思い出せないのでもしかしたらそんな気持ちになったのさえ初めてなんじゃないか、このひなびたアラサー女がこの歳でこのワクワク感。
最終回はオンタイムで見よう、と決意した。
……実際には、25時半まで起きられずに録画して寝て早起きして、スマホをいじる前に見た。

まあ、泣いた。泣くの我慢しまくって疲れた。それでもこぼれた。
全話きちんと見てきたからこその、ご褒美のような最終回。今まで見てきたからこそ納得感のあるフレンズ達の行動の数々。そして無事、ハッピーエンド。
全話見て良かった。本当に良かった。

これをきっかけにアニメが好きになる、ということはないかなあとは思うけど、「深夜アニメ」に対しての考え方は少し変わった。
けものフレンズなんて、別に内容自体は朝でもゴールデンタイムでも放映できるし。「深夜アニメ」という語感の印象が変わった。

あと、動物園行きたい。

寄稿のご報告と、稼げないブログについて。

下記記事を寄稿させていただきました。

www.e-aidem.com


「女性の生き方・働き方」系で、きちんとしたかたちで寄稿するのは初めてのこと。
まずお声をかけていただいたこと、そしていつしかライフワークにしたいと考えている方面での寄稿依頼だったことで、嬉しさのあまりいつも読んでくださっている皆様にもご報告です。

ブログは、稼げない

巷では、ブログに好きなこと書いても稼げない的なエントリがよく読まれているようですが、私も概ね同意していて、もしブログだけで飯を食うとしたらジャンルを絞ってビジネスだと割り切ってやったほうが効率がいい。一応いまの仕事はそういったジャンルも主戦場の一部なので、やろうと思えばもっとPDCA回してやらないといけないということは身をもって知っているつもり。

写真家界隈でも同じような話、ありますね。

私は、あの青い池の写真がAppleに採用されたケント白石というお方の、「好きな写真を撮るために、宿業と両立させる」というスタンスが好きで、影響受けているような気がします(参考記事)。

プロのカメラマンなんかやってしまったら、"写真で食える"のは間違いないけど、クライアントのニーズに沿った写真しか撮れないだろうし。あくまで写真を自己表現やアートの場だと捉えるなら、クライアントのニーズよりも自分の感情を写真として表現したいわけで。となると、いくら写真を"綺麗に撮れる"としても、プロのカメラマンとしては生きていけない(し、そんな生き方したくない、とケント白石氏は言ってます)。

アフィリエイトサイトも、ブロガーも然り。読者のニーズを汲み取って、読者のニーズに応える記事を書かなければ、食ってはいけません。好きなことなんか書いても儲からないのは、このあたりのロジックだと思ってます。
本当に好きなこと書いて生きていきたいんだったら、別の事業と両立させるのが実はいま、一番いいのかも。

それでもブログを書く理由

でもそんな中で、自分のブログだけは「書きたいから書く」「書きたいことだけ書く」ということを細々と続けてきました。

細々すぎて、もう開設からは7年くらい経っているような気がするけど、結果として儲かってはいないです。それに加えて読者数を伸ばす努力も怠っちゃって、たいしたPVもないです。本当に。(そんな中で読んでくださっている皆様にはなんと感謝したら良いのか)

でもそんな弱小ブログをはてなの片隅でしたためるなかで芽生えてきた感情としては。
自分の生き方や考え方を書くことで、「少しでも同じように苦しんでるひとの役に立つことはできないのだろうか」という、思い。

政治家になりたいひとの気持ちなんてまったくわからなかったけど、たしかに社会を変えるには政治家になるのが早そう。ブログ書くよりも世界を変えられる。

でも私はやっと落ち着いた今の仕事が好きだし、今の仕事を続けながら気持ちをアウトプットして、そして少しでも誰かの人生や社会を良い方向に変えられるとしたら、それは願ってもない好機だなあと。
りっすんさんの記事のブコメに、「つわりを我慢しないで明日報告してみようと思う」というコメントがついていて、じんわりきたというのもいい経験です。

そういう考えに至っていた今、こういう寄稿のチャンスをいただけるというのは本当にありがたいです。
こういうアプローチで、本業と執筆業の両輪をくるくると回していけたら。今のところそれが、私の生き方でしっくりきています。


というわけで、ブログっていうのは直接的に稼ぐためだけのツールじゃないよと言いたい。こうやってなんらか頑張って、誰かのことを思いながら書いた文章っていうのは、大半はインターネット海の藻屑となるようだけど、少なくとも自分の糧となって蓄積されるようだということだけは忘れないでいたいです。


どうでもいいけど、今回引用させていただいたニャートさんが出てきたときはキャラかぶってるなーとかなんか仲間かなとか思ってたのに、いつの間にはるかに有名になられたようで、なんというか、悲しいけど、応援してます。一緒に仕事できる日がくると嬉しいな…なんて。。

寄稿報告だけしようと思って画面に向かったら、結局いっぱい書いちゃうあたり、やっぱりわたし、がちゃがちゃと気持ちを打ち込むの好きなようです。生きられるようにがんばります。