レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

妊婦が働くということ(そして、流産するということ)

タイトルにも書いちゃったのでアレなのですが、今回あんまりいい話じゃないし人によっては傷つくかもなので、そういう内容が書かれるという心持ちで、もし読んで頂けるなら読んで頂きたいと思う所存です。
この2ヶ月いろいろありすぎて、心も身体もいっぱいっぱいだったのを、このエントリに書きなぐることで消化してしまうという魂胆です。そんな私の発散に付き合っていただいて恐縮です。そして超大作になってしまった。

この2ヶ月で起こった事象と考えたことを書き書きする。

妊娠した

びっくりした。
元々生理不順な身体で、16歳のときから産婦人科に通い詰めるこの道10年以上の常連客。30歳までに第一子を授かれたらなーという希望はほのかにあったので、その旨を医者に告げると、妊娠できるような処方に変わった。
いわゆる「タイミング法」と呼ばれている方法なのか、正確には名前は知らない。低用量ピルを5日間ほど飲んで、その後排卵されてしかるべき日に、排卵促進の注射を打つ、という方法。
この方法、なかなか辛かった。注射特別嫌いってわけじゃないけど、さすがに月1回筋肉注射するのは、精神的にヘコむものがある。
いつか授かれたらいいなーと思っていたのが、とりあえず月1回はきちんとチャレンジしなくちゃいけないような、そんな緊急レベルがひとつあがったようなかんじになった。

でもまあ、やっぱりそうはすぐに授かれるものじゃなくて。タイミングだって毎月絶対に合わせられるものじゃなかったし……って思ってたら。
病院に通うタイミングも、何もかもズレまくって今月はダメすぎると思ってたその月。
なかなか基礎体温が下がらなかった。いつ生理くるんだろうって、生理前の激重な身体を引きずる日がずっと続いて。なんやこれ、どうしたらいいのかなと思って、とりあえず気休めに妊娠検査薬というのを買ってみた。

【第2類医薬品】オムロン 妊娠検査薬 クリアブルー 2回用

【第2類医薬品】オムロン 妊娠検査薬 クリアブルー 2回用

こんなやつ。トイレでひとりで簡単に検査できちゃうという優れものなのですねこれが。
で、初めて使ってみて。
はっきりと「陽性」のラインが現れた。

いつもの産婦人科に行ったら、尿検査されてやっぱり陽性。
ここから私の妊婦生活がはじまった。妊婦生活ってなんやねんと思ってたけど、意外とすぐに生活が変わりはじめた。
まずは、まだ妊娠5週目だっていうのに、分娩予約しなくちゃいけないということ。早すぎやろ。
私の暮らす武蔵小杉(余談。実は今夏に、元住吉駅徒歩30分の家から、武蔵小杉駅至近に引っ越した。駅近というのは何にも代えられない価値のあるものだと実感してるところ)、皿やらペットボトルやら卵やらを投げつける案件が多発するのも理解できるほどに、超高層マンションがボッコボコと乱立してる影響なのか、空前のベビーブームで分娩施設はどこもてんやわんやらしい。だから妊娠がわかったらすぐに、こっちで産むのか里帰り出産するのか、もしこっちで産むなら予約してください、とのお達しが。そのスピーディー展開にぜんぜんついていけない、けど、こっちで産むって決めて、ぜんぜん繋がらない関東労災病院に何十回も電話かけて、ようやく予約できた。

それよりも何よりも、妊婦生活を実感するできごと、っていうのはやっぱり、つわりだった。

つわりが想像以上に辛すぎてワロタ

なめてた。
妊娠5週目、5週目ってまだ赤ちゃんも何も、生理が1週間遅れてるーくらいの週なんですけども。
すでに吐いた。お腹が空くと気持ち悪くなるパターンっぽい。全く妊婦の自覚も芽生えてないのに、身体だけが勝手に妊婦化してて、ついていけない。
今まで普通にできてたことが、きつい。
例えば会社に行くということ。坂道を登るんだけど、それだけで気持ち悪い。体力使うと気持ち悪くなる。ゆっくり登る。でも会社についたころには、もうベッドインしたいってレベルでへとへとになってる。なんだこれは。
普通に座ってるだけでも、身体が重すぎて体力を使う。お腹が減るとピンチを迎えるので、2時間半おきくらいにおにぎりを頬張る。常に胃腸の様子を気にして暮らさなければならない。
吐き気の頻度は日に日にどんどん上がってくし、電車乗るのも吐くんじゃないかと思って恐怖に満ち溢れていたし。おまけに便秘やら頭痛やら微熱やら、ありとあらゆる体調不良に見舞われて、布団の中で涙してた。なんだこれ、少子化に貢献してるし人類に貢献してるはずなのに、なんでこんな罰を受けなければならないんやと。

さらに仕事に支障をきたしたのは、風景写真を見ることとネット記事を読むことがなぜか吐き気を催しまくること。
だいたい理由はわかってる。妊娠5週のころ、まだつわりが弱かったのもあって、その身体でマカオへ取材旅行に行ったのだけど、なかなかきつかった。現地取材よりきつかったのは、500文字記事を20本以上執筆しなくちゃいけない帰国後の惨劇。結局なんとかトイレとデスクを往復しながらやり遂げたのだけど、それが身体に染み付いてるせいか、風景写真とネット記事、そして「旅行」という言葉を聞くだけで胃酸が逆流する始末。今書きながらでも、その時の吐き気の感覚を思い出して、悲しくなってくる。ほんと人体の不思議展や。つわりってのは。

周囲の人に伝えるタイミングは、理想と違うものらしい

そんなこんなで、妊娠がわかってからすぐにつわりとのお付き合いがスタートした次第でして。
私の思い込みでは「いま妊娠3ヶ月です、安定期です」みたいなかんじで、流産のリスクが下がった時に会社や周囲に言うものなのだと思ってた。ドラマではそうじゃなかったっけ、みたいな。
でも、現実は。
妊娠5週、つまり妊娠2ヶ月ですでに吐いてる。妊娠3ヶ月なんてもうすでにつわりが友達になってるんじゃないかってくらいだいぶ先の未来に感じるんですけど。さらにいえば、安定期っていうのは妊娠5ヶ月からころらしい。先すぎる。
早めに会社に伝えておかないと、謎にたくさん休みがちになった女になっちゃうなと思いまして。
妊娠5週目にして、会社には伝えました。一応祝福してくれました。迷惑だなって思われてるよなーきっと、って思ったけど、仕方ない、言わないともっと迷惑だろうから。

入っていた予定で、無理そうなものはすべてキャンセルをした。いとこの結婚式。弟の結婚式。
申し訳なさすぎるけど、無事に祝福できる体調ではなかった。本当に申し訳ない。頑張れるかな……とも思ったりしたけど、早めに欠席を伝えるほうがみんな幸せになれる気がした。
その際も、親族っていうこともあって、つわりがひどいため欠席というように理由も添えて伝えた。まだ妊娠6週ころだったから、伝えるのは気が早いって自分でも思うんだけど、どうしようもない、本当につわりが原因だし、理由を濁すのもそれまたおかしなことになりそうだし。

そうやって、1日1日を一生懸命生きた。生きてることだけで精一杯だった。もっとひどいつわりの人なんていっぱいいるって、知恵袋やら小町やらにはそんな壮絶な経験談がたくさん並んでいるけど。私はこれでももう十分につらかった。
ただ、
「つわりは、赤ちゃんが生きている証拠だよ」
この言葉だけを信じて毎日を生きていた。

妊婦が働くということを肯定する

肉体的にもそうやって辛かったのだけど、精神的にも追いつめられてた。
まったく仕事ができなかった。一日で身体を起こしていられる時間がかなり限られていた。佳境を迎える開発を支えなくちゃいけないディレクターの仕事、ぜんぜんできてなくて。申し訳ない。申し訳ない。ってそれを言うのも申し訳ないから、なんとかできる時にできることをやるしかなかった。

そんな日々が続くと、「なぜ妊婦を雇い続けなければならないのか」「なぜ女を雇わなければならないのか」などという、マタハラ訴訟まっしぐらな考えが妊婦自身の頭をよぎった。ずっとそれを肯定できずに、悶々としてたんだけど、私の中では結論がようやく出た。
今のご時世、結局働いた時間分だけ報われるということはなく、働く質が重要で。会社に20代独身男性ばっかり集めて徹夜で働いても、ニーズにあわない製品を作り上げてもまったく無意味。それよりも、多様な考え方で問題にアプローチして、会社全体で最良のアウトプットを出すことこそが、会社も従業員も、そして社会も豊かになるんじゃないかな、とか思えるようになってきた。この会社で妊娠を経験してるのは私だけ。そんな私にしか見えない・考えられない何かがある、かも。だなんて。

そんなことをぼーっと考えてると、私がまだ会社にいてもいいかな、っていう気持ちになれた。
従業員含めてマタハラなんて1ミリもない会社にいながらにして、自分の脳みそが一番ハラスメントな私だったのだけど、この考えに行き着いてからは、子どもを産んでも働かせてほしいな、うふふ、とか思えるようになった。

流産した

妊婦健診というのは、12週ころまで2週に1度くらいのペースで行われる。その後は1ヶ月に1度。それくらい、12週ころまでが不安定な時期なんだろうと思う。

その日は妊娠10週。薬が欲しくて、前回の検診から10日くらいで受診しにきた。妊婦は市販薬飲んじゃだめらしいので、頻発する頭痛と胃痛への処方が欲しかったわけです。つわりを弱める薬ってのもあればいいんだけど。一応相談してみよう、って思ってた。

まあ、経膣エコーの結果は、お察し。
妊娠8週と数日くらいの大きさで、心拍が消えてた。10日前に初めて確認できた、白黒の映像にピコピコと光る点。その点滅は、もう見られない。
キューピーちゃんみたいな身体は、はっきり見えるんだけどね。CRL(座高)は18mmくらい。もう私、10週過ぎてるんですけど、前回と同じくらいのCRLしかなかった。そんでもって心拍もないし。あー。えー。心拍は一度確認できたら流産の確率下がるし一安心だねーとか思ってただけに、なんかびっくりしすぎて、医者の説明が頭に入らないし。
初期流産ってのは確率けっこう高くて、2割弱くらい実はあって、その流産のうち3~4割はこうやってお腹の中で音もなく亡くなっているものなんだって。医者も慰めのためになのか説明をしてくれているけど、私も一応調べたことあったから知ってた。知ってたけど。
そうして稽留(けいりゅう)流産の手術、掻爬(そうは)手術の説明を受ける。お腹の中を掃除する手術(中絶のときも同じ手術らしい)。しかし流産流産って医者が連呼するから、泣けてきたし。恥ずかしいすみません、病院で泣くなんてびっくりだけど、涙が出て出て止まらなくなってた。看護師さんも「初期流産はほとんどが染色体異常が原因だから、確率の問題だから、ね?」って言ってくれて、そういうもんだって知ってるし、納得はしてる。だけど涙は出てた。理性と母性が入り乱れてた、と思う。
この病院では、すぐに手術を受けるのを推奨された。放っておけば自然に出るらしいのだけど、大量出血とかなりの痛みがあるらしい。そして残留したら結局手術するらしい。私としても、亡くなっているのが確実だし、早く手術するのを望んだ。手術日は明後日になった。
赤ちゃんが亡くなっているのに気がつかず、身体はまだホルモンを出し続け、私は宣告された次の日だって吐いてた。つわりを耐える理由がなくなった今、虚しさしか感じられない。それでまた涙が出た。

この苦しい1ヶ月半のつわりが報われなかった。その現実もまた受け止めきれなかった。つわりは赤ちゃんが生きている証拠だなんて誰が言ったのだろう。
そして、つわりキツすぎて妊娠報告しまくってしまった後始末。やっぱり安定期までじっと耐えればよかったのかなとか思う。でもまあ、仕方ない。つわりのことを思うと、仕方ない。
旦那に伝えた。ごめんね。
母親に伝えた。「早くわかって良かった、ということにしようね? また、すぐ授かれるから」と言ってくれた。そんな母親は、出産後5日で1人目の子を亡くしてる。実家の仏壇と線香の匂いと、母親の手を合わせる姿が浮かんだ。嗚咽が漏れた。
そして会社に伝えた。その日、午前中通院して、午後から仕事する予定だったのだけど、「自宅で仕事していいよ」と言ってくれた。ありがたかった。

取り急ぎ身近な人に伝え終わると、涙もようやくおさまってきた。支えてくれていた人達にこの事実を伝えるのが、最も残酷な作業だった。

稽留流産・掻爬手術

そうそう、このエントリ、私いつの間に書いたっけとか思った。

anond.hatelabo.jp

久々にはてブを見られるくらいにつわりがなくなった時、ホッテントリで見つけた。運命じゃないかと思うくらいびっくりした。本当に、この方と、時期も経過もほとんど一緒です。ひとりじゃない。

というわけで詳しくはそちらのエントリに譲るとして、朝イチでラミセルというのを子宮口にぶち込んで、入り口広げようっていう作戦、あれが史上最大の息も絶え絶えな生理痛ってかんじでキツかった。まあそれも1時間くらい経過したら痛みもなくなって、あとは時間の経過を待つだけ。その間3時間。ベッドで寝っ転がって待機。あーモンハン持ってこればよかった。仕方ないので、読みかけの「ドグラ・マグラ」を。妊娠中から寝転がってるしかないときにコツコツと読み進めていたので、あと3分の2くらい。胎児の夢の部分を読みつつ、胎児も夢を本当に見るのかななんて思ってたりしてたあの日々。読みきったあとの感想は、思ったよりも普通におもしろい本でした。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

読みきってもあと30分もあるので、「火花」買ったよね。「ドグラ・マグラ」のあとだと大変読みやすい。

火花

火花

読んでる途中に、ついに手術タイムきた。 点滴で静脈に麻酔を投入される。掻爬手術って、全身麻酔するんですよねこれが。人生初。「本当に眠れるのk」くらいまでは記憶はあるんだけど。歯に麻酔するのと同じ感覚で、脳みそがじんわり感じなくなって、すぐに意識なくなってたっぽい。
そして目が覚めたら、金縛りのように口やら腕やら足やらが動かないけど意識はある状態になってた。看護師さんに向けた第一声は「寝てたんですか?」だった。「寝てましたよ」と言われた。そりゃそうだわ。そして「下痢が出そうです」と伝えた。そしたら「座薬挿してますから、我慢できますか」と言われた。おケツに挿されても目覚めなかったなんて全身麻酔ってすごいすごすぎる。というかいつの間にパンツも履かされてたし。驚きしかないわ。

その後麻酔が抜けて帰れる状態になるまで一休み。1時間くらい寝たら、ほとんど麻酔の重さはなくなってた。
旦那が迎えに来てくれた。安心した。

喪失感

手術後から、つわりの感覚が急速に消えていった。
身体がどんどんラクになっていって、ああ、このすっきり感が通常状態なんだっけ、と驚きさえ感じる。
ごはんも、おにぎりなどの間食せず1日3回で気持ちよく食べられるようになったし、食べたあとも横にならなくても吐き気に襲われない。
すべて、終わったのだな、と。

あんなに辛かったつわりが終わって、開放感もあった。
だけど、喪失感が強かった。赤ちゃんの喪失感はもちろんだけど、つわりがないことへの喪失感。意外すぎる。つらくて仕方なかったけど、きちんと乗り越えたい試練だったのかもしれない。こんな形で終わってしまって、不完全燃焼、というか。
手術前は、「あと半年は子どもはいいかなー」なんて言ってたりしたけど。また授かれるものなら授かりたいって、前向きになれてる。
とはいえ数日は情緒が不安定で、涙が出たり絶望したりしてた。その頻度も少なくなって、今日は、術後4日目です。人間意外とすぐ立ち直る。久々に通常の身体で明日会社に出社する。さんざん迷惑かけた分を少しでも恩返しできるといいんだけど。


ここまで書ききってかなりすっきりしました。
SNS上でもつわりがひどいだのなんだのと、やんわり妊娠アピールしてたので、その妊娠が先日終わっていたことをこのエントリに代えてご報告とさせていただければ幸いです。
とりあえず久々に居酒屋に繰り出したいでござる。つわり中にお声がけしてくださった皆様、ぱーっと行きましょうぱーっと。でも昨日ビール飲んだら、けっこうすぐ酒がまわる上に、ビールが苦いのです。あんなに大好きだったビールちゃん。リハビリしないと。なんて。

というわけで、先週とはまた違う、新しい暮らしがはじまってます。人生いろいろ。ほんとに、いろいろだなあ。