レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

適応障害

雅子さまも適応障害だったんだ。

自分がそう診断されて、ようやく身近に感じられるようになった。

 

実は私も適応障害って診断された。

でも自分でまだ認めてない。

認められない。精神的なアレとかぜんぜんよくわかんない。

でも泣きながら仕事したり、毎朝吐き気と戦うのはおかしいなとは思っていた。

それである日精神科や心療内科へかかることを勧められ、そういう病名をもらった。

 

 

原因となった会社は辞めて、次の会社で元気に働き始めたわけだけど、今度は社会不安障害ってやつが発症したらしく、また胃痛や吐き気との戦い。

その会社はみんなが上昇志向だったから、なんかついていけないなと思い始めたのが発端かな。自分も上昇志向だったはずなのに。この人達に認められるためには、夜おそくまで働くべきだ(この会社は残業を推奨していたわけではないけど、結局できる人は残業しまくってた)、でもこんなに働いてどうなるんだ?別に出世したいわけでもない、昇給すれば嬉しいけどそのためだけにこんなには働けない…

そして、家では旦那(予定)がこたつに包まって、寝ないで深夜まで私の帰りを待ってくれてるっていう。この人のほうが給料もらってるのに、早く帰ってきて家事もしてもらって、私の愚痴を聞いてくれて!彼は私には愚痴はいわないのにね。

 

なぜここまでして働かなくちゃいけないんだよっていう気持ちにもなって、それが身体に症状として出たのかもしれなくて、ボロボロになってまた辞めた。一応診断書は書いてもらえそうだったけど、会社には何も言わずに辞めて、、半ばバックレになってしまってちょっと後悔したけど、当時は辛すぎてそういう配慮ができなかった。すみません。

 

 

そして今、派遣できちんと時間を区切って働いてみようと試みている。

今まで残業まみれの業界しか経験ないし。業界も変えてみようと思う。

そんな25歳の春でございます。

 

 

北海道を出て本土の旧帝大を出て、そんで働き始めたと思ったら身体を壊して、もうなんのために生きてるんだよちくしょーと思う。せっかく生きるなら名前を残すようなことしたい、って親を説得して、決死の思いで北海道を出たのに。このザマである。

だいたいソーシャルゲームに携わったのが間違いだったのか?あれは社会的に誰かを幸せにできていたのかな。少なくとも私は、ドリランドを純粋に楽しんだ時代もあったしドラリーXとか未だに普通に好きだし、ある人達には楽しんでもらってるはず。でも反面、結局パチンコとほぼ一緒でギャンブルなんだよな、ガチャシステムは。不幸なひとも増やしてしまったと思う。そういうこともあって、この業界でこのまま頑張っても、幸せな未来が来るってことを描けなくなったのかもしれない。

 

 

誰かの役に立つように生きたいと願うし、社会的に認められたいという気持ちもまだある。病気なのかはよくわかんない。働きたいような、このままニートというか専業主婦というかを続けたら堕落しかしないような気もして怖い。

 

 

そんな私ですが、今守りたいたったひとつのことは、旦那(予定)とのこの暮らしだけ。

でも、それで充分なのかも。なにを追い求めているんだろう。

よくわかんね。

 

まずは、派遣として、時間を区切って働きつつ、家庭を作ってみる。

その上で、徐々に社会に貢献できるなにかをすれば…よいのかしら。

こんな私でも大丈夫なのかな。

ぐちゃぐちゃ。