レールを外れてもまだ生きる - コロポンのブログ

派遣OL、ベンチャー企業取締役になる。二児の母。ふつうの会社員にはなれなかった人のつぶやき。

流産したという"呪い"を2016年に置いていく。

2015年12月、流産した。
1年たった。まだつわりの記憶は癒えない。毎朝起きるたびに「今日もだめか」と思い、安定期とか言われる日までの日数を指折り数え、そして吐いてた1年前の記憶が脳みそに刻まれて未だに消えない。お腹の命は8週で途絶えていたようだけど、10週で掻爬手術を受けるまでつわっていたので、少なくとも1ヶ月半はもがいていたことになる。

その記憶は確かに刻まれているけど、いまの日常生活では大して気にしていなかった。もう終わったことだから。
でも手術してすっきりとした身体で2016年を迎えたのにも関わらず、今年、ついに子どもを授かるという努力を怠って、あれから1年経ってしまった。

正直こわくて。あの吐き気とあの気だるさがまた襲ってくるかもしれないのをわかっていながら、その原因を作るのがこわい。でも子ども欲しいんだけど。というどうしようもない矛盾が、言葉にすることはなかったけれど、自分の心の奥底を支配していたと思う。

でも、つい最近、その呪いがやっと解けた。丸1年、喪に服していたような考え方を貫いてしまった私の思考回路に、ようやく光明が差した。

そのきっかけは、職場の元同僚の妊娠だった。
3ヶ月ぶりに会ったときにはすでに安定期を迎えていた。
ざっくりいうと非常にサバサバした女性で、妊娠していてもう4ヶ月になる、というのもわりとサクッと伝えてくれた。

一緒にいてほとんどウェットな話をしないクールビューティーな女性だったので、まさか、つわりの話でここまで花咲くとは思っていなかった。つわりがあったとしても、まあドライに受け流しそう、というイメージの先輩だったし。
毎朝起きるたびに悲観したこと、日中はまったく動けなかったこと、ただでさえ痩せ型なのに4kgも痩せたこと、2駅先の駅でさえ行くのが辛かったこと。
そして吐き気の波がくるたびにスマホを握りしめて、知恵袋や小町やベネッセのウィメンズパークやTwitterやインスタで、同じ状態のひとを探しては「まだがんばれる」と自分を勇気づけていたこと。
私もやっていたことばかりだった。自分ひとりが苦しい思いをしているような錯覚を覚えたことも、同じ経験だった。なぜかネットで検索するというその行動、そして同じ知恵袋に行きついて勇気をもらって涙してたこと。

そして彼女は「あの時、よく仕事できましたね。よく出社しましたね、すごいと思いますよ」と私に言ってくれた。
別に誰かに認めてもらいたかったわけではない。1年も前のことを励まされたくてそういう話をしたわけでもない。なのに、ただそうやって、本当の意味で「共感」してくれる人が現れた。誰にも話せなかったことを話せた、いやこれまでも十分話せていたのだけど、本当には話せていなかったことを話せた。
とにかく、「共感」が欲しかったのだ。私も苦しんでいる、あなたもそうなんだ、一緒にがんばろう、と。ただそれだけで良かった。私もまたつわりになるかもしれないけど、それでもわかってくれる人がいるんだから、ひとりじゃない。ようやくそう思えた。
「共感」というたったそれだけで、私がこの1年間、勝手に"呪い"にかかっていた、その呪縛から解き放たれた気がした。たったそれだけなのに、驚くほど、晴れやかな気持ちになった。

2017年は、ようやく、前向きに子どもを授かる努力ができそうな気がします。
先輩も近くにいるし。周囲に同じ境遇のひとがいないというのも足かせのひとつになっていたようだったけど、その足かせも外れて。ようやく心から前向きになれました。
まあ、とはいえ、「授かりもの」ということもわかっているので、気長に考えますが。


今週のお題「2017年にやりたいこと」に寄せさせていただきました。
それにしても、当時登録したベネッセから「生後6ヶ月のお子さんを持つお母さんへ」みたいな冊子が毎月送られてくるんだけど、なんかベネッセの中ではすくすく成長してるっぽいからこのまま放っておこうかーと思ってたけど資源の無駄だしそれも今日停止する手続きしてみようと思います。もう1年も前のことだからどのアカウントかわからない。2016年最後の大掃除、時間がかかりそうです。

ルンバと食洗機を買ったら、無言のプレッシャーから解放された。

自分用のクリスマスプレゼントとして、思い切ってルンバさんと食洗機さんを購入。
彼らの活躍ぶりを見ると、もはや敬称をつけざるを得ない。

なにが助かったか、それは「家事が楽になる」というのはみなさんご存知のとおりなのですが。
メンタルへなちょこの私が感じたメリットは、そんな言葉じゃ片付けられないものでした。
今まで受けていた、「お前、家事もできない女なんだな」という無言のプレッシャーから解放されたのです。

いや、先に否定しておきますと、こんなこと旦那は言わないです。親も含めて誰にもそんなこと言われたことはないです。
でも、私は勝手に感じてた。無言のプレッシャー。
「お前、共働きだからといって、旦那より年収も低いわけだし、お前が家事率先してやらないでどうするんだ。家庭のこと考えているのか」
と。

正確には、そんな無言のプレッシャーを日々感じながら暮らしていたということに、気づいてなかったんです。
でも我が家にルンバや食洗機が来て、ついに気づきました。
帰宅したときにふわっと転がる犬の毛のかたまりを見るたびに、心に重圧を受けてた、ということに。
シンクの中に積みっぱなしの食器を見るたびに、自分自身を無意識に責めてた、ということに。

まあ私が悪いんです。ごはん食べたらさっさと皿洗いすれば良いし、犬の毛見つけたらさっさと掃除機かければ良かったんです。
それを面倒くさがって睡眠を優先して、その結果、朝起きて勝手に無意識に傷ついてた。笑える。そして情けない。
そんなぐだぐだした日常。日常すぎて、それが普通だと思ってたんだけど。

ルンバが勝手に掃除してくれて、食洗機が勝手に洗ってくれる。
ただそれだけなんですけど。
それだけで、私の日常が救われた。頑張らなくて良かったのだなあ、なんて思ったり。

よくよく考えたら、私が家事が上手になったわけでもなんでもないので、「お前家事少しはがんばれよ」状態であることには引き続き変わりはないとは思うのですが。それでも日々目に見えて残念な事象である「毛玉現象」と「食器積み上げ現象」だけでも技術の力で解消できたことを思うと、本当にありがたいです。
それでなんだか気持ちが楽になって、ルンバさんがせっせと床掃除してる間に液晶テレビをサッサでいつもより細かく拭いたりしちゃってます。こんなかんじで、技術の進歩と私のやる気のコラボによって、家の中にはびこる残念な事象をなんとか少しでも減らしたいと目論んでいるところです。

次は工面して洗濯乾燥機を入手したいけど、だいぶ先になりそうだなあ。
でもこうやって一歩ずつでも自動化できることをしていくことで、暮らしが豊かになるっぽいというのは本当だということを理解しました。


ちなみに、うちのコーギーのむぎさんにとっては、ルンバさんという後輩ができたことになるのですが、どうやら勝手に衝突してくる彼に対してあまり好意を持っていないようです。
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威嚇こそしないけど、完全に避けてます。じゃれたりされても困るので、お互いにとって一番良い距離感を創出することに成功したのではないかと思っています。

なお、私が購入したルンバはこちらです。

どうやら600番台は吸引力が弱いとのことで、800番台を選択。
たまたまAmazonでセールしていたという奇跡に出会って買ってしまいました。

食洗機はこちら。

乾燥機能なしの男気あふれる仕様なのですが、放っておけば乾いているので今のところ問題なし。
中古で購入、自分で取付工事したのでなかなか安く済みました。

WELQの件と、真面目に生きてきたWebメディアの正念場と、「内職」のこと

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実のところ、こういうWeb系の「適法じゃない問題」に当事者に近い立場で参加するのは3回目。
1回目は、コンプガチャ問題。この時、もうソーシャルゲーム作るのはきついなと感じた。いかに面白いゲームを作るかなんてどうでもよくて、ユーザからいかに金をむしり取るかのほうが大事だった。ビジネスとはそういうものなのかなと思った。面白いゲーム作ってみんな幸せになれたらいいなって思って新卒でゲーム業界入って、それで現実を見せられたかんじ。大半以上は私が甘かったんだと思う。
2回目は、二重価格問題。シュークリームの元値が12,000円と表示されてた件。ただの労働員だったということもあって、まあこれは、自分つまんない仕事してるなーと思った程度。言われたとおりやってただけだし(その気持ちがいけないのだけど、そういう態度でないとあの社会では生きていけない)。
そして、今回のWELQ問題。私がちょうどWebメディアに参戦したころに、彼らも参戦したらしい。当時はNAVER一強だったけど、いつの間にやら彼らのコンテンツに支配されてた。私が作るコンテンツは、そんな彼らのコンテンツの下に、ほそぼそと表示されてる。なんとかしたかったけど、どうにも勝てない日々だった。

いつもいつも、儲かるからといってインターネットをグレーに染めていく人たちが、当然のように儲かっていく。
そんな状況で私がしていることといえば、いち労働員として後処理に追われるか、儲からない蚊帳の外で落穂ひろいを粛々としているだけ。

真面目系Webメディアの正念場

いち労働員だったコンプガチャや二重価格問題のころは、「早くこんな世界から逃げよう」と思って実際逃げて、それで良かったのだけど。
でも今回は違う。Webメディアのコンテンツを作る責任を伴う立場で、WELQ問題が延焼していくのを見た。私はずっと、WELQと同様の手法で作られているFind Travelや、記事の作り方としてはそれらとほぼ一緒だと思われるRETRIPなどの旅行系メディアのコンテンツの作り方について疑問を持っていて、それらへの反発から、「すべて現地取材」を掲げた旅行系Webメディアを立ち上げたという経緯もある。
まあ、これが儲からない。1本あたりの制作コストが断然違うし、量も出せないし、おまけに投資できる金もない。ライターさんにはもっと報酬お渡ししたいのに、利益を出すことができない今それも難しいという状況。適法だけど儲からないビジネス、そんなビジネスをやっている私が悪い。センスがない。
ビジネスを作る力が弱すぎるのだろう。適法なやり方でビジネスを作れさえすれば、パクリメディアが蔓延することもなかっただろう。それを編みだせずこんなウジウジしてるから、インターネットの世界もこうなってしまった。ビジネスを作らないと。

真面目にやってきたWebメディアはついに正念場を迎えたのだと思う。ここで利益出せる仕組み作らないと、世の中に自分が面白いと思えるコンテンツを発信することがもうできなくなっちゃう。デイリーポータルさんもだいぶ長い間赤字だったみたいだけど、こちらは弱小ベンチャー企業。会社を潰したくない。なんとかしないと。なんとかします。という決意表明も兼ねて。

キュレーションメディアの1円ライターのこと

あとは、キュレーションメディアの1円ライター、つまり私としてはそれはパソコンとキーボードを使った「内職」だと思ってるんですが、それについてもモヤモヤがあるものの考えがまとまってないのでまた今度書けたら書かせてください。
なんというか、内職の需要があるのをいいことに、適法じゃないことを安い単価でやらせるなんて、ほんと悲しいと思って。私も大手でガッチガチに働くことはメンタル的にたぶん難しくて、家で働けたらなあと思うことが多いほうです(今は毎日出社しなくていい会社なのでそれも込みで潰したくない)。
世の中こんなに便利になってるのに、家にいながらにして働くことはまだ現実ラインとしては難しい。救世主だったはずのクラウドワークスやランサーズが、キュレーションメディアの案件で埋め尽くされる(おまけに今なお案件は減ってない)。その悲しさへの答えをまだ見つけられずにいます。

そしてうちの母親が、簿記も持ってて大手インフラ系企業でそれなりにやってたのにも関わらず、自分と弟を育てるために家にいなきゃいけなくて、それでやってたのが昆布を縛る仕事とのし袋にのしをつける仕事だった、というのを思い出しました。昆布を縛る仕事のほうは、私が潮臭いと学校で言われるようになったのをついに母親に言ったら辞めることになったけど。つらい記憶思い出してしもうた。
なんとかしたいのだけど。いまこのご時世ならなんとかできそうなのに。

良質な「ネットコラム」「エッセイ」の時代がくる気がしている

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自分が努力したいものを見つけられている状態というのは大変素敵なことであって、ここ最近ひたすらWebメディアの未来についてとか、そんなたいそうなことを考えていたりしております。ちなみに私が作っているメディアは旅行系メディアなのですが、まあ、そうなんです、某検索スパム系メディアもゴリゴリ記事量産しているジャンルでありますので、振りかざす札束のない我々は頭を捻っていくことで生き延びなければなりません。

そうなったときに、まずひとつは開発や運用の力で見せ方を工夫していく、というのはどんどんやっていっているところで、いろんな施策を世に問うてみては引っ込めたり引っ込めなかったりを毎日実施しているところでございます。それがけっこう楽しくて、また来週からおもしろいと思える施策をぶっ込んでみようと思ってたりして、そういうことが気軽にできるいいチームと会社に恵まれて幸せ者だなあなんて思ったりなんだり。
そんなかんじでコンテンツの見せ方の部分もどんどん時代に合わせてアップデートされなければならないと思っており、ひたすら試行錯誤する毎日を送っておりまして、なかなかそれ以外のことに時間を割かなくなっているのは悪いことだなあと思い久々に思考整理も兼ねてブログを更新させていただいている次第です。

前置きがかなり長くなってしまいましたが、前述のように見せ方の部分はもちろん変えていくとして。
コンテンツとしての記事の作り方自体も、そろそろまたひとつ流れが変わる気がしていて、おらワクワクしております。
それが、良質な「ネットコラム」「ネットエッセイ」がいっぱい読める時代がくるんじゃないかということ。

いや、というかもう来ているのかもしれない。
最近のネイティブ広告とかいう流れもあって、記事広告がコラムやエッセイの体をなしているものも、もうすでにだいぶ増えてきている。ネイティブ広告というものの成り立ちを考えれば、コラムやエッセイに振り切って記事を作ったほうがいいという判断になるのもうなずける。 そしてまあまあお金のあるみなさまが、きちんとお金を払って作られたコラムの上質さ。きっともっといい記事がこれからも世の中に出ていくというのが予感できて、ネットコンテンツの節目を私は感じましたけど、勝手にひとりで感じてただけかもしれないけど。

そして、これまでは検索にひっかけるために、それなりにキーワードを散りばめて誰が読んでも違和感ないまっ平らな記事を制作するのが王道だったのだけど。ただの検索スパムのサイトはもう簡単に読者が見破るようになったし、加えて、もはや検索エンジンだけが唯一のチャネルではなくなった……ということで、まっ平らな記事を制作する必要もなくなった。
本当に大事なのは今も昔もやっぱり変わらず、ファンを作ること。ファンができやすいのが、コラムやエッセイの体の記事なのではないか。なーんて。そんなことをぼんやり考えてます。

私はその頃バレーボールに明け暮れていたせいでテキストサイトの時代のことを正直よく知りません、が、その時代への若干の回帰と、そしてこのネット環境になったかたこそできることが上手く相容れて、ウフフって思える愚直に面白いサイトがもっと読まれるようになるんじゃないかなって思ってます。どちらかと言うとそうなるように重めに信じてます。
ウェブのコンテンツなんて思い返せばわりとかなり早いスピードで入れ替わるので、実際なんらか来年あたりは変化してる気がします。だってよく考えたら2014年ころなんてNAVERまとめだらけだったはずだし、1ページの文字数も500文字くらいなの多かった気がするし。

というわけで、真面目にやってきたブロガーさんも報われるんじゃないかってなんか信じてますし、真面目にやってきたメディアもどうにか報われてくださいお願いしますお願いします。明日目が覚めたら急にそういう時代になってるかもしれないから明日からももっともっといいコンテンツを出せるようがんばりますのでよろしくお願いいたします。

こんな名前のブログなので「人生のレール」について考えていることを書く

レールを外れて生きようとする青年の話がちまたでは話題になっている模様なので、「レールを外れてもまだ生きる」とかいう青臭いブログタイトルを持つ私が降臨しました。
このブログタイトルをつけたのが、2013年頃でしょうか。年季入ってきました。当時は「レール」について、もう少し信心深く扱っていたものだったのですが、レールを外れたと思ってから3年も経った結果、
「人生にレールなんてない」
というのが大まかな結論になっています。

歩んだあとにしかレールはできない

「人生のレール」を「誰もが思い描けるような順風満帆な人生のこと」と仮定するのであれば。
この現代に「人生のレール」なんて存在しない。
大企業に新卒で就職が決まったとしても、その会社は潰れるかもしれない。そうなった場合、一社でしか勤めたことがないというのはネガティブなスペックになるわけで。潰れない保証のある会社なんてないので、「このレールと思われるなにかキャリアめいたものを走っておけば絶対安心」ということはない。つまり、未来に人生のレールなんて敷かれていなくて、それは自分が作り出した幻想なのかなと。

でも、一生懸命毎日生きたあとを振り返れば、そりゃレールがあるわけで、この先もそのレールを続けるべきだという幻想にとらわれた結果が「人生のレール」の盲信なのかなと思ってます。
例えば私はずっとゲーム業界で一生懸命がんばってきたから、このゲーム業界というレールを外れるのは怖かった。でも、それは一生懸命生きた道を振り返ったらレールになっているだけで、この先ゲーム業界から離れたからって自分のスキルが他で生きないなんてことはないし、そもそもゲーム業界にいること自体が別に自分に本当に合っているとは特に何も保証はない。でも今まで続けてきたからという理由で、「人生のレール」を勝手に定義して、そしてそこから外れることに恐怖するのは、それはすなわち生きにくい盲信だったなあと思っている所存です。

だからまあ、なんていうか、そもそも人生にレールなんてないんだから、「自分の好きなこと・得意なこと」を探しながら、そしてそれを活かしながら生きたらいいと思う。っていう考え方にシフトしていきました。

自分の好きなことをやり続ければ、レールなんて考えなくても生きる術ができる

レールの代わりに軸にしたらこの世が生きやすいんじゃないかなと思うのが、「自分の好きなこと・得意なことを伸ばす」作戦。
どうせ現代はどんどんテクノロジーに置き換わるわけなので、もはや生まれ持った素質で他のひとを圧倒するなにかを持っていないと、生き抜くい。その何かっていうのが早めに見つかっているひとは今ごろリオオリンピックに出たりしているのかなと思うけれど、私なんて器用貧乏のレッテルが似合う人間ですので、もはや何やっても中途半端だった。けど、好きなこと・得意なことを探す過程で見つけたのが、「書くこと」だったりします。
ゲーム業界辞めてどうなることかと思ったけど、書くことをやめずにいたら、実際今そのスキルセットを発揮するのに近しいことを仕事にできてるので、ありがたい限り。大企業を勤め上げるとかそういうレールには乗っていないのかもしれないけれど、自分の好きなこと・得意なことで社会に貢献できているという感覚と、このスキルがあればどこでもやっていけるのではないかというちょっとした自負が、今の私を支えています。

ただし、この世はいまだに学歴社会だし、大企業社会。

さて。
ここまで社会人になってからの話しかしなかったのですが、件の大学生は「大学生を辞める」という「レール」の外れ方をしようとしているわけのようなのですが。
残念ながらこの世はまだ「学歴社会」。私が中学生のときには「学歴社会は終わる!これからは個人の能力の時代だ」という説を聞かされていたのに、現実は学歴社会のまま。就活でもまずは学歴。新しいひとに合ったら学歴の話題はどこかに潜んでる。ちなみに私は旧帝大なのに地味な大学すぎてよく底辺私大と間違えられて、関東ではそういう扱いを受けることだってあります。人間そんなもんだって思ってるし、私も少なからず他人の学歴気にしちゃってる残念なとこあります。
この現実を鑑みるに、別に起業だのプロブロガーだのは、学生の身分を喪失しなくてもできるわけですので、そっちで成功したら学生辞めたらいいじゃん。という至極当然っぽいことを書いておきます。
そしてちなみに、社会人になっても「それまで自分が何をしてきたか」ということを語るとき、「ソシャゲ大手で働いていた」というと話の通りが早かったりするということが多々あるので、残念ながら1社くらいは大企業で働いていたほうがその後ラクに生きられるのではないかと悟っています。となるとますます、足切りなんかで使われる「学歴」の重要性よ。書いてて悲しくなるけど、あと数年くらいはこの流れは変わらないと思う、経歴のわかりやすさ、の大切さ。

変に人生ぜんぶ賭けると、逆に自分の好きなことできなくなる

そして社会人でも大学生でも、好きなことやるにあたって忘れちゃいけないのが、「最初は小さくはじめる」ということ。
変にぜんぶフルフルのフルコミットをぶち込みますと、生きるためにやりたくないことばかりやらざるを得ない状況を作り出してしまいます。そうなると、苦しい。好きなことなんて考えている余裕もなく、日々を生きるためだけに時間を費やすことになりかねません。
その点踏まえるとますます、学生という身分をないがしろにするのはもったいないなあと。社会人も然りで、生きる糧を確保しつつ好きなことやる時間を作って、うまく行ったら現状の整理して得意分野を拡大する、といった戦略を立てることが、上手に人生運ぶコツなんじゃないかと思い始めております。その点私はかつて、派遣OLとして生きる糧を確保しながら、定時ダッシュで帰ってヒマな時間を好きなことする時間に充てられたのはラッキーだったと思っております。

簡単にまとめますと、
社会人になったらレールなんてない。
だけど大学生までは「学歴をつくる」というレールを歩んだほうが、その後の人生の選択肢を広げやすい。
ということで、現状維持しつつまずは小さくはじめてみてはいかがでしょう。という結論です。
学生という身分を活かしていろいろチャレンジするとおもしろいと思いますが。
まああれです、他人に中途半端に介入するのが一番いけないと思うので、件の方には別に何も伝えるつもりはないのですが、自分自身の考えは表明しておきたかったのでそうしました。

なにより、大学生という人生情報に多感な時期に、無責任なこと吹き込む周囲の存在が怖いですよね、もうすでに各方面から指摘済みとは思いますが。私もそういえばどうでもいいですが「はてなブログ講習会」の先生やってください、情弱ビジネスで儲けましょう的な話をいただいたことがあるのを思い出しました。金払ってでも聞きたいというひとがそもそも存在するのか知りませんが、なんというか、もっと社会にとって有意義な仕事して儲けたいでござるよ私は。ていうか「はてなブログ講習会」ってなんだその魑魅魍魎感は。こわいな世の中は。

コーギー貼っときますね。
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PMSがつらい。人生を女性ホルモンに支配されてる。

これでも進歩したほうで、精神的な調子がわるいときはだいたい女の子デーの前であることがわかった今、自分のこの感情的になってしまう残念な現象に「PMS」という名前をつけて少しは客観的に判断できるようになっていることは救いだと思う。
ただ近頃のPMSさんは厳しい。流産してからというもの、生理痛もひどくなったというのもそれは問題なのだけど、この生理前のどうしようもないイライラ感。イライラしてるっていうのを自覚できるほどにはっきりとイライラする。なのに抑えられないという思春期ボーイかよ、みたいな。
なにかちょっと外部刺激があるだけですべてがイライラに変換されるような、そんなかんじ。残念すぎる。もうおうちから出たくないでござる。

それでも出社日は出社して働くのだけど、やっぱりどこかそこでイライラしてるのが周りに出ちゃってたらしく。私としては出ちゃってるだろうなと思っていたけどバレてないお願いだから全員鈍感であってくれお願いします、というお祈りモードで働いていた。けど、やっぱりバレてた。そしてその上で、気を遣われていた。みんな大人だ。その優しさに気づいてしまって、むしろ恥ずかしすぎてさらにおうちから出たくないでござる状態になった。

恥ずかしすぎるし申し訳なさすぎて爆死か憤死したいと願っていたのだけど、みんなこんなPMS感満載の激情型女子モードの私でさえも受け入れてくれているわけで。そうだよね完璧な人間などいないのだからと、自分もまず自分を受容することからはじめました。こんなわたしもわたしの一部。それでも今のところこの会社さんは私のこと働かせてくれるし、私としても働いて結果出したいなって思いはPMSにも邪魔されてないので、迷惑かけまくってしまったという恥ずかしさをなんとか昇華しなきゃなと。思春期かなわたし。

そしてちゃんと産婦人科に相談しないとですほんと。あかん。なんとかしたい。PMSに悩む女性とそれに巻き込まれる人々すべてに幸あれ。

コーギーもふもふ。
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シン・ゴジラを武蔵小杉民が見た結果をどうしても語りたい

※当然のことながらネタバレを含みます

いや、我慢してたんですけども。私みたいなミーハー民が映画のことなんてカキカキしたら各方面から無人在来線爆弾打ち込まれるんじゃないかって。でもよく考えたら武蔵小杉駅はふたつに分散しているようなものだから、東京駅みたいに一斉に打ち込まれることはないだろうからもういいや好きなだけ書いちゃおうってことになりました。よくわかりません。
さらに悪いことには、このダイアリーを拝読させていただいた結果、これはもう自慢したくて仕方なくなるわけでございます。
シンゴジラについて地方の人はどう思ってるの?
いいだろ、たまには首都圏住まいの自慢大会でもさせてくれないか。

「舞台は川崎!ロケにも協力!」って公開前から川崎駅は大盛り上がりしているのを横目に見ていたのですが、もっと盛り上がるべきだったのは武蔵小杉駅なんじゃないのかと思います。というか川崎市っていうのは、「川崎」「武蔵小杉」「新百合ヶ丘」とその他のみなさん、みたいなパワーバランスをひしひしと感じており、武蔵小杉民は少なからず「ここは川崎でなくて武蔵小杉です」という意識の元で暮らしているのですが、その武蔵小杉がけっこう大活躍する映画なのだから、もう少し武蔵小杉駅としてもプロモーションしていただければ当事者意識が高まったのになーとか思います。グランツリー武蔵小杉ではちょっとしたイベントやってて、小さなゴジラがおりましたけど。あーそうか、公開前はまさかこんなゴジラだと思ってなかった、私も。それでプロモーションも目に入らなかったのかもしれない。

そんな武蔵小杉から品川に通勤してる私としては、もう新八ツ山橋あたりでキャッキャウフフしてたわけなのですが、やっとのことで武蔵小杉のタワーマンションとゴジラ先生のツーショットを見られたときには、うおープロモーション動画で見たやつだ、という安直な感想がこぼれました。そのタワー群のうちの1体のふもとに我が借家がありますため、ああこれは踏み潰されたかな、とか冷静に悲しくなった程度です。あとは、実際はこんなに住宅密集してないような気がしたけど、それは真実かどうかよくわかりません。
丸子橋が親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくシーンはちょっと笑えたけど、「ああ、武蔵小杉はもっとシン・ゴジラのロケ地として胸を張るべきなのではないか」という面持ちにさせられました。ただただ踏み潰されて通過駅になるかと思ってたのに、けっこうフィーチャーされたし。
というわけで多摩川の河川敷に「この辺から撮りました」みたいなのあっても良さそうとか、そういう観光面の期待まで高まりました。でもよく考えたらそれは田園調布側か。
そしてすごい細かいことだけど、私としては丸子橋の美しさはあの特徴的なアートもあるけど、タイル調の歩道の美しさもまたひとつ魅力だと思っておりまして。薄いオレンジ色というのでしょうか、青とちょうど対比になるような色あいのタイルが敷き詰められた歩道、あれ、描いてほしかったなーなんて、吹っ飛びゆくアーチを眺めながら。

丸子橋ってほんと、なんだか気になる橋で。最近毎週ランニングとして丸子橋のあたりを走りぬけているのですが、あの丸子橋ブルーとでも言いましょうか、青が川面に揺れる姿は、意外と絶景なのですよね。二子玉川側から丸子橋に向けての川沿い、東京側を走ると、よく奥多摩の形容詞として使われがちな「ここが東京?」っていうワードがぴったりくる風景に、住所:田園調布で出会えますし。木々の合間に未舗装路面が続き、一歩踏み出すたびに土埃が舞い、そしてぱっと現れる青い近代的なアーチ橋。橋の下までたどり着いたら、その青が映る川面に目を奪われる。そんな至福のランニングタイムを毎週頂戴させていただいております。
あとはどうでもいいけど、わたしの故郷を彩る「大正橋」という橋に、ちょっと似ている。青くてアーチ、ただそれだけなんだけど。

武蔵小杉はどれだけゴジラ災害に見舞われたのかはよくわからないけど、その後嘔吐のように噴出された炎に沈んだ東京都心を見ると、まあそれなりの被害で済んだっぽい。きっと武蔵小杉民は復興に全力を注ぎ、すぐにまた元気なタワーを量産することと思います。ここに住んでからまだ1年という実は若葉マークつけっぱなし民が適当なこと言ってますが。
ちょっと逸れますが、その前はひと駅先の元住吉に住んでまして。武蔵小杉はちょっとした憧れの街になってました。まあ、元住吉に住んでたといっても、駅徒歩30分というびっくり立地だったのだけど。それで心が折れて、1年経たずして武蔵小杉に移り住んだ次第です。ひと駅しか違わないのに、まったくもって風景が違う。元住吉のおうちの裏には里山があったのだけどね。まあ駅徒歩30分も離れちゃってるんだけどね。

武蔵小杉は交通網的にも住環境的にも大変快適です。そんな武蔵小杉と丸子橋の自慢をしにきました。あとは映画館とスーパー銭湯ができてくれたら最高です。私はたぶんここで子育てするし、しばらくは離れない気がしてます、ゴジラにボッコボコにされるまでは。

日本の名橋 完全名鑑 (廣済堂ベストムック)

日本の名橋 完全名鑑 (廣済堂ベストムック)

出社は週2回だけ、の開発チームになってから1年経っていたので振り返ってみる

今のベンチャー企業にオフィスレディとして勤務し始めてから、よくよく考えたら今月で丸二年が経っていました。
社会人5年で5社目に入社していた私にとって、勤続3年目というのは言わずもがな歴代最長記録を更新中でございます。
こんな繊細チンピラで絹豆腐メンタルな私が、この会社で細く長く生き続けられている要因は何なのだろうと、このたび考えるきっかけがありまして。(ベンチャーの割に5年目に突入したこの会社もなかなかしぶといんだけど、今回はそこは問わない)
会社の雰囲気がいいとか、攻撃的なひとがいないとか、そういう「ひと」的な部分はもちろん、要因のひとつではあるけれど、そんなことをここで自慢してもどうしようもないので。

このシステム素晴らしいなーと思っているのは、「出社は最低週2回」にしていること。
もちろん、忙しいときには出社したほうが効率的だし出社しよう、という時もあるのだけれど。基本的には月曜・水曜の2日だけ、全員顔を合わせることにしています。

経緯

まったく自慢できることではないのだけど、昔いたエンジニアさんが「俺は出社したくないんだ」という確固たる信念のみでスタートいたしました。
今思えば、「そうですか……じゃあ出社は週2回にしましょう」ってすぐなったのが不思議だけど。

私の所属する開発チーム構成

主にiPhoneアプリを作っています。その他Webサイトもちまちまと。

「開発メンバー」というと、

・ディレクター(私)
・iOSエンジニア
・サーバサイドエンジニア
・サーバサイドエンジニア(最近joinしてくださいました)

この4人。
その他に細かく言うと、

・しゃちょー
・営業・マーケ
・メディア運用
・デバッグ&サポート

的な方もいらっしゃいますが、結局今ではほぼ全員、最低週2日の出社になっています。(週1日の方もいらっしゃる)

ルール

・13時~18時は連絡とれるようにしておく(電話・Slack)
・その日やることを午前中にSlackに書き込む

よく考えたら、ルールはこの二つだけかも。

メリット

■「週2回くらいなら出社できる」という程度の遠隔地の方がjoinできる
実はこれがかなり大きなメリットなんじゃないかと思ってます。
ベンチャーで働くというのはそれなりに残念な部分もあるので(給料とか不安定さとか給料とか)、どうしようもない残念な部分以外で工夫しないとなかなか素敵な方に出会いにくいという問題があります(時たまベンチャーというもの自体を面白がってくれる素敵な方もいらっしゃいますが)。
しかし「出社が週2回なんです」と言った瞬間、千葉の奥のほうからも、「その条件なら働けますありがたや」という方々が現れ始めました。いやーありがたや。
開発チームとしては、どんな働き方であっても成果さえ出してくれたらそれで良いわけで、まさにWin-Winってやつだと思います。

■出社日にミーティングを集中させ、自宅勤務日は作業に集中する
これも、ものすごい素敵です。
開発あるあるだと思うのですが、ディレクターが「仕様変更ガー」などと言ってくる影響で、脳みそフル回転でガリガリ書いているその精神と時の部屋の静粛がまったく保たれない現象。ディレクターとしてはすごくその辺神経使うんですけどね、しかしデスクが近いと話しかける頻度も上がりがち。
そこで、この「週2出社」の出番。

・月曜と水曜は、ミーティングも多め。仕様の話などは極力この日にする
・その他の日は、作業に集中する日。Slackで最低限のコミュニケーションはもちろんする

こうすることによって、エンジニアはもちろん作業に集中しやすくなる。そしてディレクターとしても、仕様を詰めたり作業するのは出社日以外で、出社日にはきちんと整理されている状況にする、というメリハリがかなりはっきりつけられるようになりました

■メンタルが大変いいかんじ
毎日毎日、満員電車に揺られて、遅刻しないように早歩きして、同じ時間にPCを起動して、一斉に仕事をはじめる。
普通のひとが普通にやってるこの普通の光景なんですが、私にとってはなぜか非常に苦痛でした。
好きなときに好きなだけ働きたい。ただそれだけ。
週2出社制度は、それをいいかんじに実現してくれてると思われます。週2回さえ顔を合わせていれば、あとは成果物さえちゃんと出して、コアタイムに連絡さえ取れれば。カフェでコーヒー飲みながらPCいじっていても、朝っぱらから釣りに行っていてもOK。ハゼの天ぷら美味かったー。
そもそも働くこと自体は嫌いじゃなかったんだ、という気付きにもなりました。毎朝起きて出社してPC開いてメール返して……という枠組みに組み込まれるのがしんどかったらしいです。
そしてさらに最近気づいたのは、私が仕事に集中できるのは、なぜか夕方以降だということ。それなのに今まで午前中から頑張ろうとしていたなんて。なので今は、午前~午後イチはさらっと流して、夕方~夜にゴリゴリするスタイルにしているのですが、すこぶる心身の調子が良い不思議が私の身に起こっています。

デメリット

■対外的に理解が得られにくい場合もある
まあ私のいるIT系はかなり理解してくれますが。
あとは取引先がガッチガチの勤務体系だったら、私もそれにあわせてそこそこ時間を意識して動かなければいけなくなると思ってます。取引先が9時-17時なのに、私は午後イチ稼働とかだったら、時差ありすぎだと思うので。

■サボるやつが出る可能性
それはそうなんですが。ぶっちゃけ出社しててもサボるひとはサボってるという。
ただこの出社システムを導入するのに絶対に必要なのは、信頼関係だとは思います。


簡単にいうと、スケジュールさえ守ってくれれば、働き方を強制することに意味はないという考え方だと思います。そして、なるべくならみんな幸せに働いて楽しく暮らしたい、平日も。
今のところそのいいかんじの答えが、私達の開発チームの中では週2出社、ということだったようで、だから1年以上もこのシステムを続けて、メンバーもほぼ変わらず来れたのかなと思います。

ちなみに。週1度も顔を合わせない完全リモートは、社員として働くのはちょっと辛いなと思ってます。この激流に揉まれまくるベンチャー業界、刻一刻と状況が変化するのを、顔を合わせないで読み取ってほしいというのはなかなか厳しいものがございます。もちろん業務委託とか外注としてはまったく問題ないのだけど。

お互いを信頼できる少人数チームであれば、すぐに実践可能だと思ってます。このエントリが参考になるかは定かではございませんが、実際に一応うまくいってる例ではありますので、ぜひチャレンジしてみてくださいませ。
ちなみにこのシステムを導入前、下記のような本も読みましたが、結局小さくトライアルしてみることが大事だなとは思います。まずは1週間お試しキャンペーン、とか。

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,黒沢 健二,松永 肇一,美谷 広海,祐佳 ヤング
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
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強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」

強いチームはオフィスを捨てる: 37シグナルズが考える「働き方革命」

  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,高橋璃子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2014/01/24
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お米が美味い。人生豊かになる無印「土釜おこげ」を語らせてほしい

毎日のお米が美味しいということ。それだけで人生ってなんだか幸福に満ち溢れている。これが、言い過ぎではなく、わりと本気でそう思う。
たかがお米、たかが炊き方ひとつで何が変わるっていうんだ、と炊くまでは思ってましたよ私も。
それが。
いざ一口食べたら、逆に、なぜ今まで炊飯をないがしろにしていたのかという疑問が湧き始めた。せっかくのお米を、自らの手でイマイチな味に炊き上げていたという現実に、衝撃を受けてうなだれる他なかった。  
こんなことを書き上げちゃいたくなるくらいに、たまたま無印良品で見かけて購入してみた「土釜おこげ」という商品にガッツリと恋をしており、そして人生の幸福度を一段階底上げしてくれた御釜に心から感謝申し上げている次第でございます。
ググってみたら、もはや雑貨クラスタにとっては数年前から話題の商品みたいだけど、私だってこの幸せをインターネッツに書き残したいんだい。

ごはんにこだわりたいかも、と思い始めたきっかけ

つい先日、「南魚沼グルメマラソン」というハーフマラソンに参加しまして。
前日は越後湯沢に宿泊して、「トンネル抜けたら雪国まいたけ」とか言いながら温泉浸かってたんですが(越後湯沢があの雪国だって知らなかったし、雪国まいたけがあの雪国のまいたけで、越後湯沢のすぐそばの南魚沼にその工場があるということもこの時知った)。
その旅館の夕飯は、当然のように南魚沼産コシヒカリ。
そして当然美味い。
南魚沼グルメマラソンの完走賞は、南魚沼コシヒカリ食べ放題であって、これもまた当然美味い。

なぜこんなにお米が美味いのか。
お米ってそんなにブランドで違うのか。
それにしたって、うちで炊く米は美味しくなさすぎるのではないか。悪い米は使ってない(旦那の実家が兼業農家で、定期的に送られてくる米。ブランドは不明) 。そういえば旦那の実家はガス炊飯器とかいうパワフルマッシーンで炊きあげているようだが、あれは美味いぞ。きっと同じ米なのに。
炊飯器を新調したほうがいいのかもなーと思いながら、漫然と炊き続ける日々に戻っていきました。

たまたま出会った「土釜おこげ」

そんなイマイチなお米を炊き上げる日々に辟易しながら生きていた私。
しかし、たまたまぶらりと立ち寄った無印良品に、なんとお米が炊けるとかいう重たい釜が売られていた。
お米って炊飯器じゃなくても炊けるのか。いや、よく考えたらそうだけど。炊飯器で炊くもの、という観念に完全に縛られてたわ。
そしてそこまで高くはない、と価格を確認して、ひとしきり悩んで、どーんと購入しちゃった。

炊く。

初回はおかゆを炊いてくれとのことだったので、おかゆを作成。それでお米のでんぷんを土釜になじませるとのこと。二回目以降から普通に炊いてくれ、というわけで。
二回目。普通に炊く。普通といっても、炊飯器で生きてきた私にとって、水量の線が無い釜は初めてなので、説明書見ながら水の量とか計りながらセットするんですが。

炊飯器同様、20分くらい浸水してから、火にかける。中火で15分くらい放っておく。それだけ。
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すると、なんかいい香りがしてくる。ちょっとおこげな香りになったら、それはおこげが生成されているに違いないので、やり過ぎないタイミングで火を止める。そして20分くらい放っておいて、蒸らす。
真剣に炊飯すると1時間くらいかかるけど、浸水と蒸らしをサボれば20分で炊ける。まだサボったことがないので、サボることでどこまで味に影響するかはわからないけど。
時間の手間コストに関しては、料理しながら放っておくだけで米が炊けると思えば、炊飯器と炊飯コストはほとんど変わらない。

蒸らし後。
じゃーん。
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1合。ピカピカのおこめ。おこげ付き。
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見た目も大変良い。そしてこの御釜、保温性もあるので、おかわりするタイミングでも十分温かい。
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お米って、こんなに味がするんだ。
そう思える仕上がりになります。
お米がおかずのようになるくらいに、味を主張してくるようになるので、「お米食べてますよ今まさに!!」という自覚がものすごい湧きます。

文明が炊飯器を発明し普及していった理由のことを考えると、万人に勧められるものではないということも理解できます。
・タイマーで炊飯開始とかできない
・保温力があるからといって、24時間とか保温するのは無理
・火をかけている間は、家から出ることはできないし、火を適切に止めないと全面おこげになる
・ガスが一口しかない家庭だと、炊飯中は他の料理ができない

でも私の暮らし上では、今のところデメリットがほとんどなく、美味いお米が食えるようになったというメリットしか享受していない状態で、もうなんというかありがとうございますありがとうございます。
ちなみに、三合とか炊いて残りを冷凍ごはんにしても、十分に美味い。不思議。ごはんに土釜の味がついてるんじゃないか。つまり土釜自体が美味くて、土が美味いんじゃないかとか、そういう疑いが出てくる次第です。

とまあいっぱい書きましたが、無印良品には私が紹介料を受け取れる制度などないので、単に無償で記事広告書いたような気分になっていますが、もう、この商品に感謝しちゃってるから仕方ない。
ネットではここから買えるようなのでチェックしてみてください。お店から持って帰ろうとすると、けっこう重いので女性は注意。

土釜おこげ 3合炊き 約直径22×高さ15cm | 無印良品ネットストア

せっかくなので魚沼産コシヒカリ置いておきますので!


さー感謝タイム終了。仕事に戻ろうー

未だ忘れられない出産予定日と、ラン旅と、これからの人生

今日は、出産予定日、だった。
つまり、うまくいってれば、そろそろママになってたというわけであって。大変不思議な気持ちでございます。

ネットなんかで情報収集することには、掻爬手術後1~2回目ほど女の子デーを見届けたのち、すぐに再トライして授かる例が多かった。
でも私は踏み切れないままに、手術してからもう8ヶ月くらい経っちゃった。踏み切れなかった、という心の問題だけじゃないんだけど。手術後に女の子デーが自力で来なくて結局またピル生活だし。

そして、けじめ、としてというか、なんとなくやり始めた
「フルマラソン完走したら妊活するぞ」
というささやかな目標。手術が12月上旬だったので、下旬からトレーニングはじめて、4月17日の大会で盛大なフィナーレを迎えるはずだった。
ところがどっこい、その大会は、中止に。
運命のいたずら、とかいう劇画っぽい言葉しか頭に浮かばなかったけども。もうちょっと真剣にトレーニングしないさいよあなた、っていう神々からの霊験あらたかなチャンスだと信じまして、現在もひたすらトレーニングに励む次第です。

そんなこんなで今年に入っていくつか「ラン旅」とかいうのをしていて、まあ、楽しい。日本国内でも、まだまだ行ったことのないステキな街がいっぱいあるものだなあと、実感させられます。具体的に書いちゃうとですね、

2月の、伊豆大島でのカメリアマラソンでマラソンデビュー。10kmだけど。坂多すぎてきつかった、けど、マラソン大会っていうのは、応援という名の無償の愛を知らない人からたっぷりと注いでもらえる温かいものなのだなあと知りました。
3月の上里町乾武マラソン、前入りして高崎で一泊。一度は行ってみたかった高崎の榛名神社とか榛名湖観光できたし、当日は上里町のみなさまの温かい出迎え(駅からマラソン会場までの道のりからすでに応援される)と菜の花と民家の間を縫う21kmの道のりが印象的で、また走りたいと思ってます。
そして4月の加賀温泉郷マラソンが中止になっちゃったわけだけど、初めて金沢に行って、定番の兼六園&21世紀美術館なんて行っちゃったりして。メシがうまかった。マラソンで消化するから大丈夫ーとか言って食い過ぎて、脂肪がお土産になった。
6月の南魚沼グルメマラソン、ハーフで参加。ゴール直前の八海山飲み放題な給水所をにわかに楽しみにしていたのだけど、30℃の気温でやられまくっていた私の身体は日本酒を一滴たりとも受け付けませんでした。その代わり、ゴール後のコシヒカリ食べ放題はお茶碗山盛り1杯いただきました、あんな美味かったのに1杯だけかよってかんじだけど21km走ったあとに言うほどメシ食えないという耐え難い現実。

ランニングブームじゃーみたいなノリは好きじゃなくて、なんやねん皇居ランって、ただ走るのが何が楽しいんだ、って未だにそれは思うし練習大っ嫌いだけど、「ラン旅」自体は大変楽しいものです。南魚沼などは観光地、というイメージはあまりないわけで、こういうイベントやってくれるからはじめて旅の目的地に設定できたわけです。すばらしいと思うこのシステム。


ただ、妊活とは共存できない趣味、というのが悲しいところ。
当初の目的である「フルマラソン完走したら妊活するぞ」は、変えてません。
8月28日の富士吉田火祭りロードレースでハーフ走って、そして、
9月25日のオホーツク網走マラソン。フルマラソン。
これを無事完走して、妊活するんだ(フラグ)

なので私の人生、まあ、大したことない人生だけど、10月からまた妊活フルコミットできるように、やろうと思ってたことはすべてやりきりたいと思う所存です。
妊娠って思ってた以上に生活の制約が出るということも、あの時知ってしまったから。酒も今のうちたらふく飲んじゃう。でもダイエットもしちゃう。うふ。
そして、
仕事がんばる。働きたくないでござると唱え続けていた私だけど、仕事フルコミットできるのってもしかしたらついにこの機会が最後かもしれない。いや、もちろん出産後もほんわかと働きたいけど、自分がいま想像する以上にその生活ってきっと様々な困難に出会い続ける日々になるだろうから。生活が基本的には変わらないだろうあと3ヶ月~半年くらいの間は、仕事を大真面目に取り組んでみよっかなと、決心してる次第です。

そんな、都会の隅っこで細々と生きるしがない私ですが、小さな決意だけ胸に秘めて、暮らしていきたいと思っております。
来週くらいには心折れてるかもしれないけど。それはそれでいいや。
がんばらない程度にがんばって生きます。